きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

きらめき療育論:全幅の信頼を置ける人が学校には必要なのだ③

「全幅の信頼を置ける人が学校には必要なのだ」の2篇を読まれた方は、これだけのことを身につけるのは難しいと感じられたでしょうか。

しかし、まずは子どもたちが感じている世界を知ることに意味があり、支援の先生、介助の先生、療育施設の指導員、など、子どもたちの側にいる先生なら、これらのことはそろそろ熟知し、対応できるようになっていかなければなりません。

なぜなら、これだけ「発達障害」「不登校」という言葉が認知され出してから何年も経ち、耳にしない日はないほどの現在において、散々学校の先生や介助員、支援員の方々も、療育施設の指導員の皆さんも、研修を受け、国の予算を割いてお給料をいただいてその仕事に就いているはずだからです。

研修は受けていない?

もし、そうおっしゃる方がいらっしゃったら、今日からその受け身の姿勢は終わりにしてください。

「側にいるだけ」ではダメなのです。

子どもたちも保護者の方々も心底困っておられ、藁をもすがる気持ちです。

満足のいく研修がなければ独学で学んでください。本を読んだり、外部の勉強会へ参加したり、できることはいくらだってあります。

待ったなしの子どもたちに、今日も、明日も、対応に迫られている皆さん。

同じ失敗を明日も明後日も繰り返してはいけません。

今日、上手くいかなかったことがあれば何故上手くいかなかったか原因を振り返り(C)、明日までに違う策を考えて(A)下さい。

そうやって、朝には違った手立てを持って(P)、いざタイミングが来たら、サッと対応できる(D)ように、その時が来るのを待ち構えるくらいの心構えでいてください。これはPDCAサイクルといって応用行動分析学の中でも用いられる方法で、私たちが、自分自身の行動も吟味し精査していくことで問題解決の力を養い、早く対応方法を身につけることに役立ちます。

 

そうすれば、例え1歩ずつでも前進し、救われる子どもたちがいるはずです。

子どもたちが救われれば、先生方の負担もその分減っていくはずです。

 

今これだけ発達障がいと診断される子どもたちが増えた背景の一つとして、学校での対応の方針の定めにくさというものがあります。

一人のお子さんへの支援方法を相談するには複数の先生方で意見を出し合うことと思いますが、その時それぞれの先生の見解がまちまちで、一向に一つにまとまらないのだと思います。なぜまとまらないか?というと、「あの子はADHDなのだろうか?」「いや、あの行動から見てASDではないだろうか?」と、どうしても一つの診断名に当てはめて考えようとするために、当てはめきれずにADHDとして接すればいいのか、それともASDとして接すればいいのか、とんと分からなくなってしまうからなのでしょう。それならば、いっそ、医療機関ではっきり診断してもらえば意見を統一することができるのでは・・・・と、先生方もまた藁をもすがる気持ちで受診を勧められるのかもしれません。お医者様から対応について指示をもらうことができれば、あとはそれに従えばいいのです。そんな簡単なことはありません・・・と言いたいところですが、現実はそう簡単ではありません。

 

そうやって、診断を受けることによって、一度は多くの人に理解をしてもらいやすくなり、支援の方針も定まったはずですが、担当の先生方は、接するうちにまた、どんどん頭の中に?????とはてながたくさん湧いて出てきてしまいます。

どうしてかというと、一人のお子さんの中には、様々な要素が入り乱れているからです。ASDADHDのどちらかだけの診断名がついたからといって、どちらか一方だけと決まったわけではありません。この2つは、複雑に辛みあっていて、一人の子どもの中に併存していることも多くあります。しかし、以前はどちらか一方の主な症状の方を診断名とすることが多かったのです。最近でこそ、医療機関によっては、2つの障がい名を並べて診断される所も出てきました。書かれていなくても、聞けば「特性としてありますね」と教えてくれることもあります。

そうやって、一人の子どもの内面では、どちらかだけの特性と決めきれない両方の特性がその時どきによって表れてみえることがあるので、それをご存知ない先生方はどちらで対応すればいいのか分からなくなってしまうのです。

 

診断名に捉われて対応するのではなく、その子どもの行動や発言などを細かく観察し、それによって支援方法を適切なものに変えていけば、?になることはありません。

例えば、、、

 

ADHD(不注意優位型)と診断されたAさん。

生粋にADHDだけの場合、他者の気持ちへの理解などに困難さはあまり見られませんが、Aさんは時に周りの友達の気持ちを全く考えていないかのような行動をすることがありました。まるで自分中心の世界にいるかの様です。

しかし、ASDの特性を持っていることに気づいてもらえない場合、単に「人の気持ちを大切にしない人」として叱責されることが多くなります。

無理解で叱責ばかりが積み重なると、なぜ怒られているのか、どうしたら良いのか、分からずに、ストレスが大きくなり反抗的になったり、身体症状が出て不登校になったりしてしまいます。

この場合、ADHDだけでなく、ASDとしての他者への想像力の欠如や心の理論の未獲得といった要素についても検討し、介助者はAさんが他者の気持ちに気づかずにいる場面では、他者との間に入り、相手の気持ちに気付けるような手立てをうっていくことで、次第に学び習得していくことが可能になっていくと考えられます。

こうして診断名がなくても、言動によって適切で必要な支援を受けることができれば、不登校になることを防げるだけでなく、このAさんが周囲に理解され、他者の気持ちを理解しながら大きく成長することを支援することができるわけです。

 

そのためには、大変ではありますが、大雑把なタイプ別の対応方法だけではなくて、とても細かな行動や言動別の対応方法を学ぶことが重要になってきます。

ところで、このような対応は特別支援学校に任せればいいとお考えになる方もおられるかもしれません。

地域の学校は、障がい児のための学校ではないんだと、そういう意見をお持ちの方もおられることでしょう。

ところが、障がいを持った子どもたちに有効な手立てというものは、一般の定型発達と言われるお子さんたちの指導としても優れています。障がい児への指導や介入が上手な人は、定型発達の子どもたちへの指導も上手です。これも何年も前から言われていることです。

 

発達障がいを持つ子どもたちへの支援方法を身につけるということは、先生たちの身もまた助けることに繋がると私は確信しています。

 

さあ、ここまで読まれて子どもたちの不安の正体と、学校が危険地帯に見える原因、そして、対応方法をなんとなく理解していただけたら、次は不登校になりかけている子どもが実際に保護者に付き添われたり、なんとか辛うじて自分で登校してきたときに、よく生じやすい失敗と、その改善方法について書きたいと思います。

 

お母さん方からのご相談に対して、ご自宅での接し方や学校の先生方へのお願いのされ方、また、連携の仕方などアドバイスさせていただく中で、本当にお母さん方は忙しい生活の中で、そして「家」というお子さんと自分しかいない密室の中で、本当に苦慮されながら奮闘し、お子さんをなんとか良い方向へ導こうと頑張っておられます。

その甲斐あって、お子さんが「学校に行ってみようかな」「行ってみる!」とやる気になって、再登校を始める、といったことはよくあることです。ところが、最初の関門である、玄関口で止まってしまい、そこから教室まで行くことができなかった、または行ったけれど嫌になってしまった、というお話をよく聞き、本当に残念に思ってしまうことが多いです。

どうして上手く繋げてくれないかな・・・ともどかしく思います。

 

それは、「全幅の信頼を置ける人が学校には必要なのだ」の2篇に書いたような事柄を、先生や介助員・支援員の方々がご存知ないのが一因だろうと感じるのです。

ASDADHDなどの特性から失敗の経験を持つ子どもたちは、同時に感覚過敏から来る不安も持っていることがよくあります。

不安に思っているということを、先生方もご存知だからこそ、登校するという連絡を受けて、玄関までお出迎えし、勇気を出して来れたことを心から喜びアピールしてくれることが多いのですが、時に、この出迎えの仕方が感覚過敏をビラビラと刺激してしまうことはご存知でしょうか。

まず、不登校、もしくは不登校気味のお子さんが登校してこられた際は、デーン!!!と真正面に立って待ち構えないようにしてあげて欲しいのです。真正面に大きい大人が立つ、ということは・・・

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