夫の兄と私は今回で会うのが3回目でした。5年の間に3回は、多いか少ないか分かりませんが、すぐ側には住んでいないのですから妥当といえば妥当なのかもしれません。
ですが、夫とその兄は、私が加わるまでは恐らく1、2年に一度は会っていたようですから、それを考えると、結婚してから減ってしまったことにはなりそうです。
この兄弟は、長らく離れて暮らしていました。年齢差があるので、ある意味自然かもしれませんが、年齢差だけでは説明できない、様々な理由がこの兄弟にはあったようです。
人はそれぞれ生い立ちというものがありますよね。子どもの頃の環境や条件というのは、子どもにはどうすることもできないものです。
特にこの兄弟は、ハーフという要素も加わるため、より複雑にそれらが絡んでいたかもしれません。
どんなに複雑な要素が絡んでいたとしても、それは子どもにとっては、何ら責任のないこと。
ところが、子どもにとっては、その責任がないことの影響を、ずっと背負いながら成長していくことが多いです。
この夫の兄にも、色々と心に閉じ込めていた想いがあるようで、実際に会えてはいない間には、電話でちらほらとそういったことについて触れ、お話をしてきました。
だから、久しぶりに会ったにも関わらず、逆に私と夫の兄との心の距離は縮まっていたのでしょう。
今回は、今までよりもずっとフランクに、思ったことを率直に言い合える関係性がありました。関係性が進んでいたので、ちょっとしたきっかけで、夫の兄が心の奥にギュッと持っている硬い核心にあるものの扉がフッと緩み、長年閉まっていた想いがスルスルと出てきて、話し出してくれたことは私にとっても、夫にとっても、感慨深いものでした。
「口に出す」ということは、なんてことのないようなことのようでもありますが、硬い想いを仕舞いこんでいる人にとってみれば、これほど痛みが生じることはないからです。
それを口にすることができた。そこまで本人の気持ちが動いた、ということは小さいようで大きな前進だからです。
人は誰しも心に痛みを抱えています。私は心理職ではありませんが、人が抱えている痛みに、寄り添い伴走し、それによって少しでもその人が壁を突破して、前を向いて歩いていくことができるようにと、そういうタイミングがくれば、働きかけを行うことがあります。
寄り添うとは、その人が苦しい中から自分の力で這い上がろうとするのを、支え、その過程で起こる痛みを共に感じることを寄り添うこと、と私は考えています。
身近な人に対して、そうしたスタンスを持ちながら、家族として接するのは、難しいことなので、その境界線に慎重に配慮しながら、でもフレンドリーに、やっぱり家族として、接するその気持ちが、きっと伝わったのだろうと思います。
夫の兄は、長らく兄として、弟である夫のことを見つめてきただろうと思いますが、しかし、実のところ、弟には弟の、兄には見せてこなかった、見えてこなかった苦悩というものもあり、そこについても今回は私が、雑談の中で見せていくことによって、初めて知った内容に、兄には兄なりの驚きを持って、更に弟に対して慈しみの気持ちを持ち、理解を深めた様子が見て取れました。
例え兄弟でも、お互いに知り得ない相手の気持ちや置かれた立場というものはあるものです。そこに初めて気づき、弟の立場からこれまでの出来事を振り返って考える兄の様子がありました。
何より、
「何一つ、自分たちのせいだったことはなかったじゃない?」
「でも、これからを選択するのは自分自身だよ」
と、私が言葉をかけた時の、目から鱗が落ちたような夫の兄の表情が忘れられません。
ソファに寄り添って座り、スマホの画面を見ながら、あれやこれやと楽しげに相談する2人の後ろ姿を見ながら、長く苦悩に巻き取られていた兄弟の鎖を、外部の私が、少しずつ、少しずつ、溶かし、断ち切っていくような、そんな役割を少し果たせたような気がしていました。
そういう他者が現れることを、この二人はどこか、待ちわびていたのかもしれません。
何より、この兄弟の表情が明るく、喜びに満ちていたことが印象的なシルバーウィークの終幕でした。
