きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

聞いてはいけない文化!?

皆さんは、関心を持っている人がいたら、その人がどんな生活を送っているのかな?と気になりますか?

好きな人に限らず、尊敬する人、憧れる人、目指したい人、シンパシーを感じる人・・・などなど、私たちの身の回りには自分とは違う様々なタイプの人がいて、様々な人生を送っていますよね。

そういった中で、気になる人が現れた時、興味関心を持ってどれくらい知りたいと思いますか?どれくらい、知ろうとしますか?

 

先日、出かけた先でのんびり過ごしていたとき、夫が「最近同僚に話しかけられたんだよね」と話し始めました。どうやら、相手から関心を寄せられていたようで、空いた時間に束の間でしたが幾つか会話を交わしたらしく、今までの経歴について質問があったらしいのです。

どんな経緯で今の職場に辿り着いたのか?

これからどうするのか?

といったことから始まって、お互いのことを紹介したそうです。

ちょうど、夫もその人に何か自分と似た物を感じると言っていたところなので、お互いにそれまで辿ってきた時間から醸し出す雰囲気に気づきシンパシーを感じていたということになるようです。

飲み会などでかなり時間をもて余していたからお互いのことでも聞こうか、といったことではなくて、ちょっとした時間に、わざわざ声をかけてまで自分のことに高い関心を持って聞いてきてくれる、という経験は珍しかったようで、夫はその人に、

「自分に関心を持ってそんな風に聞いてくる人は、今までに妻とあなたくらいだ、日本人の中で」と言ったとか。

え?ちょっと待って?

日本人の中で?

と思わず聞き返しました。だって、あまりに大きな括りだったから。

夫はハーフなので、親類や知り合いの中にも海外の人が多く、周りにいる日本人と比較して、ということなのですが、それでも今に至るまで出逢った大勢の人の中で、自分の生い立ちや、どんな経歴で今があるのかと聞いてくるのが私とその人だけとは。

信じられなくて、もう一度聞きました。

「日本人の中で?」

「そう」という返事。

夫曰く、

「海外の人は、どんな趣味を持っているかとか、どんな休日を送っているかとか、どんな生き方をしてきているかとか、そういったことをとても大切にするじゃない? 相手にも関心を持って聞いてくる人が多いよ」だそうで。

「でも日本人は聞いてこない」と。

 

そう言えば、今までにも、みんなあまり人に聞かないんだなと思うことは多くありました。

聞かれることも好きではないことが多いですよね。聞いてはいけない、という風潮もあります。

だから、「日本人は」となるのかもしれません。

でも、関心のある人の人生=歴史、にも同じように関心を持つことは、私にとっては当たり前で大切なことです。その過程が人を作っていると思うからです。

 

分からないことは分からないという。

知りたいことは教えて下さいという。

意見があれば、きちんと言う。

こういうことは、全てではないけれど、多くの日本人が苦手とすることなのかもしれません。

島国だから、農耕民族だからという説もありますね。みんなで協力して田植えをしてきて、周りと同じでなければ村八分になる、という昔からの気質が今も色濃くあるのかもしれませんが、私は人の意見も聞きたいし、自分の意見も言うし、途中まで意見が合わなくても、話す内に理解できるところがあればそれで結果オーライ。もし最後まで意見が合わなくても、あなたが言いたいことは理解できたよ、と言うことができるまで対話を続けるだろうと思います。

確か、そんなところを「海外向きだね」と言われたこともあったっけ・・・。

見かけが和風なので、「平安時代に生まれたら良かったね」と言われたこともありました(笑)

あれ?私って、現代の日本向きではないってこと???

 

と、苦笑です。

 

仕事をしてきた中でも、私は疑問があると、必ず何人もの人に聞くようにしてきました。その中から信憑性のあるものをチョイスし、考え、1つ1つを自分の引き出しに入れています。

私の1つ上の世代(10歳上)は「見て学ぶ」の世代なので、聞かなければそのまま。引き継ぐことができないまま大切なことが失われていきます。

 

もっと、もっと、人に関心を持って聞いていきませんか?

心と心が触れあい、人生が豊かになりますよ。