きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

姫路城、スペクタクルな1日②

いつも城内に入ると考えるのは、昔の人はきっと寒かっただろうなということ。足袋は履いていたのかな?格子窓に障子は貼ってあったの?冬は冷たい風が吹きすさぶだろうな。

着物だけで、寒さを凌げたのだろうか・・・。など。

 


階段は狭く急で、時々頭上も低くなり、簡単には敵に攻め入られにくい工夫がすごいけれど、生活する者にとっては困難極まるなぁ。着物で上がったり下りたりって大変そう。生活には別の部屋があったのでしょうが、武器を運んだり、食糧を備蓄したりするのも大変です。奥方や姫様が最上階まで上がることはあったのだろうか?

そんなことも考えながら上り、最上階の南の窓から城下町を見下ろしました。お殿様は、いったいどんなことを考えながらこの窓から景色を眺めていたのだろう。私はその時、南の窓から外を見て、広いな、と思っていたけれど、そう言えば、東にも西にも北にも窓はあって、同じように町は広がっている。お殿様が治めなければならない範囲は広いなぁと実感。この広い領土を守らなければいけないという責任。昔のことだから、利害の絡む企てや側近の裏切りなんかもあるだろう。

城主は常に疑心暗鬼だったかもしれない。メンタルを保つのは至難の技かも。そんな時、奥方にはどんなことを話したのだろうか。ということが頭の中を横切っていきました。

 

順路を無事に下り、外に出た時には、一際外が眩しく感じました。中はとても暗いです。夜は蝋燭の灯りだけか・・・。怖いね~。電気が当たり前の私たちには、もうその暮らしは無理かもしれないな、と思いながらもう一度、中を覗き見納めにしました。

 

さて、そう言えば、この先の出口に向かう順路には、お菊の井戸があったはず。私の中では、姫路城の見所の一つに、このお菊の井戸がありました。播州皿屋敷という怪談に出てくる女性の名前ですが、このお話を今の10代20代の人は知っているでしょうか?

私たちにとってはポピュラーなお話ですが、今回立て札をよく読むと、間違って覚えていたところや、知らなかったところがあることに気づきました。

私は、城の大切な皿の一枚を割ってしまったが為に、責めに耐えられず自分で井戸に身を投げる選択をしたお話だと思っていました。しかし、本当は、城の乗っ取りを企てている者のところへ、家臣の一人から女中として派遣され、最後まで情報を提供したのだけれど、結局見つかってしまい、情報を流したことを許す代わりに結婚を迫られますが、その家臣に思いを寄せていたため拒んだことで、家宝の皿を一枚割ったという罪を着せられて責めにあい命を落として井戸に投げこまれた、というお話なのだそうです。

その日の観光客には外国の方も多く、皆、この井戸を覗いていました。私たち日本人も屈託なく覗いています。遠い昔のお話ですが、一人の女性が悲劇にあい命を落とした場所です。今、もし当人のお菊さんがこの光景を端から見ていたとしたら、どんなことを思うだろうか?と、足が止まり考えました。そしてその井戸のある場所を見渡しながら、今の平和な時代の人たちが、笑顔で歩き自分の井戸を覗いている、という光景を端からみて客観的に考えたとき、もしかしたらお菊さんは、イヤというより、自分の汚名が晴らされて、こんな450年も後代にまで自分の働きが言い伝えられていることを、嬉しく思っているかもしれない、そんな風に思え、私もそっと井戸を見させてもらいました。

 

動物園のある方角の出口を出た先に、城見台という石の段がある広場があります。そこのベンチで一休みしながら、遠くに見える姫路城を眺め、あの天守閣のてっぺんで、藩を治めることを考える城主は、やっぱり孤独だな・・・と思い、帰途に着きました。