1月9日は、成人の日でしたね。
2022年4月から、成年は18歳と改められ、今年からは少々ややこしくなりました。
さて、我が子が成人する。成人式を迎える、ということは、親にとってこの上ない感激です。
あんなに小さかった子が「成人」だなんて!と、何度も何度もこの「成人」という言葉を反芻し、大きくなった我が子を見上げ、20年または18年の歳月を振り返るのではないでしょうか。
我が子が成人するということが、ある意味信じられなくて、親は一生懸命そうやって反芻することで自分に言い聞かせているのかもしれません。
或いは、振り袖やスーツを用意する、式に参加するというのは、そうすることで、子も親も、「成人」するのだという事実を飲み込む為の儀式なのかもしれません。
ただでさえ、親にとって、この「成人」という言葉の持つ重みは重いのに、殊更に、重く受け止める親御さんたちもいます。
障がいがあるお子さんを持たれた親御さんたちです。
「成人」という言葉が受け入れられない。素直には喜べない。というお声を聞くことが多くなりました。中には、だから着物を用意する気持ちになれないという親御さんもいらっしゃいます。
例え自分のことは自分である程度でき、勉強することもできて、意志表示もできる、大学や専門学校に行くことだってできるお子さんだったとしても、いえ、そういうお子さんだからこそ、この先の自立を考えると不安の波が押し寄せて、暗く重い複雑な気持ちになられるのかもしれません。
重い障がいを持つお子さんの親御さんたちもまた、複雑なお気持ちです。ご本人たちが、「成人」ということを理解していないから・・・、悩みながら、晴れ着やスーツ、そして式への参加はしなくていいだろう・・・と考えられるかもしれません。
そんなお気持ちを伺わせていただきながら、ふと、時々耳に入ってくる、事故や事件を思いだしました。
障がいを持ちながらも今こうやって目の前にいる20歳、または18歳のお子さんたちが、とても元気に過ごすことができているのは、ご両親やご家族の努力の賜物です。
ですが、それ以外にも幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校、そして療育施設など、関わってきた人々がみんな連携し、一時たりとも目を離さないで、事故や事件を防いできたから、大事に大事に守ってきたから、なんだな・・・と、強く、そして、染々と実感しました。
多動性や衝動性を持ったお子さんなら特に、一瞬手を離してしまっただけで、車道に走り出てしまったり、人混みに消えてしまったりするでしょう。高いところに登って落ちたり、ジャンプしてケガをしてしまったりするでしょう。危ないと分からないでハサミなどを持って走り回り、自分や誰かを傷つけてしまうかもしれません。
ご飯やおやつを食べていて、喉につめてしまったり、食べてはいけないものを食べてしまったりするかもしれません。
少しそばの大人が気を緩めただけで、子どもたちは危険と隣合わせになるのです。
それなのに、18年または20年もの間、元気に過ごせている。
それって凄いこと。
18年や20年に渡り、みんなで命を繋いできたからこそ、今ある命。
だから、今ここに元気でいてくれることに「おめでとう。」
この先に一抹の不安があったとしても、例えご本人が理解されていなかったとしても、「成人」を迎えたということは、それだけでおめでたいことなんだと思っていいのではないでしょうか。
式に参加するしないは別として、可能なら少しおめかしして、是非お祝いをしてあげてほしい。
必要ないと思っていても、いざ「晴れ着」を着た我が子を見られたら、その瞬間に沸き上がる特別なお気持ちが、きっと何かしらあるはずだから。
きっと、それは、今までのご苦労を、しばし忘れさせてくれるはずだから。
きっと、お祝いをしてよかった、おめかしさせてあげられてよかった、と思われるはずだから。
これから成人を迎えるお子さんをもつお父さん、お母さん、もし悩んでおられたら、お考えの際の参考にしていただけたらうれしいです。