きらめき 綴り

困難を抱えた子どもたちと、日々格闘しています。その中での心の煌めきを大切にしています。

子は育てられたように育つ。

何度かこのブログに書いている この言葉。

これはまさに我が子の子育ての中で、実感したきた言葉でもあります。

我が子と言っても、自分とは別の人間で、別の人格です。なかなか思いどおりにはならないのが子育てというもの。

時には子どもの姿の中に自分の姿を見つけ、愕然とすることもあります。子どもが小さい時によくあるのは、口ぐせ。子どもの口から飛び出した言葉にギョッとさせられ、よく考えてみたら自分がよく言っていたことに気づいた・・・なんてこともありますよね。

つくづく子どもは鏡写しなんだなぁ・・・ポリポリf(^_^;・・・と、頭をかいて誤魔化すしかないことも。

子どもが小学生の時、これは私が子どもを育てているようで、実は、私が子どもに育ててもらっているのだなと、気づきました。新米ママの私も、色々な事件?を子どもが起こしてくれる中で、鍛えられ、考えさせられ、覚悟を決めさせられ、徐々に経験を積んでいる。私を育てる為に、子どもは自分の身を挺して、問題提起をしてくれているのか?とも思えたり。実際、今の仕事をしているのも、発端は我が子です。

四苦八苦の、紆余曲折の、七転八倒の子育てでした。子どもとの摩擦も多くて、いつも真剣勝負で無我夢中・・・と、なんだか四字熟語が並びます。

果たして、これで良い大人になってくれるだろうか?

それは、子どもが大きくなって、自立してみないと分かりません。

問題が起こったら、熟考し、きっとこれで大丈夫、と思える方法を取り、あとは待つだけ。真っ暗なトンネルの中を、向こ~うの方に微かに見える光を頼りに一歩ずつ進んでいくのに似ています。

そんな風にして育てた我が子も大学に行き、成人にもなりました。

今になり、「あの時・・・(友達とよくケンカしていた小学生時代)、何が原因か、どちらが先に言ったのか、その後どうなったのか、って、よく細かく聞かれてたけど、あれがあったから、今物事をじっくり考える力がついたように思う。あの時は腹が立ったけど。」と言い出したのです。

大学の友達と揉めた時、その時は自分は悪くないと思っていても、後から、本当に自分は悪くないのか?と自問自答できるようになった、ということらしいです。小さい時はそんなこと考えられなかったのに、いつの間にか相手の言動や自分の言動を振り返る力と内省の力がついていたようです。これぞ、まさに私が目標としていたものでした。

 

私たち親は、いつまでも子どもの側にはいられません。離れざるを得ない時、親に出来るのは、ひたすら子どもの幸せを願うことだけです。

恋人や奥さん、友達、職場の人と、理解され支えあえる人生を送って欲しい。そう願うから、子どもの時にしっかりかけあっていたのでした。その時には五里霧中で親子で葛藤も多く本当に将来これで考える力がつくかどうかは分からなかったけれど、投げかけた小石は子どもの心の中に静かに静かに波紋を広げていたようです。

3、4年生になった頃、当たり前の事を当たり前と思わずに、いつも、なぜ?どうして?という好奇心と、物事を様々な角度から見て検討できる力をつけて欲しいと思い、「目で見える色」について話したことがありました。

私たちが今見ている物の色、リンゴは赤で、みかんはオレンジで・・・という当たり前だと思っている色。それは本当にその色なのだろうか?

犬は白黒の世界を見ていると言われていましたが今は青と黄色が見えるとされているそうです。

昆虫は複眼というものを持っていて人の見えない紫外線も見えるそうです。

人間が一番高度で、一番良く見えているはず、だから今見えている色の世界が本当だ、とは限らないよ・・・と。

その後、子どもが高学年になった時、学校の宿題の日記にプリズムによる光の屈折について書かれたものがありました。

どこかで、いつか話したことが消化されて子どもなりに光や色について考えだしているんだなと思いました。

子どもは長らく親子の葛藤により、心の自立を目指して色々もがいていたようで、今は自由意志について考えているようです。社会学では、自由意志があるものという前提で話が進むそうですが、思考パターンも遺伝子に組み込まれていると言われている今、本当に自由意志というものはあるのか?ということだそうです。

気持ちとしては、全て親のおかげで今があるわけではないということにしておきたいのだけれど、自由意志がないとすれば、どんなにもがいたところで、結局はそれすらも遺伝子によって決められていた行動ということになるのではないか?と。その事について考えれば考えるほど、物理的に距離が離れて暮らしていても同じ志向パターンになっていてビックリ!ということが出て来て、今ではやっぱり親子なんだ、遺伝なんだ、ということを素直に受け入れだしている様子なのです。

 

こんなことを、あれこれ考えていること自体が似ていますよね。

そして、今は更に障がいをもった子どもたちに関心を持っている様子です。

子どもは育てたように育つのか・・・と、自立するころにようやく答えが返ってきました。

私たちの話はその中の1つの例です。

お子さんが、今は幼くて先が見えなくても、親の望むような職業に就かなかったとしても、心砕いて育ててこられたその眼差しや意志は、確実にお子さんの中で引き継がれ、生きていますよ。