京都の花園に、妙心寺というお寺があります。広大な敷地に46もの塔頭があるそうで、実際、細い路地の両脇にびっしりお寺が立っています。
この妙心寺には、私が子どもの頃から1度は見たいと思っていたものがあります。
それは、「八方睨みの龍」の雲龍図です。
岐阜、富山、石川からの帰り道。
せっかく京都を通って帰るんだから、ついでにどこか観光しよう。と思い立ってみたものの、いざとなると、どこがいいか迷ってしまった私たち。
あまり京都は知らない・・・と思っていたけれど、考えてみれば二条城や東寺、金閣・銀閣寺、嵐山、三十三間堂、建仁寺、八坂神社、清水寺、晴明神社、哲学の道、など行ったことのある場所は意外とあり、どうせなら、1度は行ってみたかった場所にした方がいい!と、いつもは決断力の弱い私が奮起して、ぐるぐる思いを巡らせていたところ、閃きました!
そうだ。八方睨みの龍だ!と。
どこから見ても、目が合っているように見えるという、あの八方睨みの龍です。
今まで金閣寺の近くの天龍寺にあると思っていました。でも調べてみるけど、全体的に青く、こんな絵だったかなぁ?と少し違和感がありました。
もしかして、他にもあるの?雲龍図。と、検索したところ、いた場所から車で30分ほどのところにある妙心寺に、私の朧気な記憶にある龍の絵があることが分かりました。
もう、これは見に行くしかありません。
日本最大の禅寺と言われる妙心寺は、1337年に、95代花園法皇によって創建された臨済宗妙心寺派の大本山の寺院です。その佇まいからは今まで見てきたものとは違う厳かさがありました。無駄なものは一切ない潔さというのでしょうか。
さて、お目当ての龍は、法堂にあるそうで、靴を脱ぎ中に入りました。少し小雨がパラパラと降り、かなり肌寒い時です。靴下一枚で歩く畳や板の上はとても冷たく すぐに足はかじかみました。
入ると中は広い空間で、一気に目の前が明るくなり、頭上には大きな龍が現れました。
こどもの頃にテレビで見た龍がそこにいました。
(これは、その法堂の龍ではありません。写真撮影はできないので、代わりに大庫裏と呼ばれる妙心寺の台所といわれる場所の天井にある雲龍図の写真です。)
実際の雲龍図は、直径12m、日本一の大きさと言われるだけあり、圧倒的な迫力でした。
今は重要文化財となっている法堂が明歴3年(1657年)に再建される際に掲げられたもので、狩野派の代表である狩野探幽が55才の時、8年もの歳月をかけて描かれたそうです。絵具の原料に貝殻・炭・草木のしぼり汁など自然のものが使われているので変色が少ないそうで、約350年の間、一度も修復されず今に至っているというのですが、そうとは思えないほど鮮やかにその姿を現しています。その線は力強く、まさに迫りくるような勢いです。これが自然の原料だけとは。昔の人は、すごい技術を持っていたものだと感嘆します。
そして、この龍の目。確かにぐるりと回り込んで、見る方向を変えても、しっかりとこちらを見られています。目が合っているようです。絵の中心に目がくるように描くことで、まるで目が合っているように見えるのだそうですが、じーっとその目を見ていると、力強さの中に繊細で、注意深く描かれた形跡が見てとれます。私は絵は素人ですが、その私が見ても、狩野探幽が並々ならぬ意気込みで、魂を書き込み、命を吹き込んだであろうことが、私の心の中にすぅっと降りて入ってくるようでした。そして、その龍に見つめられていると、私の心の中を見透かされているような感覚すら覚えました。
江戸時代に刊行された書物には、この目をいざ書き込もうとすると、ただちに暗雲が立ち込め、嵐が起こったとあるそうですが、それも納得です。
この絵が描かれた天井は吊り天井です。下で天井の板に直接絵を描き、それを後から吊り上げているのです。直径12mもの板を吊り上げる。これも並々ならぬことですね。
この法堂にあるケヤキの柱は、富士山の麓から船で運ばれてきたものだそうです。高さ8メートル、周囲は2メートル。
どれほどの苦労をして、この法堂を建てたのか。
現在に生きる私たちからすれば、絶句の一言に尽きます。
まだ見られたことのない方は、是非足をお運びいただき、一度ご覧になってみてください。