きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

週に1度の母の面会へ。

母は今、リハビリテーション病院に入院している。

先月救急搬送された病院から転院して。

 

コロナ禍の影響で、まだまだ面会のルールが厳しく、予約制で一週間前には前もって連絡しておかなければいけない。そして持ち時間は15分。一回に付き、2人まで。

それだけ、患者を守ってくれているのだと感謝しつつ、遅れるとその日はもう会えないらしいので、片道高速で1時間半の道のりをハラハラしながら通う。

先週は行くことができなかったから、今日こそは!と、昨日の午後、意を決して車を走らせた。

意を決して、というのは、私が高速を好きではないからだ。

 

湾岸線を通って、和歌山までの道は、ダンプもガンガン通り、物もあちこちに落ちている。海からの横風に煽られて、下手をすると横滑りしそうにもなる。

 

でも、昨日は道中、気持ちの良い晴天だった。

海が見えて来ると、少しドライブ気分でEー気分になった。母からのプレゼント。そう思えた。

 

2週間前に会った時、母は、幾分搬送された時よりも表情が出ていたが、いつもの明るい笑顔はなかった。認知症にはなっても、ウィットに富んだジョークを飛ばす母。幾つになっても少女のような、天真爛漫さは影を潜めていた。

 

ところが、先週はリハビリの先生に、「私、リハビリがんばってると思う。」と言ったそうだ。「テレビが見たい」とも。

かまり立ちさえ、危うくなっていた母が、ベッドの枠に掴まって立ったり座ったり、スクワットや、つたい歩きをして、自分でもがんばってると「思う」と、自分の気持ちを表現し、思考できるように戻ってきた。

勿論、それほど出来ているわけではないけれど、少しでも足元がしっかりしてくると、意識もハッキリとしだす。しばらくテレビを見る気力もなかったのに、「見たい」と思い、それを看護師さんに伝えることができた、というのは、紛れもなくリハビリの成果だと思う。

 

そして、この成果に、義父がとても喜んだ。喜んで、すぐに電話をかけてきてくれた。義父が、母の変化を知って、喜んでくれていることが、また嬉しかった。

 

義父との親子関係は、まだ15年ほどだが、こうやって母の変化への一喜一憂を共にすることで、真の家族に近づいているように感じた。

 

私たちが面会室に着いた時、まだ母はそこには到着していなかった。義父と話しながら待っていると、それからしばらくして担当の看護師さんに連れられて、車椅子でやってきた。

廊下の向こうから、私たち2人が見えた母は、顔をクシャッとさせ、いたずらっ子のような何とも言えない表情をして、喜びを表した。

 

調子が良さそうだ。私と義父の顔を代るがわる見比べている。果たして今日は、分かるだろうか?

 

お母さん、分かる?

分かるよ〜。え、誰かな?

え?分からん?

分かる、分かる(笑)。

と、分かるのか分からないのか分からない返事(笑)

 

義父のことは、ハッキリ分かっていると分かる。

 

暫くして、もう一度、

はい、これ誰?

誰でしょ〜?分かってる分かってる。メガネかけてるから分からんな。

(メガネを取り)はい、これでどうかな?

(目を見開いて、少し前のめりになり、じーーーっと私の顔を見る)

(再び)はい、誰かな?

◯〜さん。

(◯は合っているが、その後の、〜さんという呼び方はされたことがない)

◯〜さん?まぁ、合ってるか(笑)

自分が産んだ子、忘れるわけないやろ。

 

前にカンファレンスを受けた時、主治医が「取り繕い反応が見られる。」と言っていた。

 

この上記の会話は、普段冗談の多い母の場合、冗談とも取れるし、少し朧気な記憶を補う為に、 「分かってる分かってる」「誰やろな〜(笑)」と言っている気配も感じられる。

ただ、「自分の産んだ子忘れるわけないやろ」という言葉が聞かれたことは、母の記憶がその瞬間保たれていたことを表しているし、私にとっても胸にじんわりしたものが通り過ぎるのに充分だった。

 

「私、リハビリがんばってると思う」と発言したリハビリについても聞いてみた。

リハビリ頑張ってるん?

リハビリ?

うん、どこかに掴まって立ったり座ったりしてるん。

え?リハビリ?

そう、リハビリ。

•••••。•••••。

(徐ろに、パジャマの前身頃を両手で掴み)ビリビリ!(笑)

 

まさか、親父ギャグならぬ、おばさんギャグが飛び出すとは思わなかった(笑)

これが母の真髄だ。私に、療育の中で笑いを取り入れる下地を作ってくれた母らしさが、こんな時でも見られるとは。

 

恐らく、今日は「リハビリ」がよく分からなかったのだろう。それを、ビリビリ!と誤魔化したな?(笑)

 

義父が、

今月の終わりには退院できるように先生にお願いしてみるからな。今日は12日や。待っとれよ。

と母に話しかけた。

母が、

今月の終わり?今日、12日?•••••。まだまだやんか〜!!

と、暫く考えてから、返した。

 

見当識が弱くなり、何日、何時、何個、何人、といった数字に関するものは全て答えられなくなっていた母が、今日は12日と聞いて、月末までにまだ幾分か日数が残っているということを、本質的に感じ取って、「まだまだやんか〜」、と答えたことも、興味深かった。

 

そして、面会室では、絶えず笑い声が響いた。

実りある15分間だった。

 

絶好調だった母。リハビリの成果に少し安堵した義父。

 

でも、次回は分からないだろう。認知症の方は、日に寄って意識レベルに違いが出ると聞く。記憶も、スムーズに繋がる日と、繋がらない日があるだろう。

 

母から出た言葉を良く聞き、その時々の状態を把握することに努めながら、その一瞬一瞬を生きる母と、短くても楽しい実りある時間を過ごせたら•••と、思う。

 

滞在時間30分の和歌山を後にして、帰路に着いた。