認知症の入り口にいる、母の元へ行った帰り道、車で泉佐野辺りを走っていると、大きな月が出ていることに気づいた。
その位置はとても低くて、まだ山から顔を出したばかりの様だった。
私はこの、山から顔を出したばかりで とても低い、大きな大きな月が好きだ。
昨日はまだ時間が早く、空には青さが残っているが、私は真っ暗闇の中、月の光に照らされて少し明るい空と、山の影の2層に分れた夜空に月だけが光る、といった光景がとてもシンプルで好きだ。
そんな月を見ると、昔々、電気など無い時代の人々も、この風景を見ていただろうとか、昔の人がお団子を供えながらお月見をしていた気持ちが分かるなぁなどといつも思いを馳せている。
昨日も同じことを思いながら車を走らせ‥‥‥いや、厳密に言うと、夫が走らせてくれている車の助手席の窓から眺めていると、やがて場面は市街地に移り、月も建物の上に移動していた。
まだ青い夕空に光る月を ぼんやり見ていると、急に、「浮かんでいる」と感じた。
「月が浮かぶ」とは、こういうことなのか。初めて分かった気がした。
煌々と頭上で輝く、神々しい様と違う。
私たちの目線程の高さに見える月は、どうしてだか感情に訴えてくるような哀愁を感じさせる。それでいて、どこかホッとするような、優しさを醸し出している。
だからだろうか、幻想の世界に誘われるのは。