きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

不登校の子どもたち、そして日本の未来について考える。⑴

ずっと、考えていたことを、皆さんにお話したいのですが、かなり長くなったため、2回に分けてお届けしたいと思います。

是非、最後までお付き合いくださいませ。

 

 

私には、忘れられない不登校のお子さんたちがいます。

 

というか、出逢った不登校のお子さんたち、全員忘れられずにいます。

みんな、苦しく、もがいていました。

言葉にならない苦しさに、頭を抱え、泣き叫び、力の限り悪態をつき。

「学校なんて行きたくない!!!」と泣いているのに、その姿からは、「学校に行きたい!」という心のメッセージが聞こえてきました。

「友だちなんかいらない!!」と怒っているのに、「友だちが欲しい!」と寂しい心が伝わってきます。

先生方は諦め、お母さん方は混乱の渦の中。

みんな、どうしたらいいかわからない。

大人だけで相談し合う日々。

 

どうして子どもたちに聞かないの?理由は子どもたちが知っているのに。

「大人の都合」が邪魔をする。

 

本当は、シンプルな問題なのです。

いじめがあるなら、いじめを封印すればいい。ちゃんと、封印できる方法がある。

クラスに人が多すぎるなら、他の教室で少ない人数から始めればいい。

多くの人の目が怖いなら、みんなで見ないようにしてあげればいい。

笑われるのが怖いなら、笑わないようにしてあげればいい。

誰かが怒られていると、自分が怒られているような気がしてしまうなら、事前にあなたを怒ることはない、「もし誰かが怒られていても、あなたのことじゃないからね」と約束してあげればいい。

何をすればいいか分からないなら、隣で教えてあげればいい。

集中できないなら、集中できるように工夫してあげればいい。

学校が怖くて行けないなら、学校は怖いところじゃないよと教えてあげればいい。

先生も友だちも、みんな待っていて、仲良くしたいと思っていると伝えてあげればいい。

教室には入れないなら、「どこなら」入れる?と聞いてあげればいい。

「〇〇の部屋ならいけるかも」と言ったら、それは叶えてあげればいい。

先生に理解がないなら、先生に教えてあげればいい。

学校に理解がないなら、どうしてなのか?と学校にどんな都合があるのか聞いてみればいい。

友だちがいないなら、友だちを作ってあげればいい。

友だちなんて、たくさんいなくていい。一人でも話ができる人がいれば、それで十分なんだと教えてあげればいい。

あなたには、学校に行く権利も、未来もあるんだと教えてあげればいい。

 

そして、お母さんに側にいて欲しいんだ、と言われたら、お仕事を休んで側にいてあげたらいい。

寂しかったと言われたら、あなたが一番大切だ、あなたが大好きだ、と、大きくなっていても、恥ずかしがらず膝に抱えて抱きしめて、伝えてあげたらいい。

かまいすぎないで!と言われたら、少し離れて「信じてるよ」と言ってあげればいい。

みんな、あなたの味方なんだ、と教えてあげればいい。

世の中のこと、これからのこと、人と仲良くする方法、「分からないこと」を、教えてあげればいい。

「きっと、大丈夫だよ」と安心をあげればいい。

怖いこと、苦手なことには、少しづつ慣れるようにしてあげればいい。

何より、学校と担任の先生と、ご両親が連携し、心を一つにして良い関係を作ってあげればいい。

 

家庭の問題、学校の問題、いじめの問題、発達障がいなどの絡む問題、問題はたくさんあって一人一人対応策は違うけれど、一つ一つ、丁寧に、丁寧に、絡まった問題を解きほぐし、考え、根本に辿り着けばいい。出てきた課題に、一つ一つ、取り組めば、必ず糸口が見つかる。上手く行かないのは、きっとどこかにまだ忘れているところがあるから。

 

乱暴なようだけど、本当は簡単なこと。

だけど、みんな、コツを知らないんだね。

 

 

私の元に不登校の問題を抱えてやってきたお子さんたちは、ADHD自閉症スペクトラムの特性を持っていました。だけど、それだけではなくて、多くのお子さんが何かしらの家庭の問題を抱えておられました。

ご両親の不仲、離婚、下の子の誕生、引越し、所得の問題、健康、過干渉、ネグレクト、虐待、帰国子女、などなど。

その中で、一人でお留守番を小さい頃からすることを余儀なくされて、寂しい思いをしていたり、引越しで友だちを失い、新しい学校に馴染めなかったり。ご両親が体が弱くてお手伝いに忙しかったり、不安が多かったり。適切な養育をうけていないことも。

ゲームを家庭でのルールなく与えられ続けて、過集中から出られなくなったお子さんもおられました。いわゆるゲーム依存症です。

自分の困りごと(感覚過敏、集中力の低さ、過集中、対人不安、概念形成や体の発達の遅れなど)に加えて、自分では改善できない問題を抱えて絶望感を持つお子さんも多くおられました。

困難なことが重なって、どうしていいか分からなくなり、だんだん心の元気が失われていきます。

そんな時、ちょっとしたトラブルが起こっただけで、余裕のない心は対応がし切れなくって、過剰に反応してしまいます。

元気なら、反応しなくてスルーできることも、スルーできない状態なのでしょう。

でも、周りはそんなこと、なかなか気づいてくれません。

叱責が多くなったり、友だちがいなくなったり。

周りへの不信感や、溶け込めない気持ちは膨れ上がり、「学校」という集団の場に行くことが、より難しくなっていきます。

「どうしたの?」「何が嫌なの?」そう聞かれても、状況把握や自分や他人の気持ちの理解が苦手な子どもたちは、こんなざっくりした聞かれ方をしても、何から話せばいいか分からず、怒るか黙るかするしかありません。

「学校なんて行きたくない」「友だちなんて欲しくない(いらない)」と、苦し紛れに言ってしまい、誤解を受けてしまいます。

 

私が出会ったお子さんたちは、

誰一人、本当に友だちがいらないと思っていたお子さんはいませんでした。

誰一人、本当に学校に行きたくないなんて思っているお子さんはいませんでした。

そんなふうに言うことで、それぐらい嫌な気持ちなんだ!困ってるんだ!どうしていいか分からないんだ!という気持ちをぶつけ、表しているのです。

 

多くの大人たちは、この言葉を聞いてショックを受けます。この言葉「だけ」で、どうして良いか分からなくなって混乱します。

字義通りに受け取ってしまって、そんなに「行きたくないなら、行かなくていいのかも」と休む方向に行ってしまいます。

いじめや傷つく体験があったお子さんは、無理をしないで休ませた方がいいという風潮が強くなり、文部科学省も、「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある、、、という方針を令和元年10月の通達で打ち出しています。

国も、学校だけが目標じゃないよ、と言っている中で、お子さんにこう言われてしまったら、ご両親も、「そうなのか、無理に行かせようとしなくていいのか、、、。本当にいいのかな?」と思いつつも、休ませる方向により行かざるをえませんよね。

それが必要なお子さんもいらっしゃると思います。

 

ただ、自閉症スペクトラムの特性を持つお子さんたちは、勿論不適応などを起こして挫折感も抱いているし、友だちや先生から注意ばかり受けて自己肯定感が下がっているなど、傷ついてもいるのですが、それ以上に「家」が好きです。一度学校に行かなくていいと、家に籠る生活に入ると、外に出にくくなってしまいます。自閉症スペクトラムのお子さんはパターンで生きておられるところもあるため、毎日学校に行くとか、一日のうちに外出する、といった家から出るルーティンがなくなると、「家から出ない」が知らず知らずパターンに入ってしまうことがあるからです。そして、将来へのビジョンを自分では構築して持てないことが多いため、「このままいつまでも子どもで家にいることができる」と思っていることが多く、休憩をとって元気になっても、自分を見つめてこのままではダメだ、と自分から外の世界に戻ろうとする動機には繋がりにくいのです。

優しいご両親、特別不自由のなく快適な生活、特別に問題がなさそうに見受けられるご家庭のお子さんなら、特にこの傾向が強いかもしれません。

反対に、何かしらご家庭に困難がある場合、精神的なエネルギー不足だったり、登校するためのバックアップがもらえず自力では家を出れないケースも多いです。

そうやって、家に篭ったら、籠もっただけ、外に出ることに時間と労力を要するようになってしまいます。

コロナ禍に、自宅生活が続いただけでも、普段は不登校でもないのに家から出ることが困難になってしまったお子さんも多くおられて、また通常の生活に戻すのに苦労しました。

そうして、様々な理由で、学校に行くことができなくなってから、大人が慌てて登校刺激を頑張っても、期間が1年単位で長くなると、人と話したりやり取りしたり、譲り合ったり、折り合いをつけたりといった社会生活を送っていないので、社会性の発達の遅れが顕著になります。

私は、様々なタイプのお子さんたちに出会ってきましたが、例え重度の自閉症や知的障がいを持っておられても、大勢の人がいる学校で集団生活を送り経験を積んだ方は社会性の面でも集団適応の面でも大きく成長され、その後社会生活がスムーズなのに対して、先ほどのような、長く集団生活から離れたお子さんほど、本人が戻りたいという気持ちが芽生えてからでも、周囲と上手く合わせていくことが難しく、少人数であっても集団への参加が困難になっているお子さんもいて、なんとも複雑な思いを抱いてきました。

また、不登校になったものの、高学年になってから家庭内暴力がひどくなるお子さんも多いです。

そんなお子さんの話を慎重に聞き取りしていくと、どうやら自分では気づいていないのですが、心の奥底では、漠然とした将来への不安、学校に行けない自分、本当は友達と遊んだり話したりといった関わりが欲しい、学びたい、という欲求がふつふつと上がってきているようでした。

高学年ともなると、思春期の入り口でもあり、この行き場のない思い、不全感のエネルギーが高くて、自分の力では抑えが効かずコントロール不能になるのでしょう。それが暴力という形で両親や下の弟妹に向けられてしまうのでした。いくらお薬を処方されても、ふつふつと湧き上がる思いはなかなか治りません。

それを私と話し、言語化していくうちに、自覚が芽生えていきます。

話をするうちに、将来へも目が向き始めます。それまで、ただ知らなかっただけなのです。自分が将来大人になり、働いて生計を立てるのだということを。高校に行くことさえ、分かっていなかったお子さんもたくさんいます。知らなかった、分かっていなかったことに、誰も気づき、教えてくれなかったのですから仕方ありません。私と話して初めて気づき、焦り、どうしたらいいかと考え始めます。

そうなるとチャンスで、学校と相談し、受け入れの準備をお願いします。

双方から働きかけることによって、上手くいくと好きな授業や行事から参加が始まることができます。

ただ、人生の中で、気づきに遅すぎるということはありませんが、あまりにも遅れを取り戻すことが困難になっていて、ご本人が頑張ろうと努力しても、壁が分厚くて乗り越えられないことがあるのです。

なりたい職業が見つかっても、それに必要な学力や知識がなくて、断念せざるを得ないといったことが出てきます。

できれば少しでも早く、子どもたちに大人が「何のために勉強するのか」、「学ぶとはどういうことか」を懇々と教えてあげることができていたら。少しでも早く、子どもたちを目覚めさせてあげることができていれば、その子なりのスピードでもいいので、ある程度の社会性や学力を、スモールステップで身につけてあげることができたかもしれません。

私が出会ったお子さんたちは、不登校になり、学校を巡回指導する先生も手立てがない、手遅れだ、学校にはもうできることがない(登校させなかった段階で)、と突き放したケースでも、半年で学校に戻っています。

 

小学校で介助員をしていた時は、クラスのお子さんが不登校になりかけて、担任の先生が「フリースクールに行くことも仕方ない」と諦めかけたとき、「教室は無理でも、他ならどこがいいか?どこでもいいから、そのお子さんが学校にいられる居場所をなんとかして作ってあげて欲しい、例えその子が一度は拒否しても、あなたを見放しはしない、いつでも待っている、居場所を作る用意がある、ということを、何度でも言ってあげて欲しい、学校の中で、いつでもそれが可能なように、相談や調整をして欲しい」と訴え、担任の先生が行動を起こしてくださった事で、フリースクールにも週に2日ほどは通いましたが他の3日は別室登校で学校に通う道を残すことができました。そしてその3日の間にケアをしたり、個別学習をして手厚く受け入れていく内に、嬉しいことに、やがてそのお子さんはフリースクールを辞め、教室に戻って来ることになりました。フリースクールは、他にもお子さんたちは通っていますが、学年が違ったり、気の合う人が少なかったりして、友だちがいないというのが主な理由でした。

フリースクールに通う他のお子さんたちの中にも、同じように友だちができなくて寂しくなった、クラスの友だちが恋しくなった、という理由で、学校に戻るケースを何人も知っています。学校にいつでも戻れるように居場所を作り、呼びかけをしてもらっていたお子さんたちでした。

功を奏したのは、不登校気味になってから、あまり長期になっていなかったことでした。

子どもたちも、長く学校を離れると、例え戻りたいと切に願っていても、いえ、願えば願うほど、今さら戻っても受け入れてもらえないのではないか?みんなから何か言われるのではないか?と不安にかられるようです。

だから、戻るなら早めがいい。お子さんの言動に少しでも戻ろうか?と迷いが見られだしたら、周りの大人も心や環境調整の準備を水面下でして、チャンスを逃さない方がいいのです。白鳥の様に、水面下では調整にバタバタ足を動かしていても、水面より上の見えるところではゆったり優雅に接してあげると子どもたちは過度なプレッシャーを受けずに済み、成功しやすいです。

子どもたちが復帰するには、環境調整ありきですが、本人の認知の歪みも少しずつ直してあげなければいけません。ちょっとずつ、思い違いをしていますから、それを丁寧に言い換えて、直していってあげるのです。それと将来へのビジョンと勇気を手渡してあげることが必要です。

 

療育の場で出会った不登校のお子さんたちも、学校に何度も掛け合い、お子さんたちの特徴と対応方法を説明しました。先生方も、よく知らない場合が多いのです。先生方にもプライドがありますから、そのプライドへの配慮は忘れないようにしながらも、ただ子どもたちへの理解を進めていただくために説明していることを、丁重にお話すれば、心ある先生方の大半は耳を貸してくださいます。

すぐに上手に関われなくても、少しずつ理解を進めてもらえるように密にコミュニケーションを取ります。

話し合いは、担任の先生だけで止まらないように、できれば教頭先生、校長先生にも丁寧に話されて、共有していただくとより良いです。

子どもたちの復帰は、保護者と先生、学校の協力が不可欠です。

保護者は学校という大きな組織を前に、たった一人の個人として向き合うことに、大抵の方は極度に緊張します。プレッシャーから、思わず強めに言い過ぎてしまうこともあると学校の先生方は理解してあげてください。子どもを思う親の必死な気持ちの表れと、なるべく良く理解してあげてください。

先生もまた一人の人間。40人近い子どもたちを一人で纏め、大変だということは忘れずに、難しければ、学校にはたくさん他にも先生がいらっしゃるので、どなたかは話を分かって下さる方がいるでしょう。

そして、学校の先生というのは、ある意味専門性を持っていて、それへの自負というものを強く持っておられます。その自負があるからこそストレスだらけの教師というお仕事を続けていけるわけで、もし、あまりにもその自負を砕いてしまったら、教壇には立てなくなって、たちまちクラスみんなが困ってしまうことにもなりかねません。

「学ぶとはどういうことか」でも書きましたが、教育は商品ではないので、消費行動の様にあまり突き上げすぎてもいけないわけです。その辺り、とても難しいのですが、お互いがお互いを労り合いながら、一番困っているお子さんの為に力を合せて、知恵を出し合ってもらえると、必ず良い方向に動き出すと思うのです。

 

続く。

 

 

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