スティーブ•ジョブスが、大学で卒業生たちに向けて、スピーチをしたことはあまりにも有名です。
私のパソコンはWindowsで、Appleではないし、スマホもAndroidというところからもお分かりのように、スティーブ•ジョブス信者では全くもってありません。
だけど、その大学でのスピーチや、昨日Upした動画にもあるように、何もないところから形あるものを創り上げ、運命の波に翻弄されながらも、決して諦めることなく情熱を燃やし続けた、その熱い思いと闘志は、全く比べようがない小さな私の世界ではあっても、強く、共感せざるを得ないのです。
誰かから、直接成功への道筋を教えてもらった訳ではなく、自分のアンテナを広く伸ばし、一番何もない所から情報を集めたり、思考を重ねつづけ、1つの体系を構築することは、容易なことではありません。
何度も何度も辛酸を舐めながら、でも一歩一歩歩みを止めないで前進するには、並大抵の精神力ではできないことです。
世界の誰もが知っているように、スティーブ•ジョブスは、仕事着さえも選ぶ労力を省き、仕事に没頭していました。
その仕事を愛しているから。辞めようかと思っても、その想いが沸々と自分の内から込み上げて、大変だった思いもすぐ、どこかにいってしまうのでしょう。
スティーブ•ジョブスの言葉が響いたのは、それが誰かからノウハウを教えられて身につけたことではなく、一つ一つ、一歩一歩、自分で見つけ、自分で考え、自分で身につけていった人特有の力が、その言葉に宿っていたからです。
私が、発達障がいの息子を育てたのは、まだ今のように発達障がいへの理解も、放デイのような制度も、何もない時代でした。
その時の家族や幼稚園、学校の先生方の理解を得るために、必死で考え独学で勉強しました。
時に、前夫に、世の中でも変えようと思ってんのか、などと罵られながらも、困っている息子の為に、奔走しました。
真っ暗なトンネルの中を進むような、何も確かな物がないような不安な道を、手探りで進みました。
途方に暮れ、どうしたらいいか分からなくなっても、止まることはできませんでした。何故なら、私は息子の母親だからです。
世の中のニュースを見ながら、将来に想いを馳せ、万が一この子が何か問題を起こしてしまったら? そう思うと、投げ出したり逃げ出したりすることはできませんでした。
その後離婚をして、自分1人で子どもたちを育てることにした時、その全責任が私の肩に覆いかぶさったような、そんな気持ちがしました。
そんな中、学校の先生方が、お導き下さり、小学校の介助員になりました。
そこでは、重度の自閉症のお子さんお二人と出会い、誰も接し方や学習の進め方や、コミュニケーションが分からないところから、側につく者の責任として、本屋を回り、手がかりを探して、模索する日々が始まりました。
重度のお子さんを含め、自閉症のお子さんたちというのは、私たちとは全く違う体の反応を持ちながらも、私たちと、同じ人間性も持ち、その世界は豊かで素晴らしいものです。
学校の先生も、お母さんであっても、まだ見えていないその世界を、そのお子さんたちの世界に1度入り、感覚として捉え、理解して伝え続ける道は、険しいものでした。
定型発達のお子さんの中で、自閉症のお子さんたちが、周りとバランスを取りながら、共に育つには、人権感覚というものが大切になりました。
時にはクラスの友達たちに砂をかけられながらも、その子たちの切磋琢磨する姿を見せた時、僕たちと一緒なんだ!とクラスの友達たちが、本当の意味で理解するには丸5年かかりました。
一年余り、その子たちの放課後の様子が知りたくて、学童にも兼務で入り、その困難さを目の当たりにして、この時間すら療育に充ててあげることができたら、との想いで、療育の世界に飛び込みました。
誰も、正解を知らない世界で、安心して子どもたちが過ごし、適切な支援を受けるには、指導員の先生たちの質を高めることが必須でした。
皆んなが皆んな、私のように本気で療育に取り組もうと思って来るわけではないので、そんな先生方に、障がいを持ったお子さんたちの素晴らしい世界を伝え、お子さんたちのその人格が外に現れるような関わりの仕方を、時に、反発を受けながらも伝え続けました。
知人たちからは、そんな、理解が得られないところは、辞めたら?という声もかかりましたが、どうしても辞めることはできませんでした。
障がいを持つお子さんの中には、強度行動障がいを持つお子さんもいらっしゃいます。発語がなく、言われたことを理解したり、自分が伝えたいこともままならず、二次障害を起こしている人たちです。何とか本人たちの想いを汲み取り、私たちは、あなたの味方だよと知ってもらうことは、困難を極めました。
例え強度行動障がいを持つお子さんであっても、成長過程にある方たちには、善悪を伝え、行動の抑制力を身につけて、他者と適切な関わる力を養ってあげることは大切です。
どんなに強固にアピールしても、ダメな時はダメなんだ、、、と折り合いをつけることを知ってもらうのは、将来成人した時、その方たちが周りに理解され、穏やかに過ごしていく為にも、取り組まねばならないことの1つでした。
上手く理解に入らなかったり、何かのきっかけで興奮してしまったら、パニックを起こしてしまい、他害に繋がってしまうことがあるので、周りのお子さんや指導員を端に寄せ、1人対峙するときなどは本当に一寸の予断も許さない状況で、冷や汗をかくこともしばしばありました。
このまま教室を続けることが出来るだろうか?と、判断を迫られるような状況でも、小学校で出逢った2人のお子さんが、誰もが不可能と思ったことを打ち破り、自分の意志で、周りの他者ととても良い関係を築き、更には指導員の様に他の幼いお子さんに関わりだした姿を見せてくれ、やはり、今、困難なお子さんたちも、適切な関わりを積み上げれば、決して不可能ではないと、また前を向いて歩きだせたのです。
障がいを持ったお子さんたちが、突発的に周りに危害を与えてしまった時、それは、そのお子さんが悪いのではなく、周りの関わり方が良くなかった為で、そのお子さんは、ある意味被害者なんだ、誰1人、被害者にしないゾという気持ちを強く持って、周りに周知し、チームのスキルアップを図っていくのにも、何年も何年もかかりました。
今、そのお子さんたちは、誰も行動障がいを起こさず、分別をわきまえて、周りと楽しく良い関係が築けるように成長されました。
また、私の周りには、療育に目覚め、療育者として意志を継ごうと情熱を燃やし始めた先生方がまた1人、またもう1人と現れ出しました。
信念を持ち、情熱を燃やして、常に不屈の精神で行動する姿をただ見てもらうだけで、その見ている人たちの内にも、情熱の炎が燃えだしたのを感じて、途中で諦めて辞めていなくて本当に良かったと思いました。
今でも、療育のことを考えると、私の内なる炎が燃えだします。
障がいを持ったお子さんたちが、他者と上手くコミュニケーションが取れるように、そして、それを支援する人たちを育成するためには、ずっと学び続けることが必要でしたし、茨の道が続いていましたが、生涯の内で、いつも心に炎が宿る、そういうものに巡り合えたこと。そして、そこに至るまでの過程で出逢った人々と、そこに介在する意味ある1つ1つの出来事と、今、志を共にする人たちが周りにいてくれると感じられること。不屈の精神を持つ人たちが集まってくれていること。
例え職を離れたとしても、、、。
それが私の宝物です。
昨日Upした、スティーブ•ジョブズの動画を見る度、それを再確認せずにはいられないのです。