きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

大切なのは真心。

私の初めての仕事は接客業でした。

2000人近い従業員が働き、ターミナル駅から流れ込む人、人、人。

店内は従業員と利用客とで毎日ごった返しです。

勤務中は四六時中、四方八方どこから見られているか分からないので、常に立ち姿に気を配っていなければいけませんでした。

 

朝は早番なら朝礼があります。

挨拶やお辞儀の仕方。発声練習。そして表情筋の体操。

みんなの前で、リーダーの先輩が、お手本を示してくれます。

はい、目を右、左、ぐるぐる〜!

口の中で舌を唇と歯茎の間に入れてぐるぐる〜!

口をすぼめて、目を真ん中に寄せて〜。

 

リーダーって大変だな、と思いながら、若い私は笑いを堪え、模倣しました。

 

接客業にとって、笑顔は命。

常に口角を上げておかなければいけません。

 

時々、研修でロールプレイングも行われました。

天の邪鬼な私は、講師から「やってみましよう」と言われても、皆んなが見ているその場では、笑顔全開になったりしません。無愛想な受講生です。

でも、売り場に戻ったら、今習ったばかりの言葉を、そのままでは使わずに、自分流にアレンジしてから、そして笑顔全開でお客様に向き合いました。

 

売り場に立てば、私は女優(だと思うようにしていました)。スポットライトを浴びているように立ち振る舞えば、華やかさが演出されて、自然とお客様が寄ってきてくれました。

高額な商品を買いに来られたお客様には、そんな華やかさのある接客をすることも、サービスの一環だと考えていました。

 

10年近くその仕事を務め、結婚、出産を機に退職して、専業主婦になりました。

 

義理の両親と同居生活の毎日で、ある日はたと気づきます。

普通の日常生活の中では、常に口角上げる必要なくない?と。

いくら義理の両親と一緒でも、お客様に向けるような笑顔はいらない。逆に不自然だよなぁと。

そんな時、親族のお葬式がありました。

お葬式だから、笑ってはいけません。

笑ってはいけないはずなのに、気づけば自然と口角が上がります。

ダメダメ、口角上がっちゃおかしいよ。そう思うのですが、10年近く、毎日常に努力しただけあって、その表情が癖になって、自然でフラットな表情には戻れなくなっていました。

 

そういうことがあってから、私は口角を「上げない」練習を始めました。

笑いたく無い時に笑わなくていい。

笑いたい時だけ笑えばいい。

腹が立つ時は怒ればいい。

私は怒ったっていい。

力を抜いた自然な表情で、その時の気持ちが自然に滲みでるような、そんなナチュラルな自分になりたい。

 

二十代後半の私が、自分に許可を出した瞬間でした。

世の中の流れからいくと、それは逆行だったかもしれません。でも、笑顔の仮面は、もう外すことにしたのです。

 

今、いつもにこにこしていた頃の私はもういません。

代わりに、、、

眼光の鋭いオバさんがいます。

 

でも、私は今の私の方が好きです。

眼光は鋭くても、子どもたちは「◯◯先生からは愛を感じる」と、言ってくれます。

 

新しいお子さんが見学に来た時も、一度も嫌われたことはありません。

私は教室では一番最初に接する者だから、失敗は出来ません。

お母さんに連れられて、どんなところか不安に駆られてやってくるお子さんが、「この人なら」と警戒を解いてくれるために、気をつけていることはあります。

 

それは、、、。

 

相手の目線の高さに腰を落とし、しっかり目を合わすこと。

最初にしっかり「〇〇と言います。よろしくお願いします」と自己紹介すること。

そして、そっと手と手を合わす時に、こちらの心が手から流れ込んで伝わりますように、と想いを込める、ということです。

 

自閉症のお子さんは、目が合いづらいとはよく知られていることですが、本当は、しっかり目は合うのです。

お子さんが、この人なら合わせてもいいかも、と思ったら、チラッとこちらに目を向けてくれます。そのタイミングを決して逃さずに、「大丈夫だよ」という気持ちを目に込めます。

 

このポイントを、しっかりと自分で理解して行うと、これだけで初めてのお子さんともう「愛着形成」が出来てしまいます。

お子さんにとっての安全基地になるのです。

 

関係性ができた子たちには、ダメなことはダメとはっきり伝えます。

他の大人なら、根負けしたり、どうしていいか分からなくて優しい人のふりをして要求を通してしまうところでも、揺るがず対峙します。

なぜダメなのか、時間がかかっても、決して逃げずに話し合います。

「もしこれが私の子だったら、きっと通すことはできない。私はあなたのことがとても大事だ、大好きだからこそ、この要求は通せない」

という想いを込めて、本気で向き合ってさえいれば、どんなに怒られた子たちでも、

「◯◯先生からは愛を感じる」と、こちらの想いは伝わるのです。

 

 

日本人は、「笑っていないといけない」という強迫観念にかられすぎているなあと、この頃やけに感じています。

 

相手が笑っていると、ホッとしますね。

とっつきやすくて好かれます。

でも、心の中は違ったら?

それってかえって怖すぎませんか?

 

それって、自分が安心したいから、その人のそばにいませんか?

それって、本当は自分が好きなだけじゃありませんか?

その人が、もし怒っても、好きでいられますか?

怒ったことが許せない!と思いませんか?

周りから、そう思われたら困るから、余計に怒れずに笑って我慢していませんか?

そんな人間関係でいいですか?

 

 

嬉しい、楽しい、喜び、可愛い!愛おしい、大丈夫だよ、と、心が本当に感じたら、自然とそれは目に表れます。

ちょっとした目の動き、目尻、目の奥の光、そういったところに宿ります。

 

労りの気持ち、寄り添う心、愛情は、そっと相手にかけた手の温もりに篭ります。

 

そんな、さりげなさにこそ、真心は現れます。

 

華やかさはないけれど、そんな人からは誠実さを感じるでしょう。

 

大切なのは、真心なのです。