きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

失いつつある力。

「何かが違う」と感じたことはありますか?

理由は分からないけれど、「何かが違う」というやつです。

 

いつも食べている物なのに、今日は「何かが違う」。

毎日会っている人で、服装や髪型が変わっているわけでもないのに今日は「何かが違う」。

教室、または職場に朝行くと、いつもと空気が「何か違う」。

この人が言っていることは「何かが違う」。

 

というような「何かが違う」。

この、何かが「違う」という、「違い」に気づくことができるのは、ある種の力ですが、この力は、動物たちも持っている力だそうです。

 

飼い犬に、お薬を飲ますために餌の中に混ぜたり、練り込んだりしていると、食べかけたのに止めてしまい、その後どうしても食べてくれない。とか、野生の動物を捕まえようと、分からないように工夫して罠を仕掛けたが、動物は警戒していつも通るその場所を避けて通って行った。というように、動物も「何かが違う」と分かったのだろうか?と考えざるを得ない行動をすることから見ても、それは分かると思います。

 

生きていく上で、「違い」に気づける力というものは、無くてはならないものなのだから、なのかもしれません。

 

何かが「違う」ということを本能的に見分けることができないと、生き物たちは生きていくことが困難になるのかもしれません。ということは、「違い」を見分ける力は本能だということができるのでしょう。

 

ところで、人間には他の動物とは違う能力があるそうです。

それは「同じ」を理解する力だと、養老孟司さんは著書である「ものがわかるということ」の中で書いておられます。

 

ここで、その本に出てくる文章を。

『意識は脳の中で発生する能力と思われるので、その脳の中に入ってくる「入力」は知覚あるいは感覚と呼ばれます。感覚は世界の違いを捉えますが、ヒトの意識はそこから「同じ」を作り出します。「同じ」という能力は、ヒトの意識の特徴と言っていいと思います・・・・・「同じ」という能力は交換を生み、お金を生み、相手の立場を考えるという能力を生み出します。』

 

この文章を読んでも分かるように、私たちヒトには分類する力というものがあります。

 

例えば、

耳は大きく三角形で、顔や体はとても小さいチワワ。

毛がカールして抜けにくく鼻が細くて体が小さいトイ・プードル

鋭い目と牙を持ち、筋肉質な体を持つドーベルマン

美しくなびく長い毛に、しなやかで長い手足と体、優しげな顔を持つアフガンハウンド。

この全く「違う」4種の動物たちを、私たちは「犬」という言葉で括って一つの仲間に分類しています。

 

相手の匂いを頼りに大群で列を成し、甘い物に群がる蟻。

両手に大きな鎌を持ち、獰猛に餌を捕食するカマキリ。

大きく美しい羽を持ち、花から花へとひらひら舞って、花の蜜を吸う管を持つ蝶々。

細く長い4枚の羽と大きな複眼を持ち、自由に高速で空を飛び回る蜻蛉。

この全く違う特徴を持つように見える4種を、どうして私たちは「虫」と呼び、 同じ仲間だと一つの括りにすることができたのでしょうか。

 

私は小学校に勤めていた時、重度の・・・

 

 

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重度の自閉症と知的障害を持つお子さんの、潜在的に持つ「分類」の力についてと、私たちが失おうとしている力について書いています。

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