人は誰でも一人や二人、行動や言葉に大きな影響を受けた人がいるはずです。
お父さん、お母さん、学校の先生、先輩、友だち、はたまた年下の可能性だってあります。もっと広く言うと、本に書かれた言葉や内容の場合もあるかもしれません。
言葉や行動や、その存在によって魂の成長を促し人生を導いてくれる相手。そういう存在をメンターと言います。
私には、心のメンターが四人います。
大人が二人、子どもが二人です。
大人のお一人は、私の人生のメンター。進むべき道を指し示してくれる羅針盤です。物事を判断するときの基準、道徳観や倫理観、教育とは何か、そして、人を信じるということはどういうことか、を教わりました。
もうお一方は、仕事のメンター。今の仕事に繋がるきっかけを下さり、迷った時の相談役になって下さいました。
子どものメンターの二人は、私が小学校の介助員をしていた時、初めて出会ったお子さんたちです。
重度の知的障がいや自閉症を持っていましたが、お二人とも素晴らしい人格の持ち主でした。私に自閉症の世界を見せてくれて、どうやって接すればいいか、言葉や文字の獲得がどういう風に発達していくのか、を身を挺して教えてくれました。
今から14年前から4年間の間に、この四人ともに出逢い、様々な形で未だに繋がりがあります。
この四人との出逢いがなければ、今、療育の仕事をしている私はありませんでした。
不思議な出逢い。
何か、他力の大きな流れによって巡り合わせられた、かけがえのない出逢いです。
人や物との出逢いが、自分にとってどういう価値や意味があったのか付与していくことを「意味づけ」といいます。
何気なく過ぎていったように思う年月も丁寧に振り返り、この意味づけをすることによって、気づかなかったことに気づいていけるかもしれません。
ただし、それは前向きな意味づけであることが大切です。
そうすれぱ嫌な思い出だったと思っていたことが、実はその後大きな変換期に備えて必要な成長を促してくれていたと気づき、これからの人生に、光が差すかもしれません。
自分の力ではどうすることもできない大きな流れ。それを親鸞聖人の言葉を借りると他力というそうです。
自分は人や物との出逢いによって、どこに導かれ、どんな役割を持たされているのかと、これまでの人生を振り返って考えてみるのも良いかもしれません。
台風で家に籠らざるをえない時間や、これからの秋の夜長にいかがでしょうか?