きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

小さな兄弟の小さな物語。

療育の仕事をしていると、障がいのある兄弟を持つお子さんのお悩みを、お母さんを通して聞かせていただくことが多いです。兄弟の障がいが重ければ重いほど、そのお悩みは大きいものかもしれません。

お母さんは兄弟につきっきりで、なかなか甘えたい時に甘えられなかった、自分のことも精一杯なのに兄弟の面倒も見なければいけない、落ち着いて勉強ができない、叩かれたり噛まれたりするからハラハラ、他者の目が気になる、など、さっと考えただけでもこれだけあります。

でも逆に、兄弟は、どんな小さなことでも出来れば拍手喝采で誉められる。いつもみんな兄弟のことばかり。○○ちゃん○○ちゃんとみんなが兄弟を見ている、僕なんてこんなにがんばっているのに兄弟のことばかり、時には僕に○○ちゃん、こんなに凄いんだよ~と言ってくる人までいる、とその子にしか分からないとても複雑な心境もあるようです。

中には、重さの違いがあるけれど、そのお子さんにも軽い発達障がいがあるケースもみられます。一緒に療育の場に通い、自分も療育を受けながら兄弟が受けているところもみているので、また更に複雑な気持ちがわくようです。

例えば、

自分ががんばろうとしていることを邪魔されてしまう。

みんなの遊びを邪魔しているのを見ると、やるせない気持ちになって、腹が立ってしまう。

自分が兄弟として、ちゃんとさせないと!という責任を感じてしまう。

誰よりも自分が兄弟のことを知っている。

兄弟が葛藤しているのを見ると辛くなる。

など。

幼いながらもこれだけの思いを感じ、毎日一緒に過ごしているそのお子さんにもケアが必要です。

 

私のところにはそんなご兄弟たちがなん組もいらっしゃいます。

まだ言葉をもたず理解も難しい兄弟を持つお子さんが来られた時は、まずその子の活動の安全を確保して保証し、療育に来た時はお互い一人の個人として過ごしていいことを伝えます。例え兄だったとしても弟のことは指導員の先生に任せていいことを徐々に理解してもらいリラックスしてもらえるよう配慮します。兄弟がみんなの注目を集めていたら、一人にしない為にそっと側にいき、何気なく話しかけます。離れるときにそっと背中に手を添えてあげるとそれだけでフワッと満たされたお顔になります。きっと、私が何も言わなくても、私が自分の気持ちに気づいて来てくれたんだということに気づいていたのでしょうね。

ところで、重度の困難をもつ兄弟の方についてはゆっくりと、でも確実に、生活を送る上で優先度が高いことから順にスモールステップで療育を行っていきます。

例えば「手を洗う」なら、お弁当やおやつの前の同じ場面でその子の視界に入るところで、「おやつだよ」と物を掴んで口にいれる動きをしながら言って、その後に両手を合わせてこすりながら「手を洗う」と言います。一度で伝わらなければ何度も繰り返します。日々の中で繰り返し行っていくと次第に理解して、その内言葉だけでも行動に移せるようになります。

年月はかかりますが、愛着形成を行い、彼らの世界にこちらから入り、その世界で遊び、徐々にこちら側の世界の遊びに誘導していきます。私たちを認識してもらい、関心が出たら模倣の力を養います。そこまでこれたらしめたもので、学ぶ態勢が出来たので、一緒に運動したりルールのある遊びに参加したりして、私たちは何かを自分に伝えようとしている存在なんだと分かってくれたら、自分から「教えてほしい」と例え言えなくても動作でアピールしてくれるようになるのです。

経験とはすごいもので、諦めず、粘り強く、このスモールステップを踏むことを続けていくと、まさかのミラクルな瞬間に出逢えることがあります。

発語もなく、なかなか模倣も難しかったお子さんを「だるまさんがころんだ」に誘った時のこと。何をするのか分からないからなかなか来てはくれませんでしたが、私の声のトーンや誘い方から、どうやら楽しいことに誘ってくれてるみたいと分かったのか、気持ちを切り替えて私の手を取って立ち上がりました。

鬼が「だ~るまさんが~こ~ろんだ!」と振り向く度に「ストップ」と優しく言って一緒に止まります。

嫌がらずについてきてくれます。

誰かが鬼にタッチをしたら「にげろ~」で一緒に走ります。

鬼からストップの声がかかり、一緒に止まって鬼が次の鬼を決めるためにタッチしにくるのを待つ、というのを三回も参加できました。

それだけでも大躍進。充分だったのですけれど、最後に鬼の役だけ、その子と私で体験しておこうかなと思い立ち、もう一度誘って鬼の立つ場所へ。

他のみんなはもう疲れたらしいので、一緒にセリフだけおさらいすることに。わたしがセリフを言って一緒にふり向くだけ・・・と後ろを2人で振り向いた時、視線の先には疲れたはずの友だちと、この子の兄弟が。

みんなニコニコ立っています。(え?みんなやってくれるの?)

あまり悠長にはできません。鬼さんがイヤになってしまったら台無しです。すぐに「だ~るまさんが~・・・」と始めました。

三回ほど繰り返し、タッチされて10数え、「スト~ップ!」

止まったみんなの元に、指定された歩数で近付きます。通りすがりに手の届く友だちにタッチ。最後にこの子の兄弟にタッチ!

なんだかみんなの笑顔がキラキラみえます。とても温かい雰囲気。なんだか感動してしまいました。

 

帰り際に、この重度の兄弟をもつ子に聞きました。

「ねぇ、今までに○○ちゃんと、こんな集団の遊びを一緒にどこかでしたことある?」

「ううん、初めて!」

そうだよね~、生まれて初めてだよね。こんな風に一緒に遊べるなんて。 

重度の障がいを持つ兄弟と、一緒に遊べた喜び。兄弟がそこまでできるようになったんだという驚き。そこに妬んだり僻んだりする気持ちはなく、目を細めて兄弟を眩しそうにみる彼が立っていました。

その瞬間に、立ち会うことができた幸せ。

 

4年9ヶ月かかりましたが、その大変さも吹き飛ぶほどのご褒美をもらえました。