地震が起こったとき、必ず思うことがあります。
原っぱに住めばいいんじゃない?
阪神、淡路大震災が起こったとき、私は西宮の被害が大きかったところの割りと近くにいたので、町の建物が半分は倒壊した惨状を目の当たりにし、地震が起こる度そんな風に思うようになりました。
津波は避けることが出来ないけれど、建物の倒壊は避けられる。
建物は人間が作った物だから。
梁が太くてりっぱな家ほど、直下型の大地震の時には家が崩れて、大勢の人がその下敷きになりました。
立派な家具や大きなテレビは飛んできて、それ自体が凶器にもなりました。
でも、どれも人間が作った物なんですよね・・・。
大震災の後、震災グッズは種類も増えて、耐震設計の建物が建てられるようになりましたが、一昨日のように例え震度3でも恐怖がなくなったかといえば、けしてそんなことはありません。
でも、ふと、これ、原っぱだったらどうだろう?
太古の昔の人のように、地震の原因が分からなければ、神の祟りかとそれこそもっと恐れおののくかもしれませんが、プレートが跳ねたんだなぁ~と分かっていれば、
「あぁ、地球さんが動いてるんだ」
で済むかもしれません。
地球側から考えてみたら、
「ちょっと伸びをしただけなんだけど、背中の人たちがやたらと大慌てして困るなぁ」
なんて思うのかもしれません。
もし、建物がなかったら、家財道具がなかったら、あれだけの人が大変な被害に遭わなくてすんだのかもしれない。今の人間は、自分の作った物に恐れおののいているんだなぁ。普通の地震に関しては、動物たちの方がまだ落ち着いているかもしれない。
いっそ、原っぱに住めたらいいのに。
地震が来たってへっちゃらなのに。
雨風や、暑さ寒さを凌ぐには、やっぱり家は要るんですけどね。
2度と忘れないぞと心に刻んだのに、年月が経つ中で緩やかに怖さは薄れ、また家具や壊れ物が家に増えていく。
こうして、ある意味忘れる機能があるから、人間は生きてきたのかもしれません。