先日、友達が遊びに来た。
彼女とは、小、中、高校と同じで部活も同じという数少ない貴重な友達だ。
といっても、中学3年間の内、2年間は私が家庭の事情で隣の学区に引っ越して転校したので空白なのだけれど、また高校で再開し今に至る。
お互いに社会人になってからは数年に1度、他の友達を交えて会うことがあるくらいだったが、この所急速に関係が縮まり、出逢ってから41年目にして初めて2人で会うことになった。
結果的に、とても楽しい濃い時間を過ごすことができた。
何が楽しかったのかというと、学生の頃は同じグループに属してはいても、お互い他に仲良しはいて、さほど濃い関係性ではなかった。かえって、それが少し距離のあるところからお互いを客観視していて、41年目にして話し合う、ということになったのが新鮮だったんだと思う。
お互いに、相手が子どもの時に抱いていた印象や、大人になってからの変化を見てきてはいるけれど、実際に相手がその時どんな思いでいたのか?については、今だからこそ分かることも多かった。
相手というのは鏡の存在だから、今そばに来た相手がどういう風な人なのかや、相手の言動、反応を介して自分というものが分かる。
そういう意味でも、自分のことを小学生から知っている人から得られる情報というのは貴重で参考になった。
考えてみれば、女性同士の友達というのは、ママ友なら子ども同士のケンカや、習い事、少し大きくなれば成績を無意識に比べたりして、なかなか手放しでリラックスした関係を作るのが難しいし、同級生とは結婚、出産の時期の違いや、配偶者の仕事の都合の影響を受けやすく、本人たちの意志とは関係なく疎遠にならざるを得ないことがある。
上手く関係を保って長くつき合っていても、子供時代から大人になるまで友達同士の関係性は、長い年月の間に変化も生じ、難しくなることがある。ポリシーというものが出来て、相容れないことが増えるからなのかもしれない。ましてや、我が子になんらかの特性があったりすれば、更に複雑な気持ちが絡み、複雑化する。
女性とは、性やら業やらが、なかなかに濃い生き物だ。
子供たちを見ていても気がつかれるかと思うけれど、一対一の関係を好むことが多い。
だから3人というのは難しいということも昔から言われてきている。
女性はひそひそと相手と親密に会話するのも好きなので、大勢で1度にワイワイとなりにくいのかもしれない。
下手をすると抜き差しならない関係になったりするから対応に困ることもある。
女同士の空気感を読めないと、仲間はずれにされることも多い。
日本人だから特になのかは分からないけれど、「一緒」「同質」であることを求めるのも特徴の一つなのかもしれない。
これらは女性という質としての難しさだが、また別に、上記したような人生の中での役割の多さというものも「友達関係の難しさ」にはあるのだろう。
奇跡的に、学生時代からの友達や、ママ友たちともスッと仲良くなれて、良い関係性を結ぶ条件に恵まれることが出来ればそれは間違いなく希少でラッキーで、幸せなことなのだろう。
兎にも角にも、そんな中で感じたことを長年の関係性の上に歯に衣着せず発してくれる友は大事にしたいものだ。
(これはシロガネヨシ)