きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

心がスパークした煌めき。

昨日、五歳ほど年下の職員と話をする機会があった。

私との間にいた職員が退職して、実質上彼女が今は職場のリーダーとなった。それまでにいたリーダーと違い、感情に起伏があると自分でも自覚があり、一見取っつきにくそうだ。実際、これまで私との間にも穏やかな風ばかりは流れていなかったが、彼女も、初めてのこの療育という難しい仕事の中で切磋琢磨し、このところの成長は目覚ましいものがあった。

よく見ていると、彼女は起伏はあるが、かなり周りの人に配慮した発言もあるし、陰であることないことを言ったりもしない。時々不満も噴出するけれど、よく聞けば最もな内容だったりする。周りをよく見ているし、何より子どもたちに誠実に向き合おうと頑張っていた。不安があった中でも一歩ずつ自分の気持ちに折り合いをつけながら勤務してもうすぐ3年が経とうとしている。

 

彼女が入社して暫くはお互いにプライベートも交えた会話があったが、いつしか業務上の会話が主になっていた。コロナ禍で黙食になった影響も大きかったと思う。

そんな中で、先のリーダーが退職することになり、にわかに私と彼女は意志疎通する必要性が高まっていった。

元々、前職で店長も務めたことがあった彼女は、きっともっと仕事をする上での力を持っていたのだろうが、間に前リーダーがいたので遠慮していた節があった。穏やかでない風も、私と前リーダーとの間に入ることができない空気を感じていたが故だったのかもしれない。

私とは違うタイプの彼女も、仕事として本当はもっとコミュニケーションを取りたかったし、認められたかったのではないか?と、私も理解が進んでいた頃だった。

新リーダーになってから、始めは仕事上最小限度のコミュニケーションだったかもしれないが、次第にお互いの認識のすり合わせをする場面も増えていった。

私は仕事での人間関係は、仲良しこよしでなくてはいけない、とは考えていない。初めは全く知らない者同士なので仲が良い訳がなく、仕事を進める中で、「この仕事はあの人に任せれば間違いない」といった信頼関係で結ばれてゆき、多く言葉を交わさなくてもお互いが相手の意図を察しながら動くことができれば、それが一番理想的だと思っている。結果的にお互いを認めあい、建設的な意見を出しあっても関係性が大きく揺るがない、大人なチームができるだろうから。

裏表のない彼女は、そういった意味で信頼できる相手なのかもしれないと、この頃では感じるようになっていた。

そんな彼女にも悩みがあった。子どもたちとの関係や接し方、そして他の職員をどう束ねていけば良いかということだろうと思う。

彼女はリーダーの仕事を引き継いで、水面下でも密かにチームを牽引しようと奮闘していた様子。前リーダーが優しすぎたので、自分は怖がられているのではないか?他の職員に、仕事上必要なことを掛け合ったところ、いつもは感情を表に出さないその職員が、少しではあるが不満の態度を表していた、と気にしていた。

私がいない時に、私に代わってそういったことも他の職員にかけあってくれていたのかと話を聞いて、私はうれしかった。

そして、その後に続いた彼女の言葉がまた印象的だった。

「いつも感情を出さないその人が、他の人に比べると本当に少しだけど、感情を表に出した!というのが面白かった」

この、「面白かった」が私にとっても面白かった。

日頃感情を出さずに割りと平坦に行動しているこの職員から、何か感情が出たということに気づき、面白い!と感じることができる感性。

私たちの仕事は、ベールに包まれてなかなか感情を実感できない子どもたちに、感情というものを教えていってあげなくてはならない。子どもたちが落ち着いて過ごせるように私たちも落ち着いた雰囲気を醸し出す必要がある一方で、喜び、感動、楽しい、がっかり、心配、悲しい、といった感情を子どもたちの心に波動として伝えていく為には、私たち自身が、たくさんの心の襞を持ち、豊かな感情を表せる大人であることが大切になる。感情を持っていない人は感情を教えることができないから。

普段あまり感情をださない職員には、その人なりの理由も色々あるだろうが、端から見ていても子どもたちへの対応に苦労しているし、状況を変えるために何らかの気づきが必要で、それが感情を取り戻すということではないかと考えていた時だったから、私だけでなくこの新リーダーも、この職員の変化をキャッチし、面白いと感じたということが分かったことは、私にとって非常に面白かったのである。

うちのチームは大人しい方が多く、何か起爆剤が必要と考えてもいたから、彼女が新リーダーになったということはチャンスなのかもしれない。

彼女は、「でも・・・あんまり言っても逆効果かもしれないし・・・」と続けたので、

「もし、それによって何か影響が出たら、その時はフォローするから、気にしないで必要と思ったことは行動してみて」と伝えた。「だって、それって交わった瞬間だもの。良くも悪くも交わる瞬間がなければ、何か進展もしない。ずっと平行線の関係ほど虚しいことはない。きっとその後に変化が起こるはずだから。何もないよりはましだよ。」と。

 

お互いにこれからのチームの方向性について認識を揃えた瞬間だった。

何か、お互いの間にまだほんのりと残っていたものが一掃されたのを感じた。

ニカッと笑って帰っていった彼女の後に、少し爽やかな風が吹いたのを感じた。

 

私は基本的に人間が好きだ。中には「人の心の中にズカズカと入ってこないで」というオーラを纏っている人もいるが、何かの瞬間に良くも悪くも交じりあい、心と心がぶつかって、火花が煌めくその瞬間。そんなスパークが大好きだ。また当分交わる時が来なかったとしても、そのスパークした時のことをずっと大事に持って、次のスパークを待つことができるだろう。

 

彼女との間にもスパークの煌めきを感じ、自然とニンマリしてしまう一夜を終え、今朝も音楽を聞きながら車を運転した。

車内では今日は二宮 愛さんが歌う、レミオロメンの粉雪がかかっている。

その歌詞の一説に

「些細な言い合いもなくて

同じ時間を生きてはいけない。

素直になれないなら

喜びも 悲しみも 虚しいだけ。」

というところがあった。

今まで何度となく聞いたことのあるこの歌のこの歌詞が、今日はやけに心に残った。

 

職場のドアを開けると、そこにはまた淡々と仕事を始めている彼女がいた。