最近よく耳にする言葉があります。
「どうしたらいいかわからない」です。
初めての経験、今までに遭遇したことのない出来事、そういうことに出くわしたら、誰だってどうしたらいいかわからなくなるのは当然ですね。私だって、「うおぉ~!」と狼狽えてしまいます。きっと。
でも、今までに何度も経験していること、散々見たり聞いたりしている出来事でも、「どうしたらいいかわからない」と言っているのを聞くことが増えました。
誰からも答えや方法を教えてもらわなければ、どうすればいいかを習得するには時間がかかるかもしれません。それでも「わからない」と思ったその日から、調べたり、人に聞いたり教えてもらえば、やがて「わかる」様になりますよね。動き出しさえすれば、その日から「わかった」日は最短でくることになります。
調べてもわからなかったり、聞いたり教えてもらえる人がいなくても、「考える」という術があります。自分で情報収集をして、その情報を整理して、あ~でもない、こ~でもないと頭をひねって、、うんうん唸って、身悶えするくらい考え抜けば、1つや2つ、アイデアが浮かぶはずです。
その思い付いたアイデアを、誰かにまた聞いてみたり、試してみたりして、改善の余地があれば改善し、ダメならまた1から考える、そうしてドンドン進んでいれば、やがてピッタリフィットの方法が見つかったり、身についたりすることでしょう。
そのどちらもすることなく、それどころか教えてもらっても、その方法を捨ててしまう人がいます。
わざと捨てるわけではありませんが、「聞いただけ」で終わってしまい、自分の中の引き出しにしまわないのです。
メモは書くかもしれません。でも、「書いただけ」です。一回書いただけで、頭に入ればいいですが、大抵は忘れてしまいます。後から見ようと思っても、どこにあったか探すのが大変です。あったとしても、メモでは詳しいところを忘れているので複雑なことであればわからないでしょう。
書くときに図式化したり、自分なりにまとめたりしなければ、本当に理解したことにはなりませんから、また「わからない」になってしまいます。
こうやって、聞いてから本当に理解するまで考えているとしっかり引き出しにしまえます。わからなくても、今度、いつか、役に立つ又はわかる日がくるかもしれないからと、大切に引き出しに入れ、時々開けて確認していれば、それはきっといつか「わかる」時がくるでしょう。
そういうこともしないで、ただ、聞いた、メモをしただけの人は、大事なことを捨ててしまっているも同然なのです。
そうしてまた、同じ局面がきた時に、
「どうしたらいいかわからない」
というのでしょう。
私は、この、「わからない」が「わからない」のです。
わからなければ、
調べましょう。
聞きましょう。
考えましょう。
まとめましょう。
試しましょう。
引き出しにいれましょう。
人は考える葦なのだから。