きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

歯車になること。その大切さ。

私が小学校の介助員をしていた時、メインに担当する子どもは決まっていたけれど、それ以外のこどもたちにもついて支援ができるよう、時間ごとに割り振りが決められていた。

毎時間、あっちいき、こっちいきして担当を変わり、次のこどもと一緒に授業を受ける。

それは介助員にとって、かなりの労力を要する。

 

まずは体力。校舎の端のクラスから、反対の端のクラスに休み時間が終わるまでに出来れば着こうと思うと、前の授業の終わりのチャイムがなると、すぐにスタートを切らなくてはいけない。前の授業も立ち通し、腰を屈めて板書の手伝いやら、椅子からこぼれ落ちそうになる子を支えたりやら、ヘロヘロになったところで、次へ移動だ。

お茶を飲む暇もないことが多い。

そして、次の担当する子どもが教室にいればいいけれど、運動場に前の担当者と遊びに行っている場合は、そこまで行ってあげる必要がある。前の担当者も次の子どもに行ってあげないといけないからね。

上手く見つかればいいけれど、見つからなければ校内をウロウロ探し回ることになる。

これが休み時間毎に繰り返される。

だから、体力が要る。

 

しかし、気力も要る。

今ついている子どもから次の子どもへ移動する時、今ついている子どもと一緒に行った授業の片付けや次の授業の準備、そして次の担当者への引き継ぎを端的にしなければならない。その子の体調や授業での様子、やり取り、気になる点に、気をつけて欲しいことなど一瞬に整理して伝えなくてはいけない。

そして次の子どものところへたどり着いたら、そこでも前の担当者から今度は反対の立場で情報を受け取り、頭に整理してインプットする。

 

そして、スキルもいる。

引き継いだこどもは、前の担当者のやり方で授業を受けているから、急に交代すると混乱し、喜んでくれればいいけれど、時に「前の先生はどこいった?前の先生はこう言った。前の先生の方がいい」などと、揺さぶりをかけることがある。そんな時、その子の言葉の表面だけを聞かずに、次の担当者とのコミュニケーションのチャンネルを合わして切り替えをする為の負荷に今向き合っていて、アップデート中であることや、不安や心配をキャッチして、即座に安心と見通しを渡してあげる必要がある。それも、授業が始まる前か始まってすぐの早い時間までに。そうしなければ、たちまちクラスメイトに迷惑をかけることになってしまう。自分の立ち回り方のせいで。

そして、たった今見たばかり、聞いたばかりのその時間の授業内容をすぐ飲み込んで、支援をスタートさせる。

子どもにも負担がかかるのに、なぜこんな方法を?と思うかもしれないが、一つは子どもが一人の先生のやり方だけに定着してしまい、他の人とのコンタクトが取れなくなることを防ぐ為だそうだ。

もう一つは私たちも負担を分配しストレスを軽減する為に。

固定された人間関係は、良くにつれ悪くにつれ、偏りを作ってしまうから。というのがその理由。

だけど、これだけではなく、介助同士の支援方法についての意見や見立ての違いというものにも直面する。支援ほど、意見が分かれることはないと私は思っている。そして答えがない。厳密に言うと、私は答えというものはある、と思っているけれど、人によって理解に差があったり、プライドが邪魔をしたりしてそれを共有することはとても難しい。それに、例え全く同じ対応ができたとしても、声のトーンや醸し出す雰囲気や、あれやこれやが違うので、当然受け取る子どもの側からしてみれば、全く同じには見えたりしない。

クラスには担任がいるし、また支援担もいる。その先生方の意向も汲んでおかなければならないわけだから、介助の仕事は非常に難しい。

いかに人と繋がるか、が大切だなと思う。

そんな仕事を5年続けた訳だけれども、3年目の頃に気づいたことというか、つくづく実感したことが1つある。

 

それは、「歯車になる大切さ」だった。

歯車というと、人を機械の一部の様に例え、一人の人間としての人権など無いかのように誤解を受けるかもしれないが、実はこの歯車というものは、小さくても1つでも欠けるとシステムがダウンしてしまうほど、重要な働きをするものなのだ。

介助員は、教員ではないし、学級を持っているわけでもないし、重い責任を追わされるわけでもないけれど、病気などして一人でも欠けてしまうと、途端に支援が必要なこどもが支援を受けられなくなり、その穴うめをする為に、他の担当から人を回されて、その為にまた開いた穴うめに人が回されて・・・となるか、またはそのしわ寄せが子どもにいくかのどちらかになる。いつもくるはずの人じゃない人が来て、びっくりするのはこどもの方だ。

運が悪ければパニックを起こされ、泣かれて叩かれて・・・となったりすることもある。言うことも聞いてくれない。クラスにも迷惑をかける。冷や汗、油汗をいっぱいかく。

 

そんな時、ピンチヒッターとして、どんな穴にでも瞬時に自分を合わせてピタッとはまり、何事もなかったように円滑に支援をスタートさせて、子どももご機嫌♪なんて仕事ができたら、本当に周りの先生方に感謝されるだろう。

歯車は、他の歯車の歯にピタッとはまり噛み合って回転することで、その動力を伝え機械全体が動き出すことができる。

そんな人が1人いれば百人力。

そんな歯車のような人であることの大切さをひしひしと感じた。

歯車に、まずは徹すること。

自分の気配は消し、黒子と化す。

輝かせるのは、自分の個性ではなく、子どもの個性。

自分の個性だなんだという人は、この場合自分至上主義。自分勝手。自己中。ということになるんじゃないかなぁ。

気配は消し、黒子と化し、子どもを輝かせることができて初めて私たちは自分の個性を発揮し光ることができる。

私は、この仕事を通して、歯車になることの大切さを学んだ。

それ以来、歯車のような人になろう、と決めている。