5日は私の仕事初めでした。
年末に寝込んでいたので、念のため4日もお休みを取っておいたのです。
仕事初めの日は憂鬱です。できることなら、ずっとのんびり家で過ごしていたい。でも、行かねばならぬ(笑)
行ってしまえば、仕事モードにスイッチが入りますから心配はいりませんが、病み上がりなのでしんどいです。
私たち大人はそんな風に、またいつもの日常が始まる・・・云々といった感じですが、子どもたちは違います。生まれてまだ数年の子どもたちのエネルギーは高く、「お正月だ!」「新しい1年だ!」と喜びを全身で表して来所することでしょう。「また1つ大きくなるんだ!」という喜びは健全なお子さんなら誰もが持っている気持ちです。「よりよくなりたい」という気持ちを誰もが持っているからです。そんな、子どもたちの心新たな気持ちの芽を、私たち大人が摘んでしまわないように、一段成長の階段を上るお手伝いができるような関わりを、と今朝は先生方にお願いして1日をスタートさせました。
そんな中、次々と来所してきた子どもたちから「明けましておめでとう」と新年の挨拶の声が聞こえます。
ふと、私の背後からも声が聞こえました。
「○○先生!○○先生!、明けましておめでとうございます!」
と元気な声です。誰かな?と振り返ってビックリ。
それは場面かんもくをもったお子さんだったからです。学校では入学以来ずっと話をしていません。他所の療育施設でも同じです。私のところでしか声を発していないのですが、その私のところでも、こんな風にして私たちを呼び止める、というところを見たことがありません。
この、私のところでしか話さない、というのには訳があります。それは、そのお子さんが安心して過ごせるような配慮を、実は知られないようにたくさん敷いてあるのです。
話しやすいような工夫がされてあることを、場面かんもくを持った当事者たちはよく知ってくれています。
なので、日頃から話しかければ、最低限の返事や、意志表示はしてくれるのですが、ここまでハッキリと、お互いの間の垣根なく声がかかったのは恐らく初めてのことでしょう。
こちらの動揺が伝わらないよう、あえて自然を装い返事を返します。
「わぁ、○○さん、明けましておめでとうございます。元気やった?挨拶ありがとう。うれしいわぁ」
「うん♪」
と明るい笑顔で離れていく○○さん。
私は、鳥肌が立ちました。
感動の。喜びの鳥肌です。
こんな日が来るんだな・・・と感無量でした。
また、始まりの会では集まった子どもたちに、「今日がここでの1年の初め。今日1日の行動がこれからの1年を左右する、かもしれないよ?」と話しました。それを皆、背筋をピンと伸ばし、まっすぐこちらを見て話を聞いています。
「今、そうやって聞いている子は、毎年私の話を聞いている人たちです。繰り返し繰り返し同じタイミングで聞いていることによって、体に染み込み、自然と行動に現れているのです。それを概念と言うのだよ。みんなの中で力となって、みんなの成長を助けてくれるんだよ。」と、話しました。
寝転がったり、少しゴソゴソしていた子もいましたが、そそくさと座りだしました。
「さあ、今日は1日、今の気持ちを忘れないで過ごそうね。そして、これから1年間も同じだよ」
そう伝えると、みんなとても良いキリリとした表情で頷いていました。
新年という節目を迎えることは、時にめんどくさいと感じることでもありますが、そんな時ほど丁寧に働きかけると、素直な子どもたちには必ず響き反応を返してくれます。
そんな子どもたちの様子に触れ、また私たち大人も初心に戻り気を引き締め直すことができます。
初心忘れるべからず。