きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

大切な我が子がいじめられたら。

ある日、大事なお子さんが、元気がないと気づき、聞いてみると「いじめられている」と告白を受けたり、誰かさんから「お子さんいじめられてるみたい」と教えられたりしたら•••••。

こんなショックなことはないと思うのです。ご両親にとって。

自分がいじめられるより、辛く、我が子の気持ちを思うと居ても立っても居られなくなり、なんとも言えず胸が苦しくなることでしょう。

お父さんなら、「そんなこと、放っておけ」と言うかもしれません。お母さんなら、オロオロして涙が出てしまうかもしれません。

それはいつの時代も変わらないのかもしれません。

ただ、一昔、二昔前なら、放っておいても何とかなっていたかもしれません。何とかなんて、なっていない!と怒られてしまうかもしれませんが、それでもなんだか、そういう時代だったからなのか、なんとか耐え忍び、その時期を通り過ぎることが出来た人が多かった気がするのです。

語弊があるといけませんが、昔も相当いじめは激しかったと思います。お祖父さんお祖母さんの頃なら袋叩きにあうとか、私達の頃なら暴走族最盛期、それこそやっぱり集団リンチとかたくさんありましたし、もっと子供の頃だと水をかけられるとか、溝に落とされるとか、物を壊されるとか、無視されるとか、言い尽くせないほどありました。

ただ、今と違うところがあるとすれば、もう少しオープンだった気がします。わかりやすいところがあって、誰が見てもいじめられていると気づくようないじめ方が多かったかもしれません。

そうではなかったとしても、クラスに1人や2人、そんないじめられている友達のことを心の中では心配していたり、仲間に入れてあげたいと思っていたり、いじめっ子グループから外れようとする子供がいたように思います。そういった子が、陰で声をかけてくれるとか、関心を向けてくれていると分かっただけでも、いじめを受けている人にとっては心強く、希望の光に見えたのではないかと思います。

クラスでは、「仲間意識」というものがあり、これはいじめっ子側の仲間意識だけではなくて、いじめられている子供もどんな子も、同じクラスの一員なんだ、という仲間意識なのですが、こういった意識を持つように私たちは道徳教育を通じて教育されていたように思います。クラスにいじめられている友達がいたら、誰かしら、いたたまれなくなって、「◯◯さんもクラスの仲間なんだ」と問題提起することもよく見聞きしてきました。だからこそ、抑制力としてある程度機能し、バランスが取れていた部分もあるようにも思います。

また、家に帰ればだいたいは母親がいることが多く、家族と過ごしていると、束の間いじめられていたことを忘れられる、というケースも多かったでしょう。週末には腹を抱えて笑えるようなお笑い番組もたくさんありました。

 

ところが今は、いじめが分かりづらくなりました。ネット上では、大人からは実態が見えませんし、多様性の時代の道徳教育では、何が良くて何がいけないか、はっきりと線引をして教えてくれる、または教えられる先生は少なくなりました。

「仲間意識」や、「正しいプライド」についてコンコンと教えてもらえることも少なくなりました。

テレビを見ていても、正義感が燃え上るような良質なアニメや番組が見当たりません。道徳感を親子で学べるようなものもありません。

子どもたちは一人で家にいる時間も多くなり、ゲームは脳を興奮させ、疲れさせます。

体をいっぱい動かして、友達と大笑いして、温かい家族がいる家庭に帰ると守られているような感覚になるということも減りました。

ストレスが多い子供たちは、よりその矛先をいじめという形で、外から見えない形で、誰でもいいから、ぶつけることで解消している。今はそんな時代になったと感じます。

だから、子供同士のことなのですが、全く放っておいても大丈夫かどうか、分からない時代です。

 

そのいじめの程度にもよるでしょうが、私は、できれば我慢しないで、まずは見聞きされたままのことを、率直に学校の、担任の先生にお話になるのが良いかと思います。

それは、いきなりいじめた相手に怒鳴り込みに行く!、とか、謝らせろ!、とか、そういうことではありません。

「こういうことがあった」ということを、まず、お話し、担任の先生と共有するのです。

不安や悲しみで押しつぶされそうになるかもしれませんが、それはお父さんやお母さんのお気持ちで、実際にいじめに合っているのはお子さんなので、そこは感情が入り乱れないよう、少しコントロールしてもらう必要があります。お子さんにとって、どうしてあげることが一番いいか?を考えるためには、あえて冷静な状態であることが大切です。できれば、お子さんには、落ち着いた様子で、お子さんの気持ちや状況をさりげなく聞いてあげて、大変な思いをしていることに対して、「そっか、そっか、それは嫌な思いをしたね。」と寄り添い、声をかけて上げて、「大丈夫だよ」と伝えてあげて欲しいと思います。学校の先生に話してあげるね!というよりは、そっと先生に伝えてあげて欲しいのです。

親同士が会って、解決しようとすれば、揉めてしまいますので、まずは先生に間に入っていただき、子供同士で解決することができるかどうか、働きかけてもらえるといいと思います。

そして、子どもたちに聞き取りをしてもらうといいと思います。

初めは、いじめられている側のお子さんから。

次にいじめている側のお子さんに。

出来れば周りのお子さんからも。

まず個別に聞き取りをするのは、いじめられている側のお子さんは、いじめる側のお子さんを前にすると、いきなりは言いたいことを言えなくなってしまうからです。

先生との間だけで、安全が確保された状態で、リラックスして気持ちや状況を話すことができるよう配慮してもらえるといいかと思います。

そして双方から聞き取りをしたことは、走り書きでもいいので、必ずその場で、それぞれの言い分を時系列に紙に書いておいて欲しいと頼まれるといいと思います。

なぜなら、先生も人なので、子どもたちから聞いても忘れることもあるでしょうし、大人の考えで、解釈してしまうこともあるからです。ましてや後から記憶を頼りに書いたのでは、子どもたちが発したそのままの言葉が要約されてしまい、肝心な情報が失われてしまうからです。

きちんと三者三様の言い分を、それぞれ紙に書いて残しておくというのは、次の、双方の子どもが顔を合わせて話し合いをする場面でも役立ちます。

どう役立つのかと言うと、それぞれの言い分をすり合わせる時に、その矛盾点が浮かび上がってくるのです。

時系列で、どんなことがあって、いじめられるということになったのか、掘り起こすには、1つ1つの言い分に対して、どうしてこういうことをした(言った)のか?その時どんな気持ちだったのか?を丁寧に聞くことを、先生にお願いしてください。

〇〇くんは、こういってるけど、△△くんはどう?どんな気持ちだった?

じゃあ、その時の気持ちを伝えてみよう。

あれ?△△くんは違うって言ってるよ?どこが違うのかな?

うんうん、なるほど。

△△くんは、その時✕✕だったって。△△くん、その時どう思った?

じゃあ、△△くんもそう言ってみよう。

〇〇くん、△△くんはこんな風に思ったんだって。それってどうかなぁ?

というように、双方に言い分を聞きながらすり合わせると、お子さんが、自分の言いたいことを上手に言えなかったとしても、最初に個別で聞き取りをしているので、強い相手に言われっぱなしになるということを減らせます。

そして双方の言い分が食い違う点や、時間軸がおかしい点が出たら、それをまた丁寧に聞き取りするという作業をしていくと、だいたい根本の問題がわかってきます。

その根本に働きかけないことには、なかなかいじめを解決することができません。

よくあるパターンの、先生や大人が一方的に、「いじめはあかんぞ?わかったか?わかったら謝れ」という解決法では、相手のお子さんも、何が悪かったのか?どこから悪かったのか?なぜそれがいけなかったのか?どうしたら良かったのか?が、結局分からず終い。自分の気持ちを言うこともできなかったと、怒られたという気持ちだけが残るかもしれません。

怒られた側の保護者も、一方的に怒られた、自分の子どものせいにされた、という不満が募るでしょう。それでは良い解決に向かいにくくなります。

その点でも、聞き取りの時点から、残る形にしてもらえると、これを共有すればいいわけですから、双方で納得がいきやすくなるのではないかと思うのです。

 

そして、先生には、これは悪者を出す為の、作業ではないことをくれぐれもお伝えして下さい。

 

もし、この聞き取りの中で、この出来事のきっかけらしきものが出てきたとして、それが例えば、万が一いじめられる側にあったとしても、それはどんなことがあったとしてもいじめていいということには繋がらないということや、これは大切な人権の問題なんだということを、しっかりと相手側に言い聞かせてもらえるようにお願いしてください。そして、万が一出てきた内容が、大人の配慮で改善できそうなことなら、火種を作らないために、対応してあげるといいかと思います。

 

子どもたちは、実際にはどこからどこまでがいじめで、してはいけないことなのか、よく分かっていないことが多いです。日頃から、して良いこと、してはいけないこと、の線引きを意識して子どもたちと一緒に考えていかないと、こういった人権意識や倫理観という、とても大切な感覚は一朝一夕で養うことができません。

 

もう一つ忘れてはいけないのは、人権感覚や倫理観の未獲得以外に、いじめる子どもたちの心の悲鳴です。ストレスのはけ口として、無意識にいじめに繋がる行動をしてしまう子どもは、何かに困っている場合があります。

そのことについても、聞き取りの中で、よく、いじめる側の子どもの発する言葉やその素振りに注意深く観察してもらうことと、何か困っていることがないかどうかも聞いてあげてもらえるよう、先生にお願いするといいと思います。

 

先生によっては、経験値やそのお人柄によって、いじめへの対応が違ってくるでしょうから、もしまだお若くて、不安そうにされていたら、経験豊富な先生に間に立っていただけるよう管理職の教頭先生や校長先生にそれとなくご相談され、やんわりと共有しておかれるといいかもしれません。そして、必ず報告をもらえるようお願いしてくださいね。

 

子どもたちは、自分の気持ちを掴んだり、それを相手に上手に伝えることや、相手の状況や気持ちを理解したり、といったコミュニケーションの力が弱いことが多いです。いじめられている側の気持ちを聞いて、初めていけないことだと気づくケースも多くあります。上手に伝えられないから、手が出てしまうことも多くあります。

上記したような、子ども同士のやり取りを使い、少しづつ手渡してあげることで、相手に気持ちが伝わる感覚を知り、相手の気持ちや、何が良くなかったかを理解した上で相手に謝ることができたら、それを認められることで、心に一筋の光がきっと差し込むでしょう。もし、良い形で和解することができれば、お互いに一回り成長することができるのです。

 

子どもたちはまだ発達途上。悲しいいじめがまた発生しないよう、小さないじめの内から対処して、一人でも多く、どんな小さないじめも起こらない、起こさない人に育っていってもらいたい、という風に、関わる大人たちが共通認識を持つことができるのもまた大切なことです。

 

最後に、大切なお子さんがいじめられた時、お父さん、お母さんは、お子さんのことがどんなに大切で、どんなに愛おしく思っているか、しっかりと抱きしめて伝えてあげてください。強いとか、弱いとかは一つの見方だけで決まることではないですし、人によって、良いところは違います。そのお子さんの善良なところを、しっかり目を見つめて伝えてあげてください。どんなことがあっても、お父さんとお母さんは味方だと伝えてあげてください。

心に勇気が湧いたお子さんは、本当の意味で強くなります。

 

 

取り急ぎ書いたので、不十分なところもあるかもしれませんが、参考にしていただけると嬉しいです。

 

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