細い路地を歩いていたら、後ろでシュルシュル音がする。
考え事をしていたので、何気なくぼんやり後ろに目をやり、また前を向いた。
う〜ん・・・何か見えたなぁ・・。
ぼやけた残像に焦点を合わせた。
あっ。
男の子だ。
小さい男の子が自転車に乗って、後ろで通れなくてついて来ているんだ。
ハッと我に帰って道の端に寄った。
「ごめんね、どうぞ」
小さい男の子は、小さい自転車に乗り、両足で地面を蹴ってスイーっとすり抜けていった。
すり抜けながら、
「すいません」
と、しっかりした声で、丁寧にお辞儀までして行った。
シュルシュルという音を残して去っていく。
あの音、自転車の音だったのか。
それにしても、感心してしまう。
まだ小学1年生くらいの子だ。
側にお母さんもいないのに。
一人でも、あんなに落ち着いた「すいません」を言って通れるなんて。
去っていく小さい背中を見送る。
似たような体験を、この5月以来何度かしている。
それは、転居して、今の住宅に移ってからのこと。
エレベーターで、時々こどもたちと一緒になる。
初めは4年生くらいの女の子だった。
お父さんらしき男性と乗り込んできて、私の前に立ち、前を向いていた。
途中の階にエレベーターが止まった。
先にお父さんらしき人が降りるが、後ろの女の子の方に少し目を向けただけで降りていく。
その時、女の子がスローモーションのように、ゆっくり私の方に振り向き出した。
(きゃぁ〜・・・何 何 何〜?)
エレベーターに、他には私一人。予想しなかった女の子の動きに怖くなり、焦る私。
私の方に真っ直ぐ振り返った女の子は、
「さようなら」
と、両手を軽く前で揃えて、ゆっくりと頭を傾げて会釈した。
な、なんだ・・・。挨拶だった(汗)
「さようなら」
あまりに丁寧でびっくりした。
お父さんから言われたわけでもないのに。というか、お父さんは会釈すらしなかったのに。
知らないお子さんが、知らない私に、あんなに丁寧に挨拶してくれるとは。
エレベーターを降りるだけで。
ここの住人の皆さんは、割と年齢層が高く、その中に何割か子育て世代が混じっているという感じ。ご年配の方は上品な方が多く、エレベーターも譲り合い、必ず気持ちの良い挨拶をされていく。これが普通なのかもしれないけれど、ここに越してきて、それが一番初めに印象深かったことだった。
だから、お母さんもきっとそうされていて、そんなお母さんの背中を見て育たれたお子さんなのだろう。と、思い、それからしばらくその女の子のことが頭から離れなかった。
それから2ヶ月ほど経っただろうか。一階のエレベーターホールで待っていると、外から小学2年生くらいの男の子が入ってきた。ランドセルを背負っている。少し丸っこくて可愛い子だった。屈託のない、笑みのこぼれた表情をして、育ちの良さが見て取れた。
どことなく、前に乗り合わせた女の子に似ているな、と感じた。
前と同じように私がエレベーターの奥に乗り、男の子が前に立って前方を向いている。
途中の階に止まり扉が開きかけた、その時、
デジャブのように、男の子がゆっくりと私の方を〜振り向き出したではないか。
(ひぇぇ、何 何 何?)
真っ直ぐ振り返った男の子は、ゆっくりと頭を傾げて「さようなら」と言って会釈し、爽やかに降りて行った。やっぱり挨拶だった。
「さようなら」
私は小学校にも勤めたことはあるけれど、こんなにゆったりと、しっとりと、丁寧にわざわざ真っ直ぐ振り返ってまで挨拶していくお子さんには出会ったことがなかった。綺麗に挨拶したとしても、せいぜいお母さんと一緒の時くらいのことだった。
きっと、2人はご姉弟に違いない。
それからまた1ヶ月ほど経っただろうか。出かけようとエレベーターを待っていると、下から上がってきたエレベーターに親子連れが乗っているのが窓から見えた。お母さんがベビーカーを押している。その前に年長さんくらいの男の子も立っていた。
扉が開くと真っ先にその男の子が転がるように出てきて私の前に立った。
「こんにちは!!!」
クリクリした目をぱっちり開けて、私に弾むような笑顔を見せてそう言ってくれた。
「こんにちは!」私も少し体を曲げ、微笑んでそう挨拶を返した。
エレベーターに乗り込みながら向きを変え、今乗ってきた扉の向こうに目をやると、扉が閉じかけた隙間から、
「おかあさん!ぼく、ちゃんといえたよ!」
と、嬉しそうにお母さんを見上げ、話す男の子の声が聞こえた。
こうやって、ここの子たちは育っているのだろう。
毎日の生活の中で、周りの大人たちが交わしている気持ちの良い声かけを聞いているからだろうか。お母さんが、そういう周りの人たちと接する中で、気をつけて生活されていて、子どもたちにも教えているのだろうか。
いずれにしても、一人だけではなく、この住宅全体がそういった雰囲気だから、言霊として子どもたちに良い影響を与えているのかもしれないな・・・と思った。
エレベーターで出逢ったこの3人のお子さんに共通していることは、朗らかで屈託のない、明るい笑顔。
いくら育ちが良くても、学校で嫌なことがあれば、こんな豊かな表情では帰ってこないだろう。
この3人が通う、園や学校はどんなところだろうか?
そんなことをぼんやりと考えていた・・・考えていたところに冒頭の細い路地の男の子とすれ違ったのだった。あの子もきっと色んな形で親御さんがしっかり教えておられるのだろう。
学校では道徳もしばらく影が薄くなり、ルールもあってないようなものになりつつあるこの時代に、この4人のようなお子さんもいる。それがたまらなく嬉しかった。まだまだこの世の中も、捨てたものじゃないのかもしれない。
子どもたちは、見ていないようでしっかり私たち大人の背中を見ている。
大人の教えがその子の中に根付いたかどうかは、親がいない時に他者に向けた態度で分かるもの。
良い言霊で、良い環境を、私たち大人が作ってあげることができたなら、いじめのない世の中も夢ではないのかもしれない。