ドリカムの決戦は、金曜日だけど、私の決戦は水曜日だった。
今から約40日ほど前、仕事で受け入れがたき出来事があり、それからというもの、ひと月後の締め切り(12/21)までに山のような「やるべきこと」に向き合うことになった。と書いた。
やるべきこととは、今の職場になってから、数年分全ての書類の見直しやら手直しやら整備、課せられたことができているかどうかのチェックなど。途方もないその量をこなす合間に、新しい計画の作成や面談、日々の療育の質の管理をする。
それだけでも、十分気が遠くなりそうだった。いや、なった。
ところが、私が忙しくなると、なぜか職員の皆さんの方がぎっくり腰になったり、休みに事故にあって入院したり、コロナになったりと不運に見舞われ、次々脱落。
コロナ対応の連絡をあちこちにしたり、代わりに送迎にでたり、学習を一緒にしたりと人手不足の対応に追われた。ぼやいていても仕方がない、と、目の前の問題に片っ端から取りかかった。
その後娘が骨折をしたと連絡が入った。
目の前が真っ暗になった。どうしてこんなことに?
しかし、いつまでもそんな気持ちに捕らわれていられない。毎週休みの日には朝から隣の隣の県までいって通院に付き添った。なんとか手術は免れた。
毎晩残業は真夜中の1時2時になり、疲労は溜まっていった・・・。極限だった。このままでは私もいつまで持つか分からない。危ない。
と・・・、
残すところ1週間辺りから、何かが変わっていく・・・。
真夜中の0時を越える辺りになると、段々拍車がかかってリズムに乗り、このまま何時までも仕事ができそうな気分になってくる。また次の日の10時ごろにはここへ来るのだから、もうこのまま帰らなくてもいいのでは?問題にも直面する。
集中力が増して、1人ブツブツ言いながら作業をする。
段々楽しくなって、歌なんかも飛び出す。パソコンとコピー機の間を行ったり来たり跳び跳ねたり?時には踊ったり(笑) 完全にランナーズハイ状態。それを職員に話したら、「それって危ないやつですね(笑)」と言われてしまった。
最終日は、結局終わったのが夜中の3時だった。
次々と困難に見舞われて、これでもか、これでもか、と追い込まれて、これって何の試練?と何度も心折れかけ逃げ出したくなり、神様に文句を言ってやりたかったけど・・・
その中で最善は尽くした。あとは結果を待つのみ。
運命の水曜日。
2時間。
一通りのチェックが行われ、質問が飛び、1つ1つ誠実に答えた。
結果、
何1つ、アウトはなかった。
所謂、少しでも不備があったり、不正があると減算されたりするけど、それが全くなかった。本当は2時間半の時間が取られていたけど、1時間半くらいで終わり、あとは和やかに談笑。
そう。これって、実地指導です、何年間に1度都道府県がチェックにくる。
うちはオープン後初めてでした。私自身も初めて。
大きな金額(何百万とか)を減算しなさい!と言われたら、もう事業所は潰れちゃうよね。お~、こわ!!
だけど、それが無かったんです!一銭も。
これは本当にうれしかったですね。職員の皆さんの、お給料がカットされずに済むじゃないですか。ボーナスだってです。
しかも、お褒めの言葉までいただきましたよ。「とても細かくやっている」って。これは、計画の内容のことです。数々の事業所を見て回っている方達に言ってもらえると、やっぱり嬉しいですね。
都道府県の方たちは、とても和やかに帰って行かれましたよ。丁重にお見送りもして。
何の因果か、神様の悪戯か、進めば進むほど困難になり、七転八倒の苦しみ、藁をもすがる気持ちで過ごした怒涛の一ヶ月。
マインドフルネスになるために呼吸法を取り入れたり、
お花を見たり、
クリスマスソングを早くから聴いてみたり、
クラシックコンサートに行ってみたり(前もって決まっていた)
B'zに回帰してみたり、
怒涛の波に飲み込まれないように、ひたすら自分をキープすることに努めるしかなく。
でも結果的に、とても良い着地ができました
\(^-^)/
ただね、終わったら、心身ともに全ての力を使い果たし、クリスマスにはコロナになってしまいましたよ(笑) 初めてのね。
夏には、夫が横でかかっていても、私は陰性でしたが、今回ばかりは弱りすぎていましたとさ。
チャンチャン。
今日は大晦日。
全ての悪いものを掃きだして、来年も良い年になりますように✨