きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

祈りの泉を見上げて。

目的を終えて、念願の平和資料館に行くことが出来たのは、広島滞在の最終日になってからでした。

天気予報では曇りとなっていましたが、台風が日本海へ抜けたからか、予想外の晴天。朝の10時でもかなりの猛暑で、日差しがきつく、目が開けられないほどでした。

正面から見る平和記念公園は美しく、大きな祈りの泉を見ていると、私の心も穏やかに、なだめられていく、そんなような、感覚になりました。私でもそうですから、最後まで水を欲して亡くなられた大勢の方たちも、この大きな噴水によって慰められているのではないか、と思えました。

 

まだ早い時間だったので、建物へはスムーズに入ることができました。展示スペースへ続く道は、暗い灰色で、私はこの部分がこの色であることの意味を感じていました。それは今から展示スペースへ向かう者の緊張や恐れ、苦しさなどの様々な感情を鎮め、身構えた体の強張りを解くのに十分な作用を感じたからでした。

多くの方がご存知の通り、広島平和記念資料館は2019年にリニューアルしてから、それまでの被曝再現人形やジオラマが撤去され、実物資料の展示が主になっています。

そこに至るまでに、色々な物議が交わされてきたこともニュースを通じて知ってもいましたが、私としてはその人形やジオラマがある間に一度来ておきたかったという気持ちが強く残っていました。

被曝された方々の身につけておられた衣服や持ち物、家族に当てた手紙や日記は、その当時のままで、本当に貴重な遺品ばかりでした。お一人お一人の生前の言葉や亡くなられた時の状況は、説明文の一つ一つを見落とさないようしっかりと目を通して読みました。そこにいる誰もが、同じようにゆっくり、じっくり見て回っているのを感じました。資料館という名に相応しく、かなりの量で、本館、東館を全て見終わるまでに3時間ほどを要していました。

本館の展示スペースは黒を基調としていて暗く、白黒の写真と相まって、その雰囲気からとても幼いお子さんは、何かを感じ取ったのか泣いていましたが、園児らしき年頃のお子さんや、小学生たちは、誰一人騒いだりごねたりせず、ご両親に手を引かれ、私たちに混じって一つ一つお母さんから説明を受け、真剣な眼差しで見つめ、時折自分なりの感想や考えを返して会話していました。幼い心ながらに昔この場所で何が起こったのか理解しようとしているようでした。何組も、そういった親子連れを見かけたことが印象的でした。

本館から東館へ移る渡り廊下では、それまでの暗さとは対照的に大きなガラス窓から燦々と光が差し込んでいました。長い長い廊下にはいくつもベンチが置かれ、たくさんの疲れた人たちが一時足を休めていました。

この日、外国の方達も大変多く、熱心に見て回っておられ、ベンチでも多くの人が座っていました。

この長い廊下で休む間も、誰一人、日本人も外国の方も、大人も子どもも、笑ったり、はしゃいだり、冗談を行ったり、砕けた会話も一切せずに、みんな今見てきたことについて何がしか考えているような表情をしていました。ただ疲れて放心しているのとは違う表情でした。

 

全て見終わり、外へ出ると、そこには炎天下に入場を待っている長い長い人の列がありました。頭上には渡り廊下があり、陰になってはいるものの、恐らく何の足しにもならないほどの暑さだったと思います。それでもこの、昭和30年に開館してから60数年の平和資料館に今なおこうして長蛇の列で見にやってくる人たちがいることに、一種の安堵を覚えました。海外からも、ロシアからも(その日、そばにいる人たちからロシア語らしき言葉が聞こえてきました)、年配の方も、小さな子たちも、見に来ていることにも同じです。

 

一人の男の子が、「だからね、核爆弾なんて使っちゃいけないんだよ」と諭すお母さんにこう言いました。

「じゃあ、先に核爆弾で相手をやっつけちゃえばいいやんか!!!」

 

あなたなら、この男の子になんとお返事を返されますか?

 

私たちの一人一人が、この男の子に対して、どんな返事を用意することができるかが、この先の平和の鍵なのかもしれません。

 

外は焼けつくような炎天下。原爆投下の日も、きっとこんな風に暑い日だったでしょう。一本の木の影もなく、何もかも焼かれた人たちがどんな苦しみだったか、私は想像するしかできません。

字がまだ読めない幼いこのためにも、現在の実物の資料に加え、一瞬で見て分かる再現人形とジオラマも一緒に展示されるといいのにな・・・。

 

外の大きな大きな平和の象徴のような「祈りの泉」を見上げながら考えました。

 

ところで、前回、私はこの資料館のことを、「原爆資料館」と書きました。

正式名は「広島平和記念資料館」であると今回初めて知りました。