きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

時が経てば、変わることがある。

日曜日。

つい2日前までは、外をブラウスとニットのベストだけで歩いて丁度いいくらいの陽気で、果たしてこれが12月か?と季節が分からなくて怖い、、、と思っていたら、昨日は雨と共に急な強風で、天気は一変。

今日は晴天の上、とても寒く、外に一歩出てみるとなんだかお正月の様な晴れやかさを感じた。キンと冷えた空気、爽やかな晴天の明るさから。

 

 

ところが和歌山に近づくにつれ、前方の雲行きが怪しい。もくもくと、低いところには冬雲があり、上空には厚い暗い雲が覆い、山との境が無くなっているから、そこは局所的に雨が降っているのだろう。あっちや、こっちと分かれてそういう所が見られた。

高速で、ズンズンその方角へ近づくと、フロントガラスにパラパラと当たりだす。

雪だ!?

しかも和歌山に近づいてから?

考えてみると12月も中旬なのだからおかしくはない。おかしくはないけど、2日前のあの暑さからの雪?と、頭はついていかない。

 

夫が、

初雪だ!!と叫んだ。

冷静だね。

雪だ!だけでなく、今年初だ!とすぐ考えが回るところが。

 

ホントだね。初雪だ。

 

 

今日は母の所へ行く用事があり、和歌山に向かっている。

義父の長女さんと初顔合わせをすることになっている。

母と義父が再婚してから約15年。初めの頃に1度顔合わせをしようかと言われたことがあった。

だけれども、その時の私は心に余裕がなく、義父を義父として受入れて、家族のお付き合いをすることに精一杯で、その娘さんにお会いして更に新たな親戚付き合いを、晴れやかな気持ちでできるか?というと、何か突っかかりがあって、一歩踏み出すことができなかった。

それが約15年経って、母は認知症。支えてくれている義父も80代。何があってもおかしくない時期になった。早く顔合わせをしたほうが、義父も、母も私たちも義父の娘さんたちも逆に安心できるだろう。

もう義父の提案を、断る理由も、先延ばしにする理由もなかった。

提案を受けた時、15年前とは違い、すんなりと「はい、そうだね」と当然の様に答えることができた。

 

最近は、感情ではなく、「きっとそうした方がいい」と判断が先にたち、どうしよう、と考えるより先に答えることが増えている。先に言葉が口から出ているという感覚。自分で自分に「成長したんだなぁ」と感じていた。

それに、そうすんなりと答えられることができたのは、母を支える献身的な義父の頑張りがあり、それがそろそろ限界を迎えつつあると感じるからでもある。

これまで体力と頭の回転の速さや計画性に自信のあった義父も、自分でそのことを知っているから、双方の長女を顔合わせさせて、今後の起こり得る事態に合わせて、何パターンかに分けて考えまとめていて、それを今回はザッと大まかな方針として、私たちに伝えようと思ったのだろう。

 

はてさて、そういう理由で和歌山へ向かっているが、それが終わってから私たちは今日、帰ることができるだろうか?雪が積もっていたら嫌だな、、、と、やや不安に思いながらも先を急いだ。私たちは義父の長女さんよりも、30分ほど早く到着して欲しいと義父から言われている。先について少し打ち合わせをしたいということだろう。

母が認知症になって以来、義父には理解しがたい母の言動に対して、私が代わりに対応し、母の安定に結びついたこととか、車イスから車への移乗、身だしなみ、そして母の介護の日々で手が回らなくなっていた室内の清掃などに私が回って手伝ったことなどから、生活の隅々まで管理していた義父も、私に少しずつ家のことを任せてもいいと思うようになってくれるようになり、私を頼ってくれることに繋がってきていた。

家のことというは、本人たちにとってみれば、いくら子どもと言えども急にズカズカ入ってきて、あれこれ口出しをされたり、勝手に捨てられたりしたくないものだ。

だけど、介入をしなければ、どうにもならないこともある。

ならばどうしたらいいかというと、それは転職と同じで、まずはそこの人の意向を尋ねて教えてもらい、その意向の通りにすること。

その意向の通りに動き、自分のプライバシーを脅かさない、テリトリーを荒らさないでいてくれる。そして自分の気に入るように、改善してくれる。そんな風に思ってもらえるように役に立つこと。

それを肝に命じて動いていれば、やがて、心を開いてくれて、少しずつテリトリーを分け出してくれる。

大事なことも、教えてくれる。

段々とそれが信頼に変わって、全面的に依頼されるようになる。

自分のやり方をゴリ押しすると、相手に警戒されるけれど、1度仲間になってから、改善案を提示するとすんなり通りやすくなるというもの。

そうやって、自然と義父との義親子の関係が「義」から一歩出た関係になっていったのだった。

 

実の娘さんと、家を出て違う女性と結婚した父との関係というものは難しいものがある。

懐深い長女さんはその父に対して寛容で理解があるからこそ、お互いに歳をとるまで親子としての繋がりが切れず、うちの母がいても気持ちよく年に1、2回は訪問していたのだと思う。

それでも、どこかには「離婚していった父」という感情が眠っているものだ。

だから、義父も、今回実の娘である長女さんと会うことに緊張もしていた。

義父の今後の話、とは、いわゆる相続をどうするか?といった系統の話。

大きなお金ではなくても、義父、母双方に子どもがいる場合、その辺りをきっちりしておきたいというのは、本来の義父の性格ゆえだ。

そういう話だからこそ、実の娘である長女さんの反応というものは父として気になるところだったのだろう。

 

ところが、長女さんが到着してからというもの、全てがとんとん拍子だった。

私達娘同士も、一目みて、「あ、大丈夫だな」と分かり、安心しあえた。

義父の話の大筋も、お互いに異存無しで聞き終えられた。

細々とした部分での話は、また良い関係を築きながら相談してゆけるのではないかと思えた。

 

帰りは駅までお送りして分かれたが、お互いの子どものことについての悩みなど話しながら、つかの間の時間を過ごすことができた。

 

お互いに、親の離婚で「父」と離れた娘同士である。置かれた立場による娘の気持ちというものも分かりあえるところがあるだろうと思う。

昔、実現しなかった娘同士の顔合わせは、15年経って、ごく自然に引き合わされ、ごく自然に終わった。

 

後から、機嫌の良い声の義父から電話があった。懸念していたことが良い雰囲気の中で終わり、実の娘さんの了解も得て、ホッと安堵したんだろうなぁと分かった。

80を越す義父で私とは30数歳違うが、かわいらしく思えた。

 

私の母はというと、話の間中、一切口出しをしなかったが、時折微笑み、聞いていないようで、恐らく全てちゃんと聞いて理解していたことと思う。昔から、我慢強く、無駄なことは言わない母だった。

 

ただ、時間が経った今、話の内容を覚えているかどうかはわからないけれど。

 

長女として、親の今後を姉妹の代表で話すことなど責任が重くて、できれば避けたかった私が、腹が決まったからなのか、逃げずに向き合うことができている様子を、もう一人の私が不思議に思いながらも感慨深く、眺めていた。