前回は、言葉のシャワーの効果、逆効果についてその理由を説明しました。
逆効果になる理由としては、かけ方を間違っているということについても触れました。
良かれと思ってどんどん言葉をかけていても、かけ方を間違い、子どもの迷惑になっていては元も子もありません。
では、発語がまだ無い、または遅れている子どもは、もう言葉を獲得することは出来ないのだろうか?
もう、言葉をシャワーの様にかけることはしなくていいのだろうか?
という不安や疑問が胸に湧いてくることと思います。
必ずしも、とは言えませんが、私は、今発語が無くても、または遅れていても、諦める必要は無いと思っています。
もし、お医者様が、「この子には可能性がありません」と仰ったとしても、です。
実際、私はお医者様や発達の先生が「この子には可能性がありません(重度の知的障がい及び自閉症によって)」と断言したお子さんに、これからお話する方法で、小学校入学から僅か3年で「おはよう」「ただいま」「さよ〜なら」など、複数の単語を、それぞれの言葉に合った場面で発することができるまでに指導した経験があります。(その後成人になるまでに100近い単語や二語文を話せる様になっています)
いくら間違ったかけ方で、シャワーの様に発語の無い子どもの気持ちを無視してかけ続けたとしても、待てど暮らせど可能性はやって来ないかもしれませんが、的確に、有効なかけ方で、言葉をしっかり伝え、発語に必要な機能が向上する働きかけを重ね、信頼関係を築いていたなら、もしかしたら、ひょんなキッカケから、切羽詰まった時、「この人にこの想いを伝えたい」と、その場のシチュエーションに近い言葉が思わずポン!と口から飛び出してくるかもしれないのです。いや、飛び出すのです。
勿論その時は言葉を使って思考することが出来ていなかったとしても。
それには、元々そのお子さんの中に、言葉を獲得し発することができる力が眠っているかどうかを慎重に探ることが必要です。
言葉のシャワーをかけただけで言葉を獲得する力とは、また違った力です。
もっともっと、小さな小さな欠片の様な力かもしれません。
でも、その欠片の様な力がどこかそのお子さんの奥深くでチラチラと光っているのがみえたら、限りなく可能性が低い様に見えても、その光を信じて的確にステップを踏めば、やがて不可能と思っていた発語という光に手が届く日がくるのです。
即効性はありませんが、子どもたちと一緒に自分自身も育っていく喜びを得ながら進んでみませんか?
定型発達児の発達の仕方を頭に置きながら、重度の自閉症児の内面に入り、本人たちが見ている世界を考えながら一緒に紐解いていきましょう。
まずは、どういうことなのか、お読みになってみて下さい。
私たちは既に言葉を獲得しています。言葉を獲得して以来、ちょっとした物思いに耽るだけでも全て言葉を使って思考しています。試しに全く言葉を使わないでただただ窓の外を眺めて見て下さい。
空、雲、建物、車、飛行機、風、天気悪いな、今日何食べよう、あの人どうしてるだろう、、、
無意識に、目に物が映っただけで、思考が走り出します。
言葉で考えないように、、、
そう考えた時点ですでに言葉で考えてしまっています。
1度言葉を獲得したら、言葉を使わずにそこに存在すること自体が不可能ではないか?とそう思わせるくらいに言葉を使って思考しないということは難しいことなのです。
でも、発語の無い自閉症児の多くは、言葉を獲得していませんから、思考を言葉では行っていません。
例外として、、、