中山寺にお参りしなさい。
中山寺にお参りしなさい。
昨年2024年には、何度もそう人から告げられた。
その人自身、特に中山寺に関係がある人ではない。
ただ、何かあると中山寺に参り、お祈りしてくるのだとか。
自分のことではなく、妹のこと、家族のこと、友達のこと、誰かが困っていると聞いたら、自分に出来ることは祈ることだけ、と言って、中山さんにお参りし、祈ってくるの、と言っていた。
今年はうちの息子の為に、祈ってきて下さるとか。
「あなたはどこに初詣に行くの?」
と先日聞かれ、前に住んでいたところで毎年行っていた神社かな?と答えた。
前の嫁ぎ先で、子どもが産まれた頃から毎年通った神社だ。
でもそう答えてから、はて?もう私はその嫁ぎ先から出て、今の夫と結婚し3年半が経ち、家も市外に引っ越している。近くて25年近く参っていたとはいえ、今となっては他の場所にかえても何ら問題はないはずだった。
若い頃は遠出をして、京都の八坂神社に初詣するのが楽しみだったのに、近くの神社にしか行けなくなって不満たらたらだったはず。なのに、習慣とは恐ろしいもので、いつの間にか慣れてしまっていた。
今までお守りいただいた神社だけれど、今年からどこか別の場所にも行ってみよう。
そう思えた。
2024年の春。
私たち夫婦は、梅を見たいねと言って梅園を探していた。大阪城の梅園に行くほどの時間はなく、近場を模索していて、あっ!っと思い出した。
そうだ、中山寺にも梅園があると聞いたことがあるが、1度も行ったことがなかったと。
行ってみて本当に良かったと思えた。
梅が美しかっただけではなく、中山寺の境内一帯の醸し出しているものが何とも言えず美しかったから。
この中山寺は安産祈願のお寺で有名だ。5ヶ月頃にお参りし、犬帯をもらい身につけると良いと言われている。
私も息子と娘の時にお参りし犬帯をいただいているが、その時は若かったし、義母に連れられ周りを見る余裕などなかったので、あまり記憶に残っていなかった。が、いただいたお札は大事にしていた。
ところが、お礼参りをしておらず、そのことがずっと気にかかっていたのだった。
雪が舞う中、梅園の帰りに少しだけ手を合わせたが、それでもまだ足りないなと感じていた。
それから暫くして、私はよく行くスポーツ用品店に出かけた。辺りはもう暗くなっていた。2階の駐車場からふと見ると、遠くに仄かにライトアップされた「中山さん」が暗闇に浮かんで見えた。
見慣れた光景でもあったけれど、その時は何故か惹きつけられ、足が止まった。
優しい灯りでライトアップされ、一際周囲の民家から浮かび上がり、その優しい光で周囲を照らす光景から、なんだろう、何かこう、昔から、中山寺はこうやってこの辺り一帯を護ってきたんだな、と、そんな感覚が私の中を過っていったのだった。
中山寺に来なさい。
何か、そんなお導きが来ているような気がした、、。
夫と相談して、2025年元旦の初詣は、中山寺に決めた。
元旦の15時すぎ。
賑わってはいるが、押すな押すなのひしめき合いはなかった。
ここは安産祈願だけではない。
他に水子供養や学業成就、開運諸々、それぞれ堂塔に分かれている。
中山さんのご本尊は不動明王。そして、私の目的はお礼参りと厄除けだった。
中山寺は本当に美しい。豪華絢爛というよりは、柔和な美しさだ。その優しさに包まれている感じがする。
奥にある五重塔は初めて知ったのだが青く、その名も青龍塔という。どれだけ見ても見飽きないのではというほどで、心洗われる様だった。
五重塔の向かいには、弘法大師の像が立っている。前に住んでいた家から歩いて1、2分にある山への入り口を少し上がったところにもひっそりと弘法大師の像が立っていた。
私の亡き父は香川の善通寺の生まれ。この善通寺は弘法大師の誕生地とされている。だからなのか幼い頃から弘法大師と聞くとぴくぴくと反応してしまうところはあった。
その弘法大師がここにも祀られている。
そんなお導きも加わっているのかもしれない。
中山寺から望む辺り一円。柔らかい陽の光に包まれて、静かに平和な時間を刻んでいた。
これは大願塔。の裏側からパシャリ。
「中山さんにお祈りすると、決まって良い方向に進むの」
そう、勧めてくれた人が言っていた。