きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

きらめき療育論:子どもたちが夢中でボールを追いかけるようになる方法。

その時代によって、流行りのスポーツにも変化があります。

昔は、野球全盛期。一度テレビで試合の放送が始まると、世の中のお父さんたちは画面にかじりつきで応援し白熱していました。そうなると一家に一台しかテレビがない時代(もっと昔は、町内に一台?)は、子供は自分の見たい番組は我慢するしかありません。早く試合終わらないかなぁと密かに願ったりして、辛抱強く待ちました。

当然、男の子が生まれたら、野球をさせるぞ!と小さい時から少年野球のチームに入れていたご家庭が多かったと記憶しています。

昭和はスポーツアニメの全盛期でもあり、野球なら巨人の星、アパッチ野球、侍ジャイアンツ(ご存知ですか?)は、父親が熱狂的なジャイアンツファンだった反動で野球嫌いな私でも好きで見ていたくらいです。

その他にもバレーボールならアタックNo.1、テニスならエースを狙え、などなど、その時代の子供たちを虜にして、その影響でクラブに入ったという人も多かったと思います。

魔球を打ちたい!子どもたちは真剣にそう思って日夜練習に励みました。

 

時代は変わり、すでに約30年ほど前からは、そんなスポーツの流行りも変化していきました。

野球よりサッカー。

土日になると、校庭はサッカークラブの子供たちが真っ黒になって練習する姿で活気づくようになり、反対に野球チームの子供たちは少なくなっていきました。

1992年のJリーグの発足は、大きな影響があったといえます。

 

さて、今挙げたスポーツは、全てボールを使ったものです。勿論、これ以外にも卓球、ソフト、ハンドボール、バスケット、水球ラクロス、などなど、本当に多くの種目があります。

そんな、ボールを使ったスポーツは、一人でも、大勢でも、手軽に楽しむことができる為、ご家庭でもお子さんと一緒に楽しみたいな、チームに入って将来有名な選手になってもらいたいな、というふうに、ご両親は色んな夢を描かれることでしょうね。

チームに入れてみた、クラブに入れてみた、と、そこまでは良いのですが、中にはご両親の期待をよそに、お子さんがあまり熱心に練習をしてくれない、というお悩みもあるようです。

 

今回は、なぜ、お子さんがあまり熱心に練習をしてくれないか?

どうすれば、練習して上手になってくれるか?

について書いていますので、ボールとお子さんについて、何某かのお悩みをお持ちの方は読んでいただければ、明日からでも参考にしていただけるのでは、と思います。

 

さて、まず初めに、私はたくさんのお子さんと出逢い、一緒に運動をしてきました。私自身もボールが大好きです(ボール競技歴18年)。

なので、そのお子さんがボールを好きか嫌いかが、一瞬で分かる方法を知っています。

 

そのお子さんが、ボールを好きか嫌いか、一瞬で分かるその方法とは、、、

 

きらめき療育論:療育の繚乱期。

放課後等デイサービス、児童発達支援事業所が出来てから約11年が過ぎ、重度の心身障がい、自閉症ダウン症の子供たちが主にお預りとしてレスパイトケアの役割を担いでいたのが、今では発達障がいの子供たちの受け入れへとその間口を広げ、更にこれからは専門に特化した療育、または総合的な療育へとその役割は変化し進化しようとしています。

総合的な療育を、ということは以前から国のガイドラインにも具体的に記載されているのですが、その内容をきちんと理解している人、事業所がどれくらいあるかは不明です。

なので今また「総合的な療育を」と強調せざるを得ない状況にあった、というのが本当のところなのでしょう。

 

その中でも、5年ほど前から比べると、放課後等デイサービス・児童発達支援事業所は、世間での認知度も上がり、陽の当たる場所で堂々と教室を構えても、利用者さん達がさほど人目を気にしなくても良いというところにまで、その存在というものは浸透してきたように思います。

 

そして、今や巷には発達障がいの子供達への療育に関する情報が溢れています。

・〇つのタイプに当てはめれば改善する。

・〇〇を食べれば劇的改善。

・〇農薬野菜を食べれば治癒する。

・〇〇式メソッド。

などなど。

 

放課後等デイサービスに株式会社が参入してからというもの、療育は一気に1つの産業と化しました。

何らかの障がいをお持ちのお子さんを抱えておられるご両親にしてみれば、藁をもすがるお気持ちで、色々調べてみるけれど、一体どれが本当にいいのか、こうも情報が多ければ分からなくなる、というのが現状かもしれません。

それに加えて、〇〇アドバイザーという人たちもこれからは多く出現してくることでしょう(私を含め)。

 

そしてこれは不登校問題にも同じことが言えるといえます。

これから増えてくるフリースクール、認可・不認可校、〇〇スクール・・・・・。

 

そこで、心配なのは、〇〇さえすれば治癒する、とか、〇〇のパターンに当てはめれば劇的に、とかいった、効果を謳う誘い文句を鵜呑みにして信じてしまうことです。

少しの経験で、アドバイザーを名乗る人たちにも注意しなければなりません。なぜなら、我が子に有効だった手立てが、そのまま多くのお子さんに必ずしも当てはまるかは分からないからです。

その事は、専門的な知識を身につければ身につけるほど、理解しているはずです。 

専門的とは、幅広く、深く知識を身につけ、俯瞰して考える力を持つこと。目に見えるお子さんの姿だけでなく、見えない内面で起こっていることにも理解があり、発達のステージに合わせて今必要なこと、この先の将来を見据えて考えた時にやっておかなければいけないことなど、一人ひとりのお子さんに合わせて考えることができること。そして、お子さんを育てているご両親やご家族の葛藤や悲しみ、そして喜びを理解し我が事の様に感じ寄り添うことができる心。また、親子を取り巻く関係機関を含む環境について熟知し、更なる学びを進めていること、など、総合的に身につけていることを指すと私は考えますし、親御さんたちもまた、そう理解されていることでしょう。

ただ、経験から上手くいった方法というものは、勿論参考にはなります。我が子にどれがフィットするかは分からない時がありますから、試してみる、というのは良いかもしれません。

 

気をつけていただきたいのは、盲信的に、1つの方法だけとか、目立つ誇大表現で保護者心理を引き付けるものに傾倒するといったことです。

そうならない為に、いつも客観的、俯瞰的に考えることや、眼の前のお子さんをよく観察して、必要なことを学び続けていき、他者の言葉を鵜呑みにしないという姿勢を忘れないでいることです。

 

「発達障がい」という言葉が社会的に広まり、療育に携わる方が増えたことや、理解してくださる方が増えたことは、純粋に喜ばしいことです。

けれども、発達障がいと言われるASDADHD、学習障がいなどは、非常に奥が深く複雑で、簡単にこうだ!と言えるものではないのです。

 

療育の繚乱期に入った今だからこそ、その『質』、そしてそれを「見極める目」が大切だということを、保護者の方々には心にお留めいただきたいと思います。

 

 

 

優美な梅の園へ。紫雲山•中山寺〜お礼参り

このところ雨続きでしたが、先週末は土日共によく晴れて、お出かけ日和となりました。

毎年この時期、うかうかしている間に梅の見頃をすっかり逃してしまうことが多いので、今年こそ!と考えていたのですが、息子の引っ越しで忙殺され危うく逃すところでした。

 

青空!予定なし!

今行かねばいつ行くのか?

この日は、引っ越しも終わり絶好のタイミング。夫に伝えた所、意気投合し、急遽以前から気になっていた北摂の梅林へ行くことになりました。

 

その梅林は中山寺にあります。阪急中山観音駅から徒歩1分。JR中山寺から徒歩10分のところにある安産祈願、子授け祈願で有名なお寺です。

子供を授かって5ヶ月目の戌の日には、安産祈願をして犬帯をもらうのが日本の習わしで、日本唯一の明治天皇勅願所として、全国から、多くの方がこの中山寺に祈願に来られます。

 

 

関西圏に住む私も、20数年前、2度安産祈願し、無事に2人の子を出産、そして成人になることができました。

ですので、過去最低2回はお詣りに、この中山寺には来たことになります。ただ記憶は断片的で、そこに梅林があることを知ったのも、ここ5、6年のことです。当然、行ったことがありませんでした。

いつか、チャンスがあれば行ってみたい。そう思ってその時が来るのを待っていました。

なぜ、そこに行きたかったかというと、HPに、梅が美しく咲いている様子が写っていてその写真がなんとも魅力的だったからです。

少し他の梅林と違う気がしました。

 

どこが違うと感じるのか?

それは現地に行って分かりました。

夫も、「ここは他所の平地の梅林と違って土地に傾斜があるからとてもいいね」と言って気づいていたので、それが1つの要因のようです。

よく行く梅林は、平地に梅の木がズラッと並んで植えられているのに対して、中山寺のそれは、段々のある傾斜面に植えられているのです。

 

そして、なんと一本一本の木の枝ぶりが見事なことか!立派な木もたくさんあります。ここの梅の木は、とても手入れが行き届いている。そう感じさせるものがありました。

長い年月かけて丁寧に手入れされた梅の木たちには、何か不思議な力が宿っている、そんな気配を感じさせます。

斜面を上がる小径を進むと、そう背の高くない梅の木に囲まれ、間近に可憐な花を見ることができます。うっとりするような香りも漂います。

これが桃なら桃源郷。ならば梅なら梅源郷?と言いたくなる景色です。

 

ここにいると、不思議と空から天女が羽衣を纏いながらスーっと舞い降りてくる姿が見えるような錯覚に何度も襲われました。

 

梅の木の間を縫って、斜面を下ると、その先の開けた場所に観音像が置かれています。見慣れた観音様よりもずっと、手を前に差し出し、私たちに光を当てて下さっている、そんな迫力を感じる観音像です。

 

 

空は青く、澄んでいましたが、時折雪がヒラヒラと舞っているという天候の中、束の間でしたが心が清らかになる時を過ごすことができました。

 

ところで、、、。

先程の安産祈願の話の続きなのですが。

 

実は私、御礼参りに行っていないのです。

安産祈願をして無事出産することができたら、後日、新しい晒を納めに御礼参りに行くという習わしがあることを知っていたのに、行けていなかったのです。今の今まで。

 

その事が、ずっと心にひっかかっていました。

 

偶然の成り行きでしたが、20数年越しのこの日、やっと、手を合わせて心よりお礼を申し上げることができました。ホッとしました。

 

 

さて。

皆さんは、梅の花言葉をご存知ですか?

 

梅全体を表す花言葉は『高潔』

そして、紅梅は『優美』。白梅は『気品』なのだそうです。

この3つは良く言われているので、これまでに見聞きして知っていましたが、梅にはもう一つの花言葉があることを、今回初めて知ることになりました。

 

それは、なんと

『不屈の精神』。

 

冬のまだ寒さ厳しい早春から咲き始め、春先までじっと寒さに耐えながら咲き続ける姿から、「どんな困難にも屈せず立ち向かう」という意味を込めて、この言葉がつけられたのではないかと言われているそうです。

 

梅の花に、急に共感を覚えました。

自宅に戻ると、身支度のタイミングが合わず、「行かない!」と言っていた息子が、

「いいなぁ、梅林行きたかったなぁ」

と呟いていました。

 

「〇〇したかった」「〇〇したい」と、

前向きな希望が言葉となって口から自然と出るように。

 

良い兆しです✨

 

 

 

 

真っ暗闇の向こうにも、必ず光が差している。

人は生きていれば必ず困難にぶつかる。

足掻いても、足掻いても、いっこうに前に進めない時、

何もかも虚しく、孤独で、絶望し、嗚咽する。

 

障がいを持った子供を抱え、毎日毎日同じことが繰り返される日々。

引きこもりの子供を持ち、将来の姿を思って途方にくれる夜。

相手の心に届かないと無力を感じる瞬間。

 

ずっとこのまま。

このまま何も変わらない、としか思えなくても、

諦めないで。

覚えていて欲しい。

 

子どもたちは成長する。

人は変わる。

ずっと同じじゃない。

私たちが変われば空気が変わる。

空気が変われば相手に伝わる。

私たちが動けば事態は動く。

 

真っ暗闇の向こうには、目を凝らせば必ず一筋の光が差している。

その光さえ、

見失わなければ、必ずたどり着く。

 

巻き込まれずに。

倒れても、一休みしたら

また顔を上げ、

立ち上がろう。

 

大きく深呼吸して。

 

一歩一歩。

 

それは匍匐前進のような歩みかもしれないけれど、

前を向いて進んでいこう。

 

螺旋階段のような歩みかもしれないけれど、

上に向かって上っていこう。

 

光の差す方へ。

 

大切なのは、

「きっとより良く育つ」

と強く信じる心。

 

諦めない心。

 

学ぶ心。

 

 

けっして1人じゃないよ。

 

 

 

 

只今絶賛引きこもり息子支援中。

このブログでは、度々我が息子についても触れている。

その息子は現在引きこもり4年生。

元々発達障がいを持ち、行き渋りがあるものの中学まではなんとか休まず登校出来、高校は睡眠障がいが出たり欠席する日が出たものの、本人の強い意志で大学への合格を果たし、遠い土地で一人暮らしをして、学費免除になるほど3年間で全て単位を取って頑張っていた。

ところが4回生になり、友達たちと上手く行かないことがあったらしく、ダメージを受けて地元に帰ってきた。

それからというもの、引きこもりが始まり、今では私達と車で15分ほど離れた場所で一人暮らしをしている。一人暮らしといっても、家賃、生活費は全て私達が負担しているのだけれど。

一緒に住んでいると、他者のリズムと本人のリズムが合わずに軋轢が生じ、本人にとっても良くない状態だと判断しての一人暮らしで、リズムを整えて就職に進もう、とバックアップしてきた。

恐らく彼は自覚はないが、鬱傾向にあったのだろう。それプラス、発達障がい(ADHD/ASD/起立性調整障害)ゆえのこじれたものの積み重ね。

それが、毎日四つ手に組んで、1つ1つ根気よく支援した結果、今ではかなり状態が良くなり、だいたい普通のコミュニケーションが取れるまでになった。笑顔も出ている。外出もスムーズだ。

しかし、就職となると、まだ彼の中では色々しっくり来ていないらしい。端で見ていてもそれは分かる。だから、本来なら新年度の始まりであるこの4月からの就職に間に合わせたかったが、もう少し元気になるまでの時間が必要そうだ。

そうなると流石にこれ以上の一人暮らしは無理だよ、ということで一旦区切りをつけて、吸収合併。私達ともう一度一緒に暮らすことになった。

そういうわけで、只今、連日その引っ越しの作業中なのだ。引っ越し屋さんには頼まず、自分たちで。

毎日毎日アリみたいに荷物を運んで行ったり来たり。

いよいよ明日、部屋を引き渡さなければならないから大詰めだ。さて、間に合うか?笑

昨夜は最後の難関の冷蔵庫、廃棄しようと思ったが息子と私の2人では部屋から出すのも困難だ、、、と壁にぶつかり、やっぱりジモティーに出すことにした。娘が「ジモティーなら一瞬だ(すぐ連絡がくる)、出せ出せ」と言うからだ。

だから息子に頼んでいたのに、一向に進まず直前になってしまった。もうタイミング的に今日の15時がタイムリミットだった。

どうしよう。やっぱりジモティーは諦めて2人で下ろし処分場まで運ぶしかないのか?と諦めかけたが、、、。

私の信条は為せば成る。最後まで諦めない。ダメ元で、出品するぞ!と昨夜になって掲載した。

なんと、直後からピンコンピンコン連絡が入る。

娘が言っていたことは本当だった。

それから十数件問い合わせが入り、その中で、無料にするつもりだったのに、1000円払うと言ってくれた人がいたので、その方に決めさせていただいた。ただ、引き取りが今朝の7時。急なのでお仕事前しか合う時間がないそうで。

今朝は6時に起きて、万が一息子が起きなかった時に困らないように私も息子の部屋に行き立ち会うことにした。

引取って下さるのは嬉しいが、朝の7時はちょっとキツイなぁ笑

その上、予定より10分早く着きそうだと連絡が入った。

6時50分。

引き取りはご年配の御夫婦だった。

同時に到着し、なんとか一緒に冷蔵庫を積んで帰っていかれた。

万歳!

あとは最後の荷物と掃除のみ。

 

諦めなければ運は開ける。

 

今、息子はせっせと荷物を運んで階段を行ったり来たりしている。

 

 

娘の巣立ち。

娘が、「生きるってしんどい」と呟くようになった。

そう。生きるってしんどいよね。

鬱だからだ、というけれど、

結構みんな、そう、思ってるんじゃないかな?

 

娘は1月から就職し正社員になった。

大学生の頃からパニック障害を発症し、、、いや、先に中学生の時に不安症を発症し、給食が食べられなくなった。

それ以来、外食が苦手になったし、電車も乗りにくくなった。

建築やクラフトなどのデザインを学ぶ為、大学に通ったが、課題の直線が引けなくなった。

デザイン系の学科は課題が多く、提出前は泊まり込みになることも多いと説明会で聞いていた。

そういう学科で、奮闘しながら頑張っていたが、どうしても電車に乗れなくなり、スクールカウンセラーに相談したが、対応が悪く、本人が上手く状況を飲み込めなくなったらしい。

コロナ禍でのオンライン授業が終わり、通常の通学でないと単位がもらえなくなった。

それは国が決めていることなので、平等性という観点から、パニック障害を持っているからといって、個別対応でオンラインでの授業参加という配慮ができない、というのが大学からの説明だった。

ただ、そのスクールカウンセラーの説明では、言葉が足りず、逆に不配慮な態度を取られたことで、必死に前を向いてなんとか学業を続けたいと願う生徒の心に光を届けてやることが出来なかった。

娘は頑張り屋で、なかなか本当のところの泣き言を言わないが、相手がスクールカウンセラーだったので、私もこういう仕事をしているし、親として、大学へ行き、対応に出てこられたそこの心理学科の一番偉い先生に、配慮が必要な学生が拠り所とするスクールカウンセラーが、例え国の決まりだとしても、それを本人が上手く飲み込めるように言葉をチョイスしながら説明することが出来なかったということが非常に残念に思うと伝えた。

その先生は、物腰も柔らかく、こちらへの配慮も伺えたが、言葉の言い回しにどうしても大学側に都合の良い解釈が滲んでしまう。

こちらの説明をよく聞いておらず、歪曲してしまうところもあり、何度か冷静にそういった齟齬がある点を説明し、やっとこちらの主張を飲み込まれたようだった。

「大変勉強になり学ばせていただいた」と言ってくださったが、だからと言って娘の状況が変わるわけではなかった。

できる限りの配慮を考えては下さったが、時すでに遅し。娘は大学に通う気力を失い、退学することを決めた。

大学で、学生達に心理学やカウンセリングを教える教授でも、なかなか相手の「意向」や「意図」を掴むのは難しい。それで大丈夫なの?と心配になった。

 

そんな経緯で大学は中退し、それからというもの・・・・

きらめき療育論:重度自閉症児を持つ母たちの、深い悲しみと懐の深さ。

我が子が外で、わざとではないのだけれど他のお子さんに叩かれたり蹴られたりしたと家に帰ってきて言った時、「憤りを感じない」というお母さんはいらっしゃいますか?

 

「全く腹が立たない」

「どうでもいい」

という方、いらっしゃいますか?

 

中には、我が子がそんな場面に遭遇したことで、母である「自分のプライド」が傷つけられた、として烈火の如くお怒りになる人もいらっしゃいますが•••••。

恐らく多くのお母さんたちは、我が子が遭遇した出来事に、

「どんなに痛かっただろう」

「びっくりしたかもしれないな」

「つらかったね」

「悔しかっただろうな」

と、その時の子供の気持ちに寄り添い、受けた処遇に心を痛められるのではないでしょうか?

 

その後の対応として、

親として代弁してやらなくては、

とか、

同じことをまたされない為に、きちんと対処しておこう、

相手の親や、学校などその出来事が起こった場所の関係者に謝ってもらわなくては!

 

など、どのような行動をされるかは人それぞれですが、何か行動に移される方が圧倒的に多いことと思います。

 

では、我が子がそういう場面に遭遇し、何らかの被害を受けたということを学校や、お通いの習い事、若しくは児童発達支援事業所や放課後等デイサービス、友達のお母さんなどからご連絡を受けた時はどうでしょうか?

 

まずは冒頭の様な居たたまれない、なんとも言えない悲しい気持ちになられますよね。

その後、少なからずとも怒りというものは湧くのではないかと思います。

 

私は、学校や学童、そして療育施設で働いてきた中で、そういった、どうしても避けられなかった出来事というものを見てきました。

学校や学童では特に被害を受けてしまった側の保護者の多くは、激しい怒り、静かな怒り、そのどちらにしても、まずは厳しい雰囲気というものを発せられることが多いと思います。

時には深刻な問題として、話し合いがなされることもあるでしょう。

更には、そんな出来事を防ぐことができなかったことについて、痛烈なご指摘がなされることも多いと思います。

 

それだけ我が子を大事に想い、守ってやらなくてはという親の気持ちは強いということの現れなのでしょう。

そしてその気持ちは、子を持つ親なら誰しもが持つ感情なのではないでしょうか。

 

そんな中で、同じような報告を受けたとしても、少し違う反応を返される親御さんがおられます。

それはどんな方々かというと、

重度の知的障がいを併せ持っておられる自閉症児の親御さんたちです。

 

自閉症は現在自閉スペクトラム症と呼ばれ、その症状は人によって千差万別で、広汎性発達障害アスペルガー症候群高機能自閉症などと以前は分類されていましたが、判定が複雑で難しいことなどから、連続体としてのスペクトラム症と呼ばれるようになりました。

連続体の中には、支援の必要度の高い方を頂点として、徐々に低いと思われる方々へと裾野は広がっていくという考え方なのですが、その中でも、強く支援を必要とされるお子さんをお持ちの親御さんほど、周りの親御さんたちとは違った反応を返されるのです。

 

それはどんな反応かというと、

「お互い様なので」

という冷静で、穏やかで、謙虚な反応です。

 

一番に支援が必要なお子さんに対して、例えわざとではないにしろ、何らかの危害が加わったとしたら、本当なら烈火の如くお怒りになってもおかしくはないその場面で、この重度の知的障がいを伴う自閉症のお子さんの親御さんは、どうして冷静で、穏やかで、謙虚な反応を返されるのでしょうか。

 

発語がなく、起こった出来事を理解することが難しいだろうと思うから、でしょうか?

それは全く違います。

では、親として心が傷まず平気だということでしょうか?

それも、全く違います。

 

ではなぜ?

 

それは、、、