きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

コロンブスの卵。

昔、コロンブスアメリカ大陸を発見した。

本当は、インドを探しに行ったのだそうだけど。

その後、貴族とのパーティで、「大陸発見は誰にでもできる」というようなことを言われ、卵を用意させて、他に何も使わずにテーブルの上に立てよ、とだけ返したそうな。

ところが、誰一人その場にいた者は、卵を立てることができなかった。

そこでコロンブスは、卵を手に取り、テーブルに片側を打ち付けて平らにし、テーブルに立てることに成功した。

それを見た周りの者たちは、コロンブスが言いたいことを理解したのだとか。

 

「え?そんなこと?」と誰もが思いついたり、出来そうに見えたりする方法なのに、それを最初に思いつき、行うのは非常に難しい。

だけれども、誰かがその解決策を見つけた後では、誰でも簡単に問題を解決できるように思えてしまう。

でも一番最初というのは、何のヒントもなしに解決策を見つけなければいけないのだから、それは至難の技で、時には常識を打ち破るような視点から、物事を見つめる頭の柔軟さが必要だ、というような解釈になるようだ。

 

さて、ここに出てくる「コロンブスの卵」。

果たして本当に立つことはできるのか?という興味がしんしんと湧いてくる。

机に卵のお尻をコンコンとして、そんなちょうどよく割れてくれるものなのかな?

中から白身がチュルンと出てこない?

生卵で大丈夫?

という疑問???が頭の中にいっぱい。

 

では実際にやってみよう!レッツゴー♪

 

生卵を恐る恐る机にコンコン。

なんと、ちょうど良い加減に割れてくれました。

白身も出てません!

そーぉっと、そーぉっと、机に置きます。

はい!本当に、上手に立ちました〜!

しかも、一瞬で。

 

この逸話には、疑念があるそうで、コロンブスの話の15年前には、建築家のフィリッポ•ブルネレスキという人が、設計図なしで大聖堂の上のキュポラなるものを立てることができる、といったとかで、周りの人が信じなかったけれど、「卵を大理石の上に立てることができる人がいたら、その人がキュポラを立てるだけの知性があるとわかるはずだ」という内容のことを言ったところ、周りの人は誰もできなかったのに、このブルネレスキだけが立たせることができた、という他の逸話があるそうな。

 

コロンブスだって、もしかしたら、このお話を知っていて、さも思いついたかの如く、卵を使ってみせたのかもかもかもね?、なんて思うと面白いですよね。

 

先日、何年も私の元で働いてくれていた方たちと、飲みに行く機会がありまして。

なんやかんやと今の職場での難しさを話して聞かせてくれました。

いつもダイナミックな技を教えてくれる体操の先生が、しばらくお休みになり、その間お預かりする子どもたちに、ダイナミックな技なく満足してもらうことが難しかった!とか、利用者が増えないのはなんでだろう?とか、悩みは様々ありましたが、その度に、

ダイナミックな技を危険を冒して教えられなくても、「これはチャンスだよ、みんな!体操の先生がお休みの間に、腕や足の力を強くしておこう!そうすれば、先生が出てきた時、うわぁ、皆んな手足の力がアップしたねぇ、じゃあ、もうワンランクアップの技に挑戦ができるね!って、言ってもらえるよ♫」と言って、手掌支持力や体幹を鍛える運動遊びをしてあげればいい。そうすれば、子ども達は、そっか!それいいね!そうしよう!って、その間の基本的な運動にも喜んで参加してくれるよ。

とか、

見学時に、構造化だといって、何もない部屋を見せてない?お母さんたち、ここじゃ何も教えてもらえないって思っちゃうよ。「構造化の為に、その時の療育に必要のないものは、ここに見えないよう直してあります」と、わざとシンプルにしているんだ、必要な物はきちんと揃っているんだ、とアピールすることで、「ああ、ここは、障がいを持った子どもたちの特性をよく知っているところなんだ」と、保護者に印象付けることができるよ。

などと話した。

そんなことが続いて、帰る頃には

「久しぶりに聞いた!〇〇節!」

「そうだそうだ、そうだった!」

と、喜ばれた。

 

そんな簡単な方法で?

そんな、思いも寄らない方法で?

と、目から鱗が何枚も落ちたらしい。

 

 

話は変わるけれど、このはてなブログでtakehasinayakade

tuyoiさんが、1冊の絵本「おふろじゃ、おふろじゃ」を紹介しておられた。

お風呂で遊ぶのが大好きな王様に、家来たちは大苦戦。さあ、どうすれば王様をお風呂から出すことができる?というお話。

私はすぐに、「お風呂の栓を抜けばいい!」と閃いた。

答えはドンピシャだったようだ。

 

なぜ分かったかって?

これはこどもたちへの対応と同じだから。

 

日頃から、

「先生、〇〇ちゃんが、もう帰る時間なのにパニックを起こして「もう帰らない!」と1時間くらい暴れているんです。どんなに説明しても、耳に入らなくて・・・。」と聞けば、

「先生もみんな帰るね。〇〇ちゃん、さようなら。真っ暗になるけどごめんね」と言って、教室中の電気をさっと消す。

たったこれだけで、次の瞬間、あんなに暴れていた子は、我に返って慌てて荷物を持って靴を履き出す。

「えらいね、それでいいんだよ。また次来たとき遊べるからね。」と褒めることまでできる。

 

コツは、「自動的に遊べない環境」にすること。

こうすることで、王様も〇〇ちゃんも遊びへの関心が途切れ、自分の世界から出てくることができる。これも、「場面転換」という方法の一つ。

ヤイヤイと怒ったり、説明するほど、相手は心を閉ざしてどんどん自分だけの世界の奥深くへ潜り込んでしまって逆効果なんだけど、多くは大人の方が「させなければいけない」と頭から思い込んでいて、その正攻法から自分で出ることができなくなってしまうの。

ちょっと視点をずらせば、簡単にその場の空気を変えて、お互いに苦労なく次の場面に移れるのにね。

 

簡単なんだけど、なかなかみんな閃かないみたい。

なんだ、そうだったのか。

 

みんなにとって「コロンブスの卵」なんだと初めて知ったことが、

私にとっての「コロンブスの卵」だった・・・というお話でした。

 

こんな感じで、日々、感じたことなどから、気がついたこと、療育の方法など、大切なことを有料部分の最後に書いていることが多いのです。

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