世の中には、時々、すぐには信じられないようなお話があるものですね。
一昨日、ある動画を見ていましたら、あるご家族の、人生最大のピンチに起こった不思議なお話というものがありました。
いつも明るくて、ご家族の仲も大変良く、幸せそうで、私からみれば理想のご家族なのですが、そんな方たちにも、「もうダメだ、終わった」と絶望する時期がおありだったとか。
まだ子供さんが小さかった頃、経営していた会社の転換期で、大きな借金が出来、あと一ヶ月で支払わなければならなくなって、来る日も来る日も資金繰りに奔走し、もう出来ることは全て行い、万策尽きた状態で、最後は神頼みしかないと言う、大晦日の晩のこと、家族が寝ようとしていたら、天井から金の俵と網が降りてきた、というお話。
俄かには信じがたい話だけれど、それから支払いまであと数日、という時になって、次々と援助の手が申し出て、なんと全て支払うことが出来、それだけではなくて、転換した会社経営が、驚きの急成長を遂げた、という内容だったんです。
毎日近くの神社にお参りされていたそうで、それから長くその神社さんとお付き合いされているとか。
このお話、聞いた時は開いた口が塞がりませんでした。神様ホンマにいてはるやん、と、あまりに驚いて。
胸がジンとして一杯になりました。
出来る限りのことをして、もうこれ以上、手がない。もう終わりだ、と最後の崖っぷちに立った時、嘘の様に運が開け、助けられる、という人がやっぱりいるんだなぁと染み染み感じました。
というのも、実は私もそういった経験が色々あるからなんです。
もちろん、このご家族の様な大きな規模に比べると、ほんの些細なことなんだけどね、、、。と、夫に話した次の日(昨日)のこと。
今、私たち家族もそういう意味ではある意味(どんな意味?)崖ぷちに立たされていて(母は認知症、息子はまだ大きなイヤイヤ期)、身動き取れず、それこそ万策尽きて後がないなと午前中に絶望していたところ、1時間前に出していたフリマの品が続けて売れたり、療育施設の職員から質問会の申し入れがあったり、ここ数日体調不良で起き上がれなかった息子が、訪ねてみると爽やかに起きて動いていたり、、、と、ギリギリのところで、急に立て続きに救いの手が入り出したんですよね。
それが、動画を見た次の日の午後の数時間の内に立て続いたものだから、きっとこれはその動画のご家族の良い影響をいただいたんだなぁ♥と、嬉しくなっているところなんです。
私は霊感などは全くありませんし、何か1つを強く信じるということもありません。ただ、日本は八百万の神の国ですから、至る所で古来の神様たちが見ておられるんだろうなぁとは子供の頃から思っていて、今でも、落ちているゴミを見て通りすぎようとする自分にハッとして、神様がどこかで見ているかも(汗)と、引き換えして拾う、なんて、それ程度なんですけども。ただ、第六感はあります。
でも、過去に幾つか不思議なことがあるんですよ。些細なことなんですけども、ちょっと聞いていただけますか?
それは離婚して住んでいた家を出なければならなくなった時のこと。ストレスで、その大きな病院でも1年に10人しか診察に来ないという目の病気になって、完治しておらず目も良く見えていないし、まだ働く先も見つけていないという時に、子どもを連れて7万ほどもする賃貸には到底入れず、悩み、公営住宅に申し込んでいたところ、2回目の抽選で幸運にも当たり、引っ越すことができたんです。新天地に不安満載だったのですが、まず、それが、頭の中で描いていた通りのお部屋でびっくりで、窓から僅かだけれど夜景も見えて、そこの公営に住む友達たちからも、「この部屋、かなりいい、ラッキーだったね」と言われたのです。
公営住宅に住む手続きをしに役所に行った時には、担当者から「離婚をすることになってすぐ、そのまま公営が当たって入居できたって人はあなたが初めてだ」とも言われました。みんな、住むところがなくて、一旦親元に帰るか、お金が無い中、7万(その地域の相場)払わざるを得ない人が殆どで、ポ〜ンとあなたみたいに当たって入れるのは本当にラッキーだった、そうなんです。「奇跡的」とまで言われました。
公営に入るまでは、籍は抜けているのに、住むところが無いわけですから、そのまま決まるまで同居させてもらってたんです。それって結構針のむしろ。一回目の抽選に当たらず、次は2ヶ月後。もう「後がない」という時の幸運でした。それが年末のこと。
子供たちが落ち着くのを待ち、家も片付き、そろそろ仕事探し(呑気?)です。
4月からは働かねば生きてはいけないという切羽詰まったその状況で、私はあちこち求人活動をしていませんでした。働きたいと思える職種がなかなかなくて。思案した挙げ句、息子がお世話になった先生方に相談して、介助員か市の教育センターのどちらかで働こうと決心します。どちらか?というと、困っている先生方や子供たち、そしてその保護者の方たちに直接関わることが出来る現場を選び、介助員で申し込みました。
面接があり、結果はまたお知らせするね、と言われたきり。3月31日になっても連絡はありませんでした。明日から4月。もうこれは落ちたんだな、他に当ても無いし、はてさてどうしたものか?と、崖っぷちに立ったその時、夜になって、電話がかかってきたんです。それは市の学務課の方からでした。
「明日、顔合わせで13時に学校に行って下さい」
は?よく話が飲み込めません。どういうこと?
「あれ?連絡が漏れていたのかな、聞いてない?あぁ、ごめんね、明日からお仕事お願いします。13時〇〇小学校で」ですって。
いや、嬉しいんですけど、急すぎて。いきなり言われても準備が、、、。
という感じで、仕事も崖っぷちの際際でなんとか希望通りの仕事(アルバイトだけど)につくことができました。
ところで、私が入居した公営住宅には網戸がありませんでした。みんな退去時には捨てないといけない、謎のルールがあり、それを聞いていた私は、知人が拾って?保管していた網戸を譲り受けていました。ところが、その住宅の網戸、特殊な金具で取り付けるみたいで、コーナンプロやらあちこち走り回って探しましたが、合う金具が見つけられず。そこは6月になると羽アリの大群が飛んでくる場所で、すでに6月になってチラホラ入って来てたんですよね。万策尽きて、もうダメだ。うちに網戸は取り付けられない、とがっかりして、道に面した方のベランダに立てかけて置いていたところ、、、。絶望した次の日の午前中。誰かがチャイムをピンポーンと押すのです。インターホンの画面には作業服の知らないおじさんが。渋々出てみたら、「網戸、つけてあげますよ」と、謎のお申し出。
頭の中が???でいっぱい。「意味が分かりません、まだ頼んでもないし」と言いました。
どうやら、そのおじさん、道からベランダに立てかけた網戸が見えたらしく、この時期にまだ取り付けてないから、きっと困ってるんだろうと思い、声をかけたそうなんです。え?そんなことってあるの?心の声、聞こえたん?と俄かには信じ難く。それにそうやって声をかける悪徳業者かもしれません。網戸は破れているところもあったり、金具がなかったり。おじさんとあれやこれやと話し合い、結局破格の安さで、それぞれ大きさやタイプが違う4枚の網戸を直して、ピッタリ窓枠につけてくれたのです。まさに神様からの使者。悪徳業者かと思ってごめんなさいでした。でも今でも不思議なんですよね。
さて、網戸も崖っぷちで救世主が現れたわけですが、、、。
その後、私は介助員の仕事を5年続けます。なんせアルバイトなものですから、出逢った自閉症のお子さんに全身全霊で関わらせていただく間に、貯金を使い果たしてしまいました。もう生活費、あとがないよ?と崖っぷちに立った時、数撃ちゃ当たるで、何か資格を取ろうと医療事務、歯科助手、介護初任者研修を同時並行で学びだします。でも私、通信教育が向かないことを忘れていました。月から金は仕事をし、土日は全て講義という3ヶ月を過ごして3月の最終になって初任者研修を終了し、無事試験を100点で通過しました(涙)。その終了証書をもらったその足で、1つだけ面接していた療育施設の代表者にその証書を手渡しにいきました。その療育施設も、立ち上げからで、私のその証書があって初めて条件が揃い認可される、その期限が明日、という、またもや際際の崖っぷちすれすれでのことでした。
こうして私はまた2日後の4月1日から、晴れて療育施設の責任者として働き出します。
なかなかに、いつもギリギリに生きているので、さすがに神様、もう少し余裕を持ってステージ移行させてもらえませんか?って本当に心からお願いしたいところです。
でも、どこか、きっと試されてるんだろうなぁと思っているんです。私がどうするかを。
その時その時、できることは最善の努力でもって取り組みながら、焦る気持ちを撫で卸し、必要以上に心乱さず、事の成り行きを俯瞰して、タイミングが来るのを待てるかどうかを。
あの、ご家族のお話もそうでした。最後の最後まで諦めず、できることを全てしたとき、運命が開かれたんですよね。
そういう試練の運命に生まれた者もいるんだなぁと思うしかありません。
私もなぜだかその口。
かなり忍耐力、精神力、を要します。
でも、不思議と流れは下降していない、ような気がします。
次回はもう一つ、不思議なお話を。
こんな私ですが、また困難を抱える子どもたちに関わる活動を始めています。
何か心に感じていただけましたら、支援いただけると幸いです。