きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

いつの世も不条理。

 

永く世の中は、私たち女性にとって、差別的で不平等なものでした。

 

伝統的な着物ですら、女性が自由には動けないように縛るためのものだったのではなかろうか?と若い頃は思ったものでした。

女性学研究家である田嶋陽子さんが、「そこまで言って委員会」というテレビ番組で、それが役回りかのように、いつも女性差別に対して怒り、強く発言されているのをどこか楽しみに、「そうだそうだ」と共感することも多くありました。

吠える田嶋さんに対して、周りの男性陣がどんな態度を取るかも関心深く、そこで見る様子は恐らく私たちが実社会で権利を主張したときに受ける対応なのかもしれないなあ、とも感じることもありました。

 

男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年だそうで、これは当時、労働省婦人局長だった赤松良子さんという方があちこちの企業の社長に掛け合い続け、先に理解を得るなど奔走され、できた法律です。

この法律ができるまでは、女性は20代後半になったら定年退職をしないといけない、とか、結婚をしたら退職、とか、そういうことが当たり前の時代でした。

それまでの女性達は、そういう抑圧された時代の中で、置かれた環境に対しての強い憤りがあったり、人として、せめて男性と同じ位置に立ちたい、というような切実な思いを募らせている人も多くいたことと思います。

性別関係なく、一人の人間として、自分の意志で職業を選び、実現させることができる、たったそれだけの権利を主張したとしても、何らおかしい事では無く、むしろそういう法律ができたのは、当然の流れだったのだろうと思います。

 

そして、そのころの女性たちが、自分たち女性の為に自由への切符を権利という形で手に入れてくれたからこそ、今私たちは、昔に比べて、全くの平等とまではいかなくても、社会の中で、ある程度、自分らしく生きることが出来るようになったはず、、、なのですが。

 

それから約30年後、

安倍内閣によって2013年に「日本再興戦略」が決定され、その中で女性の力は成長戦略の中核に位置づけられ、2015年に「女性活躍推進法」が成立されました。

3年間の育児休暇、待機児童の解消、上場企業の役員に最低1人女性を起用する、という目標を掲げ実施され、実際、保育所定員数も72万人分増設され、出産した女性に占める育児休業取得者の割合は46%と2倍に伸びたそうです。

待機児童0や、2020年までに指導的地位における女性の割合を30%に、という目標には到達できませんでしたが、確かに女性の就職率は上昇し世帯所得も一部増加したというのは認められるところかもしれません。

 

ところが、女性は社会進出したものの、結婚、出産後の復職が難しいのは今でもさほど変わりません。

待機児童の問題もなくなってはいません。

復職できたとしても、家庭に戻れば家事の問題はつきまといます。

男性の育児休暇が幾分か取りやすくなった会社が増えたとはいえ、まだ一部で、制度としてあっても、現実的ではないということはよく耳にします。昔よりずっと家事を手伝ってくれる男性は増えたというのは、私から見ても飛躍的だと思いますか、それは個人差がとても多いことでもあります。

今なお、仕事もし、家事もし、育児も地域の活動も、ともすれば介護もと、一人で全てを背負っている人も、まだまだ多いのが現状です。

 

待機児童の問題や、出産後の復職など、政策として打ち出されはしても、実際に子どもを安心して預けられるだけの施設の整備や人員確保、そして質の問題、女性が管理職になった時の男性側の理解、出産後に元の持ち場に戻ることは当たり前にできるいうような、社会の受け入れ態勢がまだ進んでいない内に、どんどん女性を働かせてしまったことが、今の混乱を招いている部分があるのではないかと思うのです。

 

その後、私たち女性は「労働力」という形で、女性活躍の場を与えようという政策の渦に巻き込まれていきます。

私たち女性は、自分たちの存在が男性と平等なものであると、最低限の権利を手に入れる為に立ち上がったのに、気がつけばいつの間にか、労働力として組み込まれ、専業主婦として家にいては気が引けるような風潮の中に置かれ、その上、仕事に出なければ家計が回らないという状況に、いつの間にか追いやられてしまっていました。

 

どんどん社会に出よう、という促しにのって、みんな働くようになった結果、子どもを預ける場所がなくなり、大変になった保育士さんが辞めて足りなくなり、不認可の保育所等に大事な子どもを預けなければならないといった悪循環に見舞われているように思います。

 

私たち女性は、ただ、男性と同等に扱われたかっただけなのに、結局、また1つ重荷を背負ってしまうことになりました。

責任の重さや、忙しさからくるメンタルの不調やホルモンバランスの崩れは、妊娠しにくくなったり、産後鬱を増やしたり、子どもが熱を出したら休むことにも神経をすり減らしたり、子どもが不登校になっても自由についていてやることも難しくなりました。

 

仕事をすることの自由と引き換えに、他の幸せを犠牲にすることになるなんて、1985年頃の女性たちは想像していたでしょうか?

 

仕事を選ぶこともできるし、幸せな家庭生活も守られる、という風に、どうして両方をバランスよく手に入れることが難しいのでしょうか。

 

生まれ落ちた時の性別で女性はこうあるべき、と決めつけられるべきではないかもしれませんが、でも実際に子どもを産む事が出来るのは女性だけであり、母乳が出るのも、子どもが求めるのも、母である女性なのだと考えた時、そこには、どんなに釈然としなくても、れっきとした女性にしか出来ない役割があります。

 

今の日本で男性と共に働く、男性並みに働く、ということは、女性として産まれ、与えられたはずの役割が、逆に犠牲になってしまうということが起こるとは、なんとも皮肉なものです。

 

この世は常に、何かに光を当てるとその反対側に影ができます。

私たち女性に光が当たったことにより、その影に子どもたちがなってしまい、そこに歪みが生じたのでは、何のために女性は大変な思いをして働くのか分からなくなってしまいます。

 

家族の中で、誰か1人だけに常に光が当たり、誰かが常に影になる、という光の当て方をやめて、順番に光が当たり、影の部分も順番に持ち回る、というようなことが出来れば、それぞれが家族を思いあってバランスよく生きていけるかもしれません。

 

もう一つ、考えたいのは、女性が男性と平等になりたいと願った結果、気づいたことについてです。

私も管理職として働いた経験から、当たり前のことですが、責任ある仕事は、やりがいがありますが、大変だということです。

専業主婦の時は、週末になると男性が寝てばかりのことに腹も立てましたが、自分が同じ様に働いて見ると、週末に疲れを癒やし、エネルギーをチャージしないと、とてもじゃないけれど、また1週間働くなんてことはできないなことを実感しました。

家族の為に働き続け、重圧に耐え、ギリギリまで倒れないように走り続けることは、並大抵ではないと、嫌と言う程思い知りました。

男性社会は女性社会のそれとは違い、堅い世界だと傍で見ていて感じました。

そんな社会で生きている男性は、やはり大事にしてあげないといけないのかもしれません。

 

昔の男尊女卑は、男性が元々は体が弱いから、守るために大事にされていたところから来ていたのかもしれません。少しでも大きく逞しく育ってもらい、家を支える存在として、大事にされてきたのでしょうか。

戦時中は、男性というだけで戦地に行かされました。

 

そんな男性たちは、男性であることに不満を大きく上げる代わりに、お酒やギャンブルや女性やDVやらをはけ口にして生きている人が多いのかもしれません。

私たち女性は、本当は随分そんな男性たちに守られていたのかもしれないなぁとも思うのです。

 

 

男性にとっても、女性にとっても、子どもにとっても、いつの世も不条理です。

 

それでも歴史は、前の時代の反省を元に、良い方向に改善しようと、ぐるぐる回りながら進んでいます。

今の時代の反省を元に、少しでも次の時代が良いものになるように、政策に踊らされるのではなく、誰かにばかり影の役割を課すのではなく、互いに光と影の役割を分担できるように想い合いながら、自らの選択で幸せな生活を送ることができる世の中になれるよう、行動の先をよく見据えて進む時が来ているのかもしれません。

 

 

投げ銭的有料記事です。

何か心に届くものがあれば、宜しくお願いします。

 

 

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