きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

そもそも論。

不登校の原因は、100%親にあるの?

そんなわけない。

 

では、

不登校の原因は、100%学校にあるの?

そんなわけない。

 

では、

不登校の原因は、100%学校にないの?

そんなわけない。

 

では、

不登校の原因は、100%親にないの?

そんなわけない。

 

不登校の原因は、学校にある。と言い切ってしまうのはおかしいけど、ない、と言い切ってしまうのもおかしい。

 

不登校の原因は、親にある、と言い切ってしまうのはおかしいけど、ない、と言い切ってしまうのもおかしい。

ということに、気づいてほしい。

 

では、子どもに原因があるの?

 

大人に原因がないのなら、

子どもだけに原因があるの?

子どもに100%原因があるということなの?

 

大人が、どっちに原因があるか?と、すぐにそういう極端な議論ばかりしていると、大人は責任の押し付け合いばかりしているように、子どもからは見えないかしら?

 

どちらかに、ではなく、どっちにも、あるんじゃない?

子どもの為に見直してあげられることは。

 

できることはしてあげましょうよ。

 

初めは少々痛みが生じます。自分にも原因があるのか?と考えるってことは。

でも、それって悪いことじゃないですよ。

学校も親も、おじいちゃんもおばぁちゃんも、社会も企業も政治家も、それぞれが我が身を振り返り、思い当たるところを変えていけたら、きっと変わると思いますよ。

子どもたち。

 

学校も親も、お互いに尊重しあい、労りあい、手を繋げば、必ず、変わりますよ。

この問題は。

 

大事なのは、これからの子どもたち。

 

 

ということは?

やっぱり大人みんなにあるんじゃないですか?

原因は。

色んな意味で。

 

こう書くと、ブーイングが起きるのかな?

 

文章は、その文字だけを読むと、浅い理解しかできませんが、そこにどんな想いや意図や意味、それから、それを書くに至ったその人の背景までを考えて読むと、深い読みに繋がりますよ。

 

問題の、「核」を常に考えていかないと、道ってどんどん反れていってしまうんですよね。

 

抗議!の前に、対話があるといいですね。

 

 

 

投げ銭的有料記事ということで、

心の琴線に何か触れた方がいらっしゃったら、宜しくお願いします。

 

 

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