きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

親孝行のタイミング。清流の流れのように。

帰路へ。

ただ今、朝の5時40分。

鈍行列車6時間ちょいの旅。

帰りは、便の多い方へ帰るので、連結がよく乗り換えが少なく3回。

それだけでもずいぶん楽なはず。

 

行きの鈍行列車で7時間の旅は、、、。

いやぁ。

疲れました。

 

荷物がそこそこ重くて。

自分で詰めたんですけど。

途中で捨てられる物なかったかな?

何度そう思ったことか。

 

でもないんですね〜。

吟味したから。

 

ただ、鈍行の、車窓の旅は結構楽しかった。

座席に座れてからは。

高山本線は、ずっと川沿いに走るところなんて、川が美しすぎて。

まるで関西圏とは違う風景。

何が違うかって、

川の色が違う。

深いエメラルドグリーン。

空をそっくりそのまま鏡に写したような青。

 

長野鉄道が山の緑の中を走る高原列車なら、高山本線長良川鉄道と同じく清流列車と呼ぶに相応しい。

 

鏡面のような川面に目を奪われる。

こんな綺麗な川、見たこと無い。

 

3泊4日の旅は、親孝行の旅でもあり、年に1回か2回しかこれない夫の実家へゆき、高齢に差し掛かる一人暮らしのお父さんに、少しでも、心地の良いお正月を迎えてもらいたいというもの。

夫が1人では思案することも、2人でなら手掛けるのにも弾みがつき、その内お父さんも加わっての大仕事。

連日、足が痛い、腰が痛い、手が痛いと言いながらも、3日でやれるだけやって実家を後に、また今日、朝の5時台の列車に乗って関西へ。

 

「親の家を片付ける」ということは、親にとってもプライドやら気恥ずかしさやら、長年の愛着の空間への郷愁やら、の気持ちが入り混じって複雑なら、その子供にとっても、その親と向き合い、親の気持ちを慮り尊重しながらも、一つひとつ相談して前に進めなければならない勇気と忍耐、そして一大決心の要ることだ。

 

その背景には、それまでの親子の歴史があり、配偶者としては、その2人の歴史や気持ちもまた、慮り尊重し忍耐がなければ、その2人の話の成り行きを隔たせてしまうかもしれない繊細なこと。

親が少し若ければ、子供に自分の生活に口を出されることを嫌うだろうし、歳を取りすぎては遅すぎるから、大掃除といえどもタイミングが大切だなと思う。

 

今回は、そのどれもが上手く絡み合ったように思える。

お父さんも、もしかしたら私たちが動き出すのを心のどこかで待っていたかもしれない。

1人では、どうにもならないことに、どこか困りながら暮らしていたのかもしれない。

相談し、進める毎に、そんなお父さんの気持ちが見え隠れしていた。

まだまだしてあげたいことはあるけれど、それはまた次回に。

列車から見た清流の様に、ある意味、親子の関係も更に流れ出したのだから大丈夫。

帰省する度に、協力して進んでいけるだろう。

「綺麗になった。ありがとう」

そう言って、喜んでくれていた。

トンガリ山は、黒部五郎岳

 

今年は私にとって、大変動の一年になった。

一つの組織から抜け出て、独立するというのは大きなエネルギーがいる。

抜けて終わりでもなく、そこからまた次のステージにいく為のエネルギーがいる。

ただ、これまで1人で子育てしながら駆けずり回って仕事をしていたことで余波を受けていた我が子達へ、その12年分の歪みを取り戻すことにもエネルギーを注いだ。

逆境でも、放ったらかしでも、すくすくと真っ直ぐに育つ子供もいれば、逆に、きちんと手をかけ、目をかけてやらねば上手く育たない子供もいる。

その原因を母親が1人で背負わなければならないわけでもなんでもないのだけれど、子供のタイプが後者なら、そんな理不尽さにいつまでも心囚われず、必要なことならば取り組まなければならない。

12年分の歪みや拠れを一つ一つ丁寧に解き立て直すための親子の対話を、相手の様子をよく見て把握しながらじっくり進めてきた。

想定よりも、やはりそれは時間がかかることだったが、着実に変化し前進していると思う。

やっと、私たち親子にもそのタイミングが来たのだろう。

そのタイミングは、夫が与えてくれた。

この年末、そんな2人の我が子は、それまで実の父親と同じ姓を名乗っていたところを、今の私の夫と同じ姓へと改名した。

 

私の母の元へと走ったり、障がいを持つ子どもたちの運動の会へボランティアで参加したり、今まで関わっていたお子さんとまた新たな会を作ったり。

こんなに私の人生が、他者の為に働くというものになるとは、若い頃は想像も出来なかった。

 

明日からまた新しい一年が始まる。

今日までの一年が、どんな流れに注ぎ込んでゆくのか。

今は自宅に戻り、リビングの椅子に座り午後の曇り空の柔らかい日の光を眺めて思いを馳せている。