きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

こんな時ほど心に安寧を。〜「験を担ぐ」私たちだからできること。

今日から仕事始めの方もいらっしゃることでしょう。

心配なことの多かったお正月休みで、ゆっくりお休みになられたか分かりませんが、

心機一転、元気にいってらっしゃいませ。

新しい一年がまた始まります。

 

日本にとって、海外のクリスマスよりも大切な正月に、今回のような大変なことが起こると、多くの方が、この一年はとんでもない一年になるのではないか、と危惧し、強い不安に駆られておられるようです。

 

昔から、験を担ぐ(げんをかつぐ)という風習が日本にはあります。

語源は「縁起を担ぐ」ではないかと言われています。

自然によって漁(猟)や農作物の収穫に大きな影響を受けていた昔の人たちにとっては、神様の機嫌を少しでも損ねることなく恩恵を受けたいという気持ちは、命を繋ぐ意味でも最も重要なことだったのでしょう。

良いことが起きればまたその後も同じように良いことが起きますようにと、同じ言動を繰り返し行うことで祈願し大切にしてきました。

反対に、良くないことが起きれば、その時の言動を再び行わないように注意し、良い行動に置き換えることで防ぎたい、という心理が働いたようです。

古くから、このように言葉の持つ霊力というものに重きを置いてきた日本人にとっては、良い出来事同様、良くない出来事にもこの験を担ぐという心理は働いてきました。

起こった良くない出来事がその後の運命を象徴しているのではないか?と関連づけて、心配を強くするという気持ちは、ある意味、この験を担ぐという私たちに深く刻み込まれたものによって否応なしに起きる心身の反応と言えるのかもしれませんね。

 

私を含め誰もが、元旦という日本人にとって大切な節目に大変ことが続いたことで、心を痛め、今後を憂い、心身ともにかなり大きなダメージを受けられたことでしょう。

しかしそこから少し時間を置き、段々と落ち着きを取り戻し、考えてみると、年頭に今回のような大きな出来事があったからと言って、必ずしもこれからの一年、同じように大きな災いが降りかかる、とも言えない、という風にも思えるのではないかと思います。

言霊を大切にする日本人だからこそ、験を担ぎ、良くない出来事が今後を象徴していて不安にもなるのですが、日本中がこれからの新しい一年を悲観しすぎてもまたその言動というものは言霊となって全体を包み、弱い立場の方たちの不安を余計に煽ることに繋がり、社会全体が良くない大きな流れに乗ってしまうことも考えられます。

良くも悪くも験を担ぎすぎてしまうと、心のバランスを失いかねません。

 

日本中が、悲しみに包まれているこの時だからこそ、実際に被災には至らなかった私たちは、今、自分たちができることをしっかりその足元を見つめて丁寧に堅実に一歩一歩、心を込めて歩を進めることが重要なのかもしれません。

そのためには、困難な中に身を置いていても、深く呼吸し意識を集中することで畝る感情を穏やかに落ち着かせ、心の平和を保つという作業が必要になります。

「安寧」とは、社会が穏やかで平和なことや安泰を指す言葉です。

私たち一人一人が適度に「心に安寧を保つ」ことで、それを言霊に乗せて周囲に伝播させていくことが、社会が穏やかで平和で安泰になるために重要で、一番の早道なのかもしれません。