少し前に、「2024年にやりたいこと」というお題があったようですね。
今年ももう始まって4週間が経ちますけれど・・・。
私、実はこれまで、無言実行派でして。
叶うかどうかもわからない夢や希望や展望や野望は胸に仕舞い、誰にも言わないで、黙々と、着々と、準備はしておき、タイミングという名の大きな波がやって来たら、すかさず乗る・・・というスタイルでやってきました。
だって、もし口先だけになったら恥ずかしいじゃないですか。
途中で路線変更する可能性だってあるわけですし。
だから、恐らくかつて今まで、一度も「〇〇をしようと思ってる」とは言ったことがないんじゃないか?とすら思います。
でもそうやって、黙々着々と密かに狙いを定めて動き出していると、それは何か想念の力となり、「祈り」のようなものになっていくようで、自然と道が切り開かれていくというような体験をこれまでしてきました。
私の経歴からすると、そういった意味では療育施設の管理者や計画を作る責任者になったというのも、非常に稀なケースで、今思うと、運が良かったなあ・・・としみじみ思います。
こんな風にして、私は振り返って見ますと、昨日記事に書いたように、負の先払いをしながら、一足飛びに、ホップ、ステップ、ジャ〜ンプと、駆け上がっているように思います。
誰にも言わないからこそ、それは秘めたる力としてパワーが強くなっていたのかもしれません。
だから、今年やりたいことがぼんやりとでもあったとして、こうしてブログで書くかといえば、「いや、書かない」なんです、本当は・・・。
書くとすれば、実現してから。のはずなんです・・・。
ところが、ところがところが、
そんな、私なのですが・・・。
昨年の終わり頃、ある方のところに赴き、お話をしていると、不思議なことに、療育施設の管理者を辞めてから、一人あれこれと構想を練り胸に秘めていたことが、私の許可を得ず、勝手に口からどんどん流れ出て、一人歩きし出してしまったのです。
しかも、「私は〇〇がしたいんです!」「〇〇と考えているんです!!」と、言ってしまったんです。
それはそれは流暢に、内心の戸惑いを他所に、話して止まりませんでした。
相手が、私のメンターのお一人だったからかもしれませんが、それにしても、一体どうしたっていうんだろうか?こんなことは今までなかったことなのに・・・と、帰り道でも一人首を傾げながら帰宅しました。
私が構想を練っていたことというのは・・・
それまで勤めていた施設がある市の、30は優に超える療育施設を、療育アドバイザーとして巡回する、というものでした。
全国的に、療育施設は5、6年前から見ても爆発的にその数を増やしましたが、実際、質の高い療育が行われているところは少ないです。
どう対応していいかわからずに困っている指導員や責任者の方たちは多くいらっしゃると思うので、自分の気持ちや意向を上手に伝えることができない子どもたちへの理解がもっと進み、きちんと成長していくことのできる療育が行われるように、アドバイス及び指導をする役割を担いたい。そう考えていました。
これまで、度々、後進を多く育てる側に回っては?というお声を頂いてきました。
私が行っていることを、多くの人が共有できれば、もっと多くの子供たちを改善に導くことができる。自分の事業所の子供たちだけでなく、市、いや、もっと全国に広めに行くべきだと。
それは、とても有難いお声でした。
だけど、障がいを持ったお子さんが、あたかも障がいを克服したかのような成長を促す為には、相当な時間と、根気、そして全霊を注ぐほどの熱意が必要です。
そして、それは大変に難しい、ということを知っています。
他の方たちに、少し説明したからと言って、即理解でき、簡単に習得に繋がるはずもなく、恐らく一人の人が習得するまでに少なくて5年、普通で10年かかるだろう。それならば私は、目の前のお子さん一人一人に向き合い、確実に、着実に成長に繋げていってあげる方が結局は早道になるだろう。そう考えていました。
現場から離れてしまっては、それができなくなるのです。
ところが結局、私は母の介護のこともあり、責任者という役職から離れました。
すると、どうでしょう。やはり、現場は混乱し、カオスになってしまったようです。
その現状を知るにつけ、次第に私の気持ちが変化していきました。
責任者という仕事の仕方はもうしないけれど、もう少しフレキシブルに動くことができ、そして混乱してしまった現場や他にも困っている方々に少しでも良い方法を手渡してあげることができたら・・・。
あんなにも、手を広げることに抵抗があったはずなのに、それから程なくしてガラリと状況が変わり、一人でも多くの後進を育てよう、そう思えるようになろうとは。
自分でも不思議でした。
もし、そういった働き方が出来るとすれば、それは市から派遣されて巡回する指導役だろう。そう考えてもいました。
私が在職中にもその市の担当部署の課長さんが、市内の事業所全体の質を揃え、保つために、そういった働きかけをしたい、と話していましたから、きっと需要はあるということは知っていました。
しかしそれを実行に移すには、タイミングが大切です。
私のタイミングと、市の担当部署の業務のタイミングとが合うかどうかが問題でした。
私の予想ではおそらく12月がそのタイミングです。
今だな。
そう狙いを定めた日に、市の担当部署を訪ね、在職中にお世話になった課長さんに私の計画を打ち明けました。
結果、即「全力でバックアップする」というお返事をいただきました。
なんと。
パカっと、新しい道への扉が開いた瞬間でした。
以前、「仕事は扉の向こうからやってくる」と教えてくれた人がいました。
一生懸命仕事をしていれば、きっとそれを見ていてくれる人がいる。やがて、それが口伝えに伝わり、仕事の依頼がやってくる。そんな意味だったと思います。
「本当に、扉は開いたなあ」
自分でも驚きでした。
在職中に、その課長さんから「市内の事業所をまとめる役をしてくれないか?」というお声掛けもいただいていたので、きっと今回の私からの提案もすんなりと受け入れていただけたのだろうと思います。
今までの苦労が報われた瞬間でした。
ただ、一つ、私にノルマが課せられました。きっと皆さんなら、それは大したことではないかもしれませんが、私にとっては少々苦手なことで。
そこで少し躊躇し足踏みしています。
この、壁さえ乗り越えたら、本当に今したいと願っていることが叶うのかもしれません。思案のしどころです。
するかもしれないし、もしかしたら、しないかもしれません。
さて、もう一つ。
私にはしたいことがありました。
それは、こじんまりとしたものでもいいから、自分の教室が持ちたい、というものです。
それも、メンターに話していました。
他に、もう一つ別で、関わりのあった親子さんたちと作った個人的な会は持っているのですけれど、ここではそれとは違った個人療育の教室を持ちたいと思っているのです。
教室を持つとなると、部屋を借りて家賃が発生しますし、それ相応の用具も必要です。今の私にはそこまでの財力はありません。
何か良い方法があったらいいなあ。
そう考えていた時でした。
昨年の夏ごろから、お声かけいただいて、時々、障がいを持った子どもたちが緩やかに運動する場に介助のボランティアとして参加しているのですが、その様子を見て、そこの役員さんたちから、今市内に一つしかないと言われている2歳、3、4歳の幼児たちの親子体操教室の講師が一人お辞めになるので、そこに私はどうか?というお話を頂いたのです。
それは障がいをもつ子供たちの体操教室ではありません。
ただ、今は発達障がいの子供たちもその中に含まれているだろうと思いますし、現代の子たちは特に体幹が弱く、運動不足により体の発達も遅れがちです。障がいのあるなしに関わらず、小さい頃から体の使い方を教えてあげることでしっかり体を使えるようになり、それによって発達を促進させてあげることができれば、随分その後の成長は違ったものになるでしょう。また、子供たちとの関わり方やアシストの仕方を保護者の方達にペアレント・トレーニングとして教えてあげることができれば、ご家庭内での関わりも随分楽になられにるのではないかと思います。
障害児たちの発達の促進に運動は欠かせません。それは定型発達と言われる子供たちにも言えることです。
何十年と続いたその教室が、今存続の危機にあると聞いて、かなり思案しましたが、週に1回ということなので、とりあえずこのお話を受けることに決めました。
先週、初めて第1回目の体操教室(2歳児と3、4歳児の2コマ)に参加してきました。たった1日でも、子供さんへの誘導の仕方を伝授してあげると、「へえ、そうなんだ!」とすぐに実践されて、上手に我が子と遊べるようになったお母さん方がいました。
そうして教室を終え、帰ろうとした時でした。
そこのスポーツ施設の職員さんから呼び止められました。何やら話があるそうです。
その話というのは、スポーツ施設の部屋に空きがまだあるので、今後の計画として、障がいを持った子どもたちの運動教室を開くというのを模索している(現在、市内に公の本格的な教室はない)のだけれど、私に相談したい、というお話でした。
私が講師になる可能性はあるか?というで、
可能性?
それはありありです。
とお返事しました。
というか、個人ででも、ここのお部屋を借りて運動教室ができないか?と聞こうと思っていました、と。
公共施設での公の教室運営と、個人の教室とでは、収入や仕組みが全く違ってきます。けれども、場所が提供されて、利用者も募集されて、そこで障がいを持った子供たちやその保護者さんたちに、直接関わり役に立つことが出来るとしたら、そんな嬉しいことはありません。
公共施設なので、市が絡みますから、実現したとしてもまだ先のことになるでしょうし、本当に実現するかどうかもまだ分かりません。
でも、そういったお話をいただけるようになった、ということが今はとても嬉しいです。
仕事は扉の向こうからやってくる。
これは、日頃の自分の仕事ぶりを見ていた人から仕事の依頼をいただける、ということですから、そう意味では、市内の療育施設を療育アドバイザーとして巡回するというのは、私がトントントン!とドアをノックして扉を開けてもらった、ということになりますが、幼児の体操教室の講師や、今後の障がいを持った子供たちの運動教室というのは、扉の向こうからやって来たものなので、まさに昔教えていただいたことと同じです。
いつか、私も、人様から仕事を依頼されるような人間になりたい。
そのためには日頃誠心誠意、心を込めて他者のために持っている力を惜しみなく使っていきたい、と心に刻んできました。
小学校での介助員が療育施設の責任者の仕事に繋がり、その後療育アドバイザーになり、そこから収入には繋がらないけれどボランティアの声かけをいただき、そしてそれがあったからこそ幼児の体操教室に繋がり・・・、
いつの間にか私にも、仕事が扉の向こうからやってくるようになっていました。
この先の展開はまだまだどうなるか分かりませんが、
2024は夢広がる!といったところです。