義父の退院が決まったとホッとしたのもつかの間、入れ替わるように今度は母が入院した。
ケアマネさんから電話をもらい、主治医のおられる3時半を目指し、また急遽高速で片道1時間40分。距離にして110キロの道のりを急いだ。
母はケアマネさんが病院まで連れてきて下さるとのこと。福祉タクシーも急なので手配できなかったようだ。
朝になって38.9度の発熱だというから、てっきり前と同じ尿路感染だと思ったけれど、誤嚥性肺炎と診断された。
母は元々若い頃から気管に食べ物がひょっと入りやすい体質だった。
1週間ほど熱が引かなかったが、ようやく下がったそうで退院した義父もホッとしていた。
義父が入院してからというもの、2人が長年飼っていた犬を私が預かり連れ帰っていた。
ヘルパーさんに、犬の面倒まで見ていただくわけにはいかない。
土地柄か、非常に面倒見の良いヘルパーさんたちで、拘りの非常に強い義父とも良い関係を築いてくれていて、不安になるとしょっちゅうかけてくる電話への対応も心得てくれている。母も心許しているようで、ヘルパーさんには大きな声で話す。毎日来てくれる人というのは記憶にも残りやすいし、やはり心の拠り所だ。
そのヘルパーさんに、父はインコの餌やりまでもお願いしていて、本当にすいません、と詫び、せめて犬は連れて帰ることにしたのだった。
一軒家を買うには買ったが、私たちは今もこれからも犬を飼うつもりはない。
嫌いなのかというと、全くそうではなく、大好きだ。
でも、私は犬猫アレルギー。というか、毛がダメなのだ。子どもの頃は喘息がひどかった。
動物大好きの母は年がら年中動物を飼っていて、子どもの頃は学校から、大人になると会社から戻ると見知らぬ動物がいてびっくりするなんてことがザラにあった。
喘息の発作を起こしてひぃひぃ言っている私を見た祖母が見かねて母に
「動物と娘とどっちが大事なんや!」と怒って言ったら、即、
「動物!」
と答えた母。
これには祖母も私も絶句した思い出。
と、いいつつも、前の結婚では前夫の両親と同居で、家では庭で犬を飼っていた。元から飼っていた犬がしんでしまってからは、保護犬をもらいにいき、19キロもあるラブラドールみたいな雑種犬を譲り受け、その散歩役は私が引き受けていた。
しかし、母達が飼う犬は小型犬。家の中で飼っている犬だ。
母たちの様に、家の中で犬を飼う、ということは私も夫も到底できない。
特に潔癖性の息子は絶対に受け付けられないので、家に来た時ややこしいことになる。
家族の様に可愛がっておられる方々が読まれると憤慨されるとは思うけれど、私は動物を触った手で自分の顔などを触ると痒くなってしまうので、触った手はすぐに洗うし、服にスリスリしてくれても着替える様にしている。
そんなのって動物に失礼だとも思うので、なるべく近づかないようにしている。
母の家に行っても、必要最低限しか接さない。犬も賢いので、この人は相手をしてくれる!と分かって懐いてしまったら、逆に可哀想だから。
とはいえ、こんな事態になって、私しか連れて帰れる者がいないとなれば、清水の舞台から飛び降りる覚悟(大袈裟だけど)で、まだ決心もついていなかったが、夫に電話し、状況を伝えた。
もう後は見切り発車だった。
義父はその辺り、頓着がないので、恐らく犬の散髪に行くときはそのまま車に乗せているだろうから、キャリーなどないに違いない。
私の車にそのまま乗せたら、息子にアルコール浸しにされるか、二度と乗らないと言われそうなので、室内を探してなんとかゆったり入れるバックを探し床に広げてみたところ、なんと自分からすんなり入ってくれた。
道中も静かで、、、ちょっと怖かったのだろうが問題なく帰宅することができたのだった。
前もって夫には段ボールで囲いを作ってやってとお願いしており、到着したら玄関に立派に作ってくれたものが置かれていた。
玄関だから寒いので、夫の足元用のホットカーペットを譲ってもらい、常時マットの下にひいてやった。
母の家では自由に行動できたのに、こちらでは囲いの中で、散歩の時しか相手をしてやれないことが非常に可哀想だったが、お互いに暫くの間の辛抱だ。
連れて帰る日が散髪の予約の日だったらしく、すでに2ヶ月近く洗ってもらってないと見える。
見かねた夫がシャンプーを買ってきてお風呂に入れ、丁寧に洗ってくれたおかげで、何とか共存できる形となった。
もう、12〜14歳にはなるだろうとのことで、立派な老犬なので、風邪でもひかないかとヒヤヒヤしたが、こちらの低い気温の中でも朝晩元気に散歩に出かけ、その軽やかな足取りは本当に老犬か?と疑うばかりだった。
急に慣れ親しんだ家から見知らぬ場所へ連れてこられ、不安だったことだろう。
場所が変わったことだけでなく、どうして主が変わったのかと、理解もできなかったことだろう。
しかも、それまであまり、熱心に関わってくれなかった私が相手だ。
母の家では人が来ると、ここは自分の家だゾ!と我が物顔で吠えているのに、私の家では一度も吠えていない。ご飯と散歩の催促の時にせつなくクンクンと鳴くだけだ。
それも私たちの姿が見れないと鳴かないことが多い。無駄吠えをしない。
住んでいる地域には独自ルールがあるようで、自治会の規約をもらった時に書面に「犬の散歩は自宅の敷地内で糞尿は済ませてから」という文言が含まれていた。これにはびっくりして、犬ってそんなことできる?大変だなぁ、、、と思いながらも、我が家は飼うつもりがないので、他人事の様にそう感じていただけだった。
ところがそれが自分事として振りかかることとなる。
初日。
さあ、散歩に行かなくては。
だけど、庭でどちらも済ませてくれるだろうか。
初めてのうちの庭をまず知ってもらい慣れてもらうことから始めなければ。と、ゆっくりと犬のしたいようにさせ、付き合っていたが、まだきっと落ち着かないのだろう。なかなかそのタイミングは来ない。
シートを置いてみたりもするが、スルーされてしまう。
そのうち隅々まで調査が終わったのだろう。庭の外に行かないの?という表情でこちらを見つめてくる。
うんうん、分かるよ、そうだよね。今まで長い年月、散歩に出てそうした排泄を行ってきたのだから、当然だよね。
でも、ここで外に出ちゃうとそれでいいと思っちゃうよね。何でも初めが肝心だ。
と、もう暫く粘ることにした。
もう、庭は飽きたんですけど?という声が聞こえてきそうだった。
が、そのうち諦めたのか、我慢できなくなったのか、それともこちらの意図を理解したのか、タイミングがやって来た。
すかさず、シートを敷いてやると、何とか奇跡的に間に合い、シート上に済ませることができた。
一度、既成事実を作っておくことが大切だ。
更にウロウロしてもらう内に、うんちも済ませることができた。ラッキーだった。
それでは、お待ちかねの散歩へ行くとしましょう♪
いいんですか?♪
と、でも言うように、喜んで道に出ていった。
ところが、そこは見知らぬ土地。見知らぬ道。遠い街。
あれ?とでも言うように、絵に書いた様にキョロキョロとする。
路地を進んでは今来た道を戻り、また違う方向へと進んでは戻る。
老犬で白内障になってはいるが、見えてはいるようで、家を眺めては、違うな、といった感じでウロウロしている。
明るい朝はまだ良かったけれど、暗くなった夜の散歩は、その行きつ戻りつが酷くなった。
ただ初めての道、というだけでは無さそうだ。やっぱり母の家、戻る家を探しているのだろう。
せつないなぁ。ごめんね、こんなところに連れてきて。でも仕方がないんだよ。少しの辛抱だからね。
そう小さな背中を見つめて心の中で呟く。
それからというもの、暫くは夜の散歩で彷徨うことが続いたものの、少しずつ、環境の変化に慣れ、私たちにも自分の意向を出してくれるようになっていった。
お散歩!
お腹すいた!
以外に、背中ガシガシして欲しい♪という感じに。くねくねくねくね、しっぽ振りつつ足に纏わりつく。ヘビさんですか?
もうこうなったら仕方ないのである。
突然の飼い主たちの低迷により、遠方に預けられ、無駄吠えも一切なく、健気に順応しようとしている、この小さな生き物に、応えないわけにはいかなくなった。
それからというもの、散歩の後には毎回ガシガシ要求をされることとなる、、、、。
この小さな老犬は、推定14歳にも関わらず、散歩の足取りが非常に軽やかだ。段差があっても、ヒョイと上り下りしてしまう。華奢ながら、少し元々が筋肉質な身体なのかもしれない。
ドッグフードが硬いのか、一粒ずつ加えては上を向き、丸呑みしていたので、試しにその上にゼリー状のシニア用のフードを少し混ぜ混ぜしてやったところ、食いっぷりが良くなったが、それも影響しているのか、俄然元気になっている。
その上、この辺りから、小さな老犬の様子に更に変化が見られるようになった。
それまでは、本能として散歩に出たい!という欲求と、それを機会に家に帰る道を探したい!という様子がひしひしと見て取れた。
が、ガシガシ以降、私と散歩に出ることに多少なりとも喜びを表していると感じるようになる。
ある日、家の門を一緒に出た途端、長い毛の耳を風になびかせ、両前足を揃えて駆け出したのだ。
それは、まるで可憐な少女のように。
近所のお犬さんたちは、10歳前後ですでに散歩に行けなくなっているらしいのに、あなた、微塵も老犬のそぶりがないじゃない。
驚きつつも、その気持ちに応え、わたしも一緒に駆け出す。
え?あんたも走る?あはは♪
そうとでも言うように、こちらを見上げながら、もっと走りに弾みがついた。
その姿から、母たちの家への思いも持ちながら、新しい主と家で生きることを決心したような印象を強く受けたのだった。
散歩から戻り、玄関でリードを外し待たせておいて、水を入れ替えるため台所へと向かったら、小さな小さな、トコトコトコという音が微かに聞こえた。
玄関を上がり、台所に続く廊下をついてきたのだ。
それまでは絶対に入らなかったのに。
もう、ここ、私の家になったんでしょ?いいよね?
と、思ったのだろう。
散歩で走り出したのと同時に家に入り出したことを考えても、きっとそうに違いない。
おトイレも、先に庭にシートを広げて置くと、必ずそこでしてくれるようになった。
一時はどうなるかと心配したが、その心配は全くの無用だった。
義父は、口が悪く、お座りもしないバカ犬だよ、といつも言うが、私が声をかけるとお座りはするし、うちの家に来てからというもの、餌皿を持ち、お座りと一声かけるだけで、サッと座ることができていた。
これが子犬だったり、もっと元気な盛りの子なら、きっと苦労したことだろう。
トイレもすぐに理解し、餌もちゃんと食べ、無駄吠えも一回もなく、逃走もしない。
つかの間だけど、新しい住まいを受け入れ、順応しようとする、非常に適応力の高い賢い犬だったのだ。
そのお陰で、私たちは非常に助けられた。
新しい家に慣れようと決心してくれた矢先、義父が退院し、この小さな老犬も元の家へと帰ることになった。
またどこへ行くともわからないまま、バッグに入れられ、高速を走る車の中でジッと息を潜める。
これで3回目の車の旅だ。
どこに行くのだろうと、今回はブルブル震えていたが、義父の家に着き、バッグから出してやると、、、
え〜〜!?
家に帰ってきたの〜?
と驚き、義父を見て小躍りして走り回る。しっぽもちぎれんばかり。もう、大喜びなのが全身から溢れ出ている。
走りながらチラッと私を見つめた。
あんた、連れてきてくれたのね♪
とでもいうような顔だった。
やっぱり、家族なのだ。
母と義父と、この犬と。その繋がれた絆をひしひしと感じさせられた。
そうだよ、帰ってきたんだよ。
2週間、大変だったね。賢くしてくれてありがとう。助かったよ。
義父に散々纏わりついた後、私のところにも喜び勇んでやってきた。
ガシガシ。
あぁ、これからはもう騙せないな。
じゃあね。と義父の家を後にし、1時間40分の帰路についた。
さあ、早く帰って散歩に行かなきゃ、、、
あ、もういないんだった。
お待たせ、帰ったよ。
あ、そうだよ、いないんだよ。
玄関は以前にもましてガランとしている。
夫も帰宅し、
あ、いない!
朝、まだ頭がぼんやりしながら布団の中で、
早く起きて散歩に行かなきゃ、、、
あ、もう行かなくていいんだ。
あの可愛い姿はもう我が家にはない。
なんてことだ。
思いもかけず、
ペットロスじゃないか。
今回のことで、改めて小さな犬にも心がある、と実感した。
繊細な心の機微を生き物も持っている。
分かっていることだけど、ひしひしとそのことを感じた。
年にすれば、私よりもずっと年配になる。
落ち着きがあり、賢く、品のあるレディ。
その小さな姿に私たち夫婦は感動していた。
その犬は
くるくる巻き毛のトイ•プードル。
グレーヘアのルビーちゃん。
また、短い期間なら、来てもいいよ。