きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

親子の絆。

昨日の空は、黄砂か花粉かはたまたPM2.5か?と思うほどに白く霞んでいた。

地域のそれぞれの飛散データーは、まだ限りなく低いようで、それなら一体なぜあんなに白いのかと1人首を傾げながら窓の外を眺めていた。

入れ替わる様にして、息子が窓辺に立った。

腰に手を当て、仁王立ちで大きな掃き出し窓から遠く見える梅田の摩天楼を眺める。

遮るものが何も無く、固まってそびえるビル群は要塞のようだ。

川と空とに囲まれているからそれが不気味に映ったりはしない。

どこか遠い憧れの様に息子の目には見えるのではないだろうか。

息子はこの掃き出し窓の前に立ち、外をしばし眺めるのが日課だ。

思春期を迎えた頃、睡眠障がいの傾向が現れだし、とにかく起きたら光を浴びようと伝え続けた。学生の頃はまだいい。しかし大人になって調子が崩れた時、自分で自分の調子を整えるライフハックを身に着けてもらいたかったからだ。

初めは「うるさい」「そんなの意味はない」とよく言っていたが、お医者さんの言葉や色んな理論を話している内に、気がつけばベランダに椅子を出し、私が仕事に行っている間に日向ぼっこをするようになっていた。

息子は生き物が好きだ。空を見ていると鳥が戯れあいながら横切ってゆく。

川を見ていると白鷺や鴨たちや亀やヌートリアが餌を取ったり日光浴をして、生きる為の営みをしている姿が脳裏に浮かぶのだろう。

気が向けば「散歩に行く」と言って川沿いへと向かっていた。

ところが夏の大雨でヌートリアはどこかへ流されてしまったのか、パッタリと姿を見せなくなったらしい。それまでは息子が行けばどこからともなくひょっこり現れ、あちらもこちらを意識しているような動きをしていたと聞く。

「友達」

と、私たちはからかい、息子はまんざらでもない感じで受け入れていた。引きこもっていると、なかなか幼なじみたちと連絡する気になれないのではないだろうか。だからこそ、この川辺の「友達」は息子の心をほっこりさせる唯一の相手だったのだろう。姿が見えなくなってから、息子もパッタリと散歩に行かなくなってしまった。

散歩に行かなくなると、体の筋力が衰える。室内で歩くだけではしれている。階段を上ったり、段差を越えたり、腕を振って歩いてこそだ。心肺機能が衰えると、何か用事をしようということさえ億劫になってしまう。ただ部屋で、パソコンに向かうか、ベッドに寝転がるか。刺激のない生活になる。

淀みの出た空気の中にいると、自閉症圏の人たちは閉鎖されていく。密閉空間の中で理性が失われていくようだ。一歩外へ出れば、ハッと我に返るのに、部屋に籠もった途端、違うモードになる。これは自閉症不登校のお子さんを持つ親御さんならお分かりになるだろうと思う。赤ちゃんがどうやっても泣き止まない時に、外に連れ出し、頬を違う空気が撫でるとピタリと止まる、あれと同じ。停滞した空気の中では訳が分からなくなってしまうのだ。ひと度言葉をかけ違うと、抜き差しならない雰囲気になる。

だから、自閉症圏の児、者は、1人が好きで家の中にずっといても苦にならないから、無理に出さなくていいのではないかと思われがちだが、逆だ。少しでもいいので、習慣としてどこかへ出かける場所は持っていた方がいい。

大人になると停滞してから外に出すのは至難の技だから。

そんな息子だが、昨日は午後から散髪に行くことになっていた。散髪の予約だけは定期的に自分でしている。逆に言うと、髪が伸び放題では、ちょっとした外出さえも億劫になり滞るので、息子としても髪を切ることは日常生活を左右する鍵なのだろう。耐えられなくなると仕方なく予約の電話を入れる。

そういう自発的な行動が出来る用事を幾つか持っておくのは大切なことだ。

15:30が予約の時間。

やきもきしたが、1時間半前の14時には起きてくることができた。

以前なら、起きてからのルーティンに時間がかかっていたが、この頃は無駄な手順は飛ばしてサッと用意ができるようになっている。調子が少し戻ってきたようだ。

これで1人で電車に乗って行ってくれたらめでたしめでたし。

が、

「途中まで送ってくれる?」

と言って真っ直ぐこちらを見つめてくる。

いつもの刺々しさはない。

せっかくの外出する機会だから「1人で行ってくれば?」と言ってみたりもしたが、この所一緒に出かける機会はとんと減っていた。

年末に母のところへ夫と共に3人で出かけたのが実に半年ぶりだったのではないだろうか。

この頃は本人が要望するまで殆どこちらからは働きかけないようにしている。全ての責任の所在をはっきりさせるためだ。頼まれたことだけ行う。

今回は頼まれたことであり、私も出かける用事がある。今の流れを少し変えるきっかけにもなりそうだと踏み、

「帰りは自分でね」

と言うと、

「それでいいです」

とのことだった。

私はいつも車内では音楽をかけている。

息子は日常的に殆ど聴かない。

「出かける」ということが非日常なのだから、そんな時くらい音楽を聴いてもいいのではないか。そう思い、そうだ!うってつけの曲があった!と今お気に入りの曲をかけた。

そう。

「恋人たちのペイブメントTHE ALFEEだw

なぜかというと、心が洗われ清らかになるような旋律と歌声だから。

「これ、今お気に入りなんだよね〜」とサラリと言っておいた。

「ふぅ~ん」

彼は私がいつもロックばかり聴いているのを知っている。彼は全くロックには興味がない。だから、恐らく、いつもと違うな、くらいには気がついたことだろう。

続けてかけたのが「希望の鐘が鳴る朝に」THE ALFEE。そう、昨日記事でご紹介した2曲。落ち込んでいる時に励まされる曲だなと思っていたからかけたのだが、かけてからしまったと思った。歌詞を辿っていただければ分かるかと思うが、あまりにも歌詞がドンピシャすぎて、狙ってかけたなと怒るのではないかと思ったからだ。バックミラーで少し様子を見ながら、聴覚過敏も持つ息子の負担にならないように、密かに音量を上げ下げした。

息子は静かに外を眺めている。大丈夫だったようだ。

さっきの会話以外はお互い無言。余計なことは言うまいと決めていた。それくらい、今は難しい時だから。

 

指定の場所に着いた。

散髪屋さん近くのコンビニで降ろし、息子はそのまま歩道を歩き出した。

私は同じ進行方向の対向車線へと車を移動させる。車と徒歩で平行して進みながら、息子がチラリとこちらを確認した。

窓から微かに指を動かし合図を送った。

彼はブッシュマンのニカウさんかと思うほど視力が良い。距離が離れていても特に私の動きはよく捉えているから気づいているはずだか知らんぷりをしている。ポーカーフェイスだ。

目的の散髪屋へ行くには息子は道路を渡ってこちら側の歩道へ来なければならない。

丁度前の信号が赤になり車の流れが緩やかになったのを見て、息子は斜めに横断し、ゆっくり動く私の車の後ろを通り、足速に追いつきかけてくる。

彼は無視して過ぎるだろうか?と考えながら

私も若干息子の方へと目をやった。

スローモーションの様に、彼の目がこちらへと動き始めた。

私はいたずらっこの様に笑い、少し顔を傾げ、右手を小刻みに動かし手を振った。

息子は歩を緩めること無く進み、真横を通り過ぎていく。

過ぎていきながら、私が手を振っているのを確認した。

 

マスク越しの目が照れたようにクシャっと笑った。

次の瞬間、

腰の辺りで左手首から先だけを上げ、手を振り返していた。

 

 

どんなにぶつかり合っていても、空気が変われば一瞬にして元に戻ることが出来るのが親子だ。

どんなに憎たらしくても、息子は息子。

 

胸がジンと熱くなった。

 

ここは息子が生まれ育った町。

束の間、そこの空気に包まれ、刺激をいっぱい受けて帰っておいで。

バックミラー越しに離れていく息子を見ながら私は次の用事へと車を走らせた。