大晦日。
朝からお節を作る段取りを考えていた。
今年こそは紅白を始めから座ってみるぞ!と意気込んでいたからだった。
ところが、その後すぐに息子と夫が大喧嘩。
お節どころでは無くなってしまった。
取り敢えず、その日一緒にいることは出来ない。仕方が無いので息子は、どこか空いているホテルでも探して泊まることになった。
発端は前日30日の出来事だった。
時々息子を連れて認知症の母と、甲斐甲斐しく世話をしてくれている義父の元へ訪ねている。しかし、夏頃から色々あってずっと行けなくなっていた。
行った時には、引きこもっている無職の息子が少しでも働いて対価を得る喜びを知ってくれたらとの思いで、義父が庭掃除をアルバイトとして1時間幾らと決めてやり方も指導して面倒を見てくれていた。建築士1級を持ち、現場監督もしていた義父は、非常にきっちりした性格で、息子には申し送りから時間管理までして、成果を見てしっかり褒めてくれるなど、学ばせてもらっていた。
母の介護をしながら部屋の掃除にまで手が回らないので、年末には来て欲しいと連絡があり、タイミングを計っていたが、30日ギリギリになってようやくそのタイミングがやってきたのだった。
夫と3人の外出はかなり久しぶりだった。
誘った時は「無理」と言った息子も、今では本当の「おじいちゃん」と思うまでになった義父からのオファーに、「やっぱり行きます」と答えてから、彼なりに前日から段取りをして当日はかなりスッキリした様子で共に家を出ることができた。
高速で1時間半の車内でも機嫌よく落ち着いていた。
義父宅につき、義父から外の庭掃除をして欲しいと声がかかった時は本当に良い声で返事し、説明をしっかり聞いて「わかりました!」と返していた。
室内の掃除だと思っていたので、大丈夫かなと嫌な予感がし、心配したが、大丈夫だというので「そうか」とすっかり安心してしまった。
昨日書いた記事に出てきた「中山さんに参りなさいと勧めてくれた人」が、息子には職人の様な、マンツーで親身になって教えてくれる親方の様な人と仕事をするのがいいのではないか?と以前話してくれていたのが脳裏にあり、やはりこういう関係性のものもいいかもしれないな、などと考えてていた。
ところが、1時間ほど経った頃、中に入ってきたので義父が経過を聞いたところ、仕事をせずに「散歩していた」というのだ。
これには驚いて思わず「えっ!?」と言ってしまった。だって、掃除できる時間は限られていて、およそ2時間しかない中でどこまで綺麗にしてあげられるか、といった状況だったから。
でも彼は、普段なかなか行動スイッチが入らず低迷している中、久しぶりの遠出だ。小学6年の頃に妹や私の母、義父と一緒によく散歩した川辺りなどが懐かしくなり散歩して気分がよくなったなら、それはそれで良いかもしれない。そう気を取り直して、「じゃあ今から頑張って」と声をかけた。
彼は寒いので車に置いている上着を取りたいから車の鍵を貸して欲しいと言った。少し躊躇したが、それはそうだと鍵を渡した。義父も気を使い「ゆっくりしたらいいで」と伝えた。
上着を取ってから鍵を返しに再び入り、また外へと出ていった様子だったが、その時の姿は床掃除をしていて見ていなかった。
暫くして、、、
私は何か胸騒ぎがした。
車の鍵、上着、、、
さっきの嫌な予感が蘇り、慌てて外を見に行った。
が、いない。
車を見に行ったが、車内にもいない。車内に置いていたはずのリュックもない。
忽然と消えてしまった。
散歩に行ったのだろうか?それならリュックは必要ない。
呆然としながら、もう一度家の中に入り、車の鍵を探した。いつもつけている場所にない。鍵がないと帰ることが出来ない。焦り探し続けると車の鍵はポシェットのポケットから見つかった。
ところが、家の鍵が無い。無い。無い。
どういうことだろうか。辺りをどんなに探してもない。
連絡もつかない。
やられた。
と思った。
自分の鍵は持ってこなかったから、私の鍵をとっていったのだろう。
さっき、車に行った時すでにリュックも出してきっと準備していたのだ。でもその姿を見ていなかったから断定できない。悟られないよう、玄関前に置いてから入っていたかもしれないし。
気づいた義父と夫が心配しだしたので状況を話した。誰もが「警察に捜索願いを」と考えた。こういう時は良くないことが頭を過る。最悪のことを想定して動く必要がある。
しかし息子は二十代半ば。お金は持っていないがカードは持っている。
二十数年息子を育ててきた母親の勘として、分かることがあった。
恐らく家に帰ったのだ。そして寝ようと思っているのだろう。
やはり室内の掃除だと思っていたのに外だったこと、散歩に行ったことを騒がれたこと、などから、フェイドアウトしたのだろう。
それにしても電車だと3時間はかかる道のりだ。気に入らないからと言って黙って帰る距離じゃない。
途中で現金が無くて困ったり、事故にあったり、家に帰らないということも考えられる。
息子は私の家の鍵を持って行ってしまった為、もし息子が帰らなければ私たちも家に入ることは出来ない。
もし万が一息子がただ散歩していただけなら、置いて帰ってしまうことになる。
さあ、どうする?これは賭けだ。
ひとまず、警察には連絡せず自宅に戻ることにした。
道中気が気ではなかった。
彼が戻る時間を計算し、それより遅くなるように自宅についた。
ガチャ。ドアが開いた。
全身の力が抜けるようだった。
やはり家に戻り部屋で寝ていたのだ。
無事に戻っていたことに安堵したが、反面怒りがふつふつと湧いた。
そして問題の大晦日。朝、昨日の話になり、悪びれもなく悪態をつく息子に我慢出来なくなった夫に怒られ、ケンカになったのだった。
なんということだろう。この差し迫った大晦日に。明日はお正月だというのに。と、途方に暮れた。
ただ、違った感覚も同時に持っていた。ある意味、揉めるごとに息子の自立に向かって事態は動いている。息子が親への未練を断ち切り、1人で生きていこうと覚悟を決める為に、大きな力が働き押し出されていく、そんな感覚だった。
やがて息子はその晩の宿泊先を見つけ家を出ていった。
再び静けさを手に入れたのは4時近かっただろうか。
さてと。
紅白までに家事を終わらせて♪と思っていたのに、どうしようか。
和やかにお節を囲み新年の挨拶を交わす雰囲気では無くなった今、作る意味はあるだろうか?と自問自答した。
でも。
結論はすぐに出た。黙々と作ろう。残り時間3時間ほど。大した物は出来ないが、予定のお煮しめ、里芋の煮物、高野豆腐くらいは出来るはず。決めたら後はダッシュするのみ。
そうして奇跡的に紅白が始まるまでに作り終えたのだった。
2024の紅白は良かったなぁ(毎年良かったなぁと楽しんでいるが)。B’zは最高だったじゃないか。こんな風に焦らしに焦らして一番MAXのところで出場し、みんなの期待を裏切らないで大喜びされるって、本当に理想的。誰かがultra soulを国歌にしろってコメントしてたなぁ(笑)
と興奮の余韻を残しながら紅白の後、作ったお節をお重に詰めた。
次の朝。元旦。
息子はまだ戻っていないが夫と先に新年の挨拶を交わし、2025年の抱負を話し合った。
例年と代わり映えしない、どちらかというと既製品の多いお節だけれど、このお節があるのと無いのとでは、きっと大きな違いがあっただろう。
思いがけない出来事があったからと、慣習をやめ、ひっそりとした正月を過ごしたのでは、昨年の流れを今年に引き継いでしまうことになるのと同じ。
なぜ、節目というものがあるのかと考えたら、やはりどこかでけじめをつけるために一線を引く役割があるからなのだろう。
だから、意気消沈してお節も作らず火が消えた様な元旦を過ごすのは違う、と思った。
敢えて踏みとどまって、誰かがギュ!っと方向転換をして切り返しすことで、良いスパイラルに変えるのだ。
「その為にお節を作ったよ。」
と夫に話すと、「強靭な精神力」と笑っていた。
私たち2人はその後昨日の記事の様に初詣に出かけた。まだ戻らぬ息子にも新年の挨拶をラインし、初詣にでも行ってくれば?と送ったら、「とっくに行ってます」と憎たらしい返事が返ってきた。
息子は小さい頃から無神論者だった。だから余計に毎年嫌がっても初詣には連れて行った。習慣として身につけば、将来家庭を持った時、妻や子と一緒に初詣に行くことが出来るだろうと考えたからで、こうして1人ででも元旦に初詣に行くことが出来たのなら、それは長年苦労した甲斐があったというもの。
素直に嬉しく思った。
2日になり、やっとお節を食べに来た息子と暫く話し合った。自閉スペクトラム症とADHDを持つ息子は、やはり複雑な人間関係は苦手だ。なぜ怒られたのか、なぜケンカになったのか、説明したところ、頭を冷やしてきたところで理性が戻っていた様で、珍しく率直な自分の気持ちを吐露し、夫に、申し訳ありませんでしたと頭を下げた。そして、自立する為に家を探すことを受け入れたのだった。
息子には、私や夫、私方の義父、そして別れた父親やその母などは当然として、「中山さんに祈ってあげる」という全く彼が会ったことの無い人までもがみんな心配して祈ってくれているということを話した。みんなに愛されて育ってきたこと。でもそれをキャッチ出来ていないこと。足りないのは感謝の心であること、などを話した。
息子が初詣に行ったのは、地元のえべっさんと氏神様だった。
向かう道中色々なことを考えたそうだ。
血縁者達や会ったことの無い人みんなの祈りがえべっさん、氏神様、中山さんに届き、お力を早速頂いているような気がした。
「中山さんにお祈りすると、決まって良い方向に進むの」と教えてもらったことは、本当だったのかもしれない。
息子にも、「中山さんに行っておいで」と勧めておいた。