同時期にもう一人、帰国子女のお子さんがおられました。
活発で利発なお子さんでした。
良くも悪くもクラスを引っ張るリーダー性の強いお子さんでした。
初めは非常に落ち着かなくて、揉め事が頻繁に起きました。
その都度、両者の言い分を聞き、かみ砕いて双方に伝え、仲裁に入りました。
とても大変な時期がありましたが、個人的に話をすると、脆く可愛らしいところのあるお子さんでした。
落ち着かなくなると先生方の集まる職員室前に行き、廊下に置いてあるソファにどっかり座り、偉そうな態勢で寛ぐようになりました。
時には大きな声で騒ぎます。
おやおや、誰ですか?こんなところで寛いでるのは?
と、ついてきていた私は声をかけ、隣にやっぱりどっかりと座ります。
なんやねん!あっち行けよ〜。
まあそう言わんと。いいやんちょっと一緒に座ろうよ。
などと言いながら、しばらく時間を過ごします。なんだかんだと話をします。
なんでこんなところ来るんかな?先生方のお部屋やで?大きな声は迷惑よ。
一応、そこは職員室であり、マナーが必要であることを伝えます。
もう、うるさいなぁ、と言いつつも、目には涙が浮かびました。
もう辛い。慣れない。おもんない(面白くない)。学校辞めたい。毎日嫌や。
そう堰を切ったように、思いを打ち明けてくれました。
そうか、そうか、辛いんか。慣れないんやな。おもろなかったんか。学校辞めたいか。毎日嫌なんやな。
とその子の思いを繰り返して言いました。
何が慣れない?と分かっているけど聞きました。
日本が慣れない。と教えてくれました。けれどそれまでいた国がいいわけではないとも教えてくれました。
言葉は巧みに話せますが、やはり自分が思うようには理解がスムーズでなく、負荷がかかっていたようでした。特に同じクラスの友達たちとのやり取りで、取り間違いがあったり、上手くいかないことが多かったのでしょう。前の国と日本とで、言葉の解釈の違いも影響しているようでした。まさに混乱が生じていたのです。
傍若無人に見えて、実は繊細な心を持っているお子さんでした。
どうして職員室前に来るのか?
それはソファがあるから。
そんな風に答えますが、その目は不思議そうに見ながら出入りする先生たちを人懐こい目で見上げ観察しています。
わざと職員室前で騒いで、先生方の注意を引いているのです。
おう、どうした〇〇。
と声をかけてもらえるのを待っているのです。
教室には、身の置きどころがなかったのでしょう。同い年の友達の中よりも、大人たちの中にいるほうが安心なのでしょう。
実は困ってるんだよね〜。
と、前に来てくれた先生に、さりげなく代弁しました。
なんや、困ってるんか、何に困ってるねん?
と、先生も関心を持って聞いてくれました。
そのお子さんが落ち着かないでいることは、他の先生方も知っていることでした。
その本人が困ってる、と言うのです。これはチャンスとばかりに先生たちも相談に乗るぞムードになるわけです。
そこで私はそっとソファを空けました。
代わりにその先生が座りました。
私たちは身近で子どもたちの話を聞き、気持ちを掴み、顔色や言動を見て、ちょっとした変化も逃さずキャッチして先生と共有します。学校はチームです。支援は人と人を繋ぐ仕事でもあります。一人の子どもの情報を、適切な人に渡し、適切な働きかけができるよう、アシストすることも大切な仕事です。
このお子さんは、2人になると途端に心開き弱音を吐けるようになっていました。本当は人懐こくて可愛いところのあるお子さんなのです。他の子どもたちと変わらない可愛いお子さんです。
色んな出来事がありましたが、その都度繰り返し仲裁したり、どう行動すればいいか伝えたり、対峙したり、濃い2年間を過ごしました。
こういうお子さんたちと接する場合、一目置かれる、ということが必要になります。
休み時間には追いかけっこをして、全力で逃げたり追いかけたり。
先生速いなぁ!
そう目を丸くしながら、喜んでくれたらしめたものです。
男の子はより強い相手に従う、という傾向があります。一緒に遊びながら気がつけば、すごいなぁ、やるやん、とまだまだ自分を上回る相手がいるんだ、と向上心を刺激される。そして嘘は言わない、約束は守る、弱い者の立場になって全力で守る、正しいことを教えてくれる。そういう行動に触れた時、子どもの心には勇気が湧いてきます。
そんな風に、この人は、と認めた相手のことは自然と模倣しようとし、素直になれるのです。だから、悪い方向の力を持った人ではいけません、善良な方向性の力を持った人が牽引するということが大切になります。
対峙する、というのは、日々クラスで起こる出来事に対して、心と心で話し合うということです。
ちょうどギャングエイジと言われる年齢になっていましたから、規範やルールを獲得できるかどうかの瀬戸際でもありました。
ここでしっかり獲得することは、その後の安定した高学年になれるかどうかを左右します。
海外から戻ってきた子どもたちにとってもそれは同じでした。より大きく揺れる心とがっつり組み合い、過ごしました。
徐々にそのお子さんは立ち直っていかれ、元々持っていた利発さを発揮できるようになっていかれました。
ちょうど変わった担任もお山の大将のように良い方向性の力をもった方で、子どもたちをグイっと引きつけ、牽引していかれました。私はいつもその先生と情報交換し合いながら、そのお子さんを含め、クラスの子どもたち一人一人に目と心を配り、子ども同士良い関係が築けるように働きかけました。
高学年になると、そのお子さんの新しいクラスには支援の必要なお子さんがおられなかった為、入ることが減り、たまに家庭科などにみんなの助っ人で入る程度になりました。
私を見つけると、しまった。きらめきが来た!と照れたようなイタズラっ子のような瞳を輝かせます。
遠くから見守っていると、まだ時折落ち着かない様子は残っていましたが、ずいぶん自分をコントロールできるようになっておられました。
それでも気になる素振りがあった時、トントンと肩をタッチすると、あ!そうだった!と気づきまた立て直すこともできていました。
授業が終わり去ろうとする私に、
おれ、がんばってるで♪
と声をかけ横をすり抜けていった時には、それまでの関わりをしっかり覚えていてくれてるんだなと嬉しくなりました。
言ってみれば、転校しただけでも子どもは慣れるのに苦労し心彷徨うのに、国が違うということが子どもの内部で混乱を起こし、どれだけ大きな影響を与えるか、ということを私に教えてくれたお子さんでした。
しかし、その頃にはぽっかり空いた心の穴は徐々に小さくなり、すっかり満たされているのを感じました。
私はその年度を最後に小学校での仕事を辞め、療育の世界へと進みました。
そのお子さんは、中学校へと進みました。
中学1年生の頃、町でそのお子さんとすれ違いました。
私はこちらからは声をあまりかけないようにしています。が、
「あ!あ!!きらめき先生!きらめき先生がいる!お母さん!きらめき先生だよ!」
と、そのお子さんは私に手を振りながら慌ててお母さんを呼びとめています。
一番私に叱られ、やいやい言われて嫌っていてもおかしくないお子さんが、大きく手を振り再会を喜んでいる。
それは、関わった月日の積み重ねがお子さんの心の中でまだ生きている、そう確認させてもらえた一瞬でした。
更に数年後。同じ町で、私は療育施設の子どもたちを引率し、多くの人が行き交う歩道を進んでいました。前から高校生の集団がワイワイやってきます。私の横には小学生から見ている自閉症のお子さんがいました。
高校生の集団とすれ違いざま、一人の人と目が合いました。一瞬、私と隣の自閉症のお子さんに目をやり、大きく目を見開きました。
お互いに、ほんの一瞬でしたが目の奥をキラッと光らせたことが分かりました。
その口元は綻び、その後キュッと口角が引き上がったのが見えました。

