きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

心に刻むこと。

もう10年ほど前になるでしょうか。

縁あって一人の子どもが私のところへやってきました。ゲーム依存のお子さんでした。

家にいる間は片時もゲームを離さない。

同時に両手で2つのゲームをしているので、手離せないから食事は合間を縫って手掴み。

母親が注意しようものなら激昂する。

物を投げクーラーなどの家電用品を壊す。

延々泣き喚く。

という状態で、お母さんが困り果てておられました。

当時小学生の低学年だったその子は、小柄で可愛らしく、口も達者ではない目立たないお子さんで、宿題はちゃんとして来ていた為、学校ではノーマーク状態でした。

当時、このお子さんの様に、「え?この子が?」と、にわかには信じられないような大人しいお子さんが家庭内でだけ暴れるというケースが増えてきたころでした。

外では大人しいので、お母さんの困り感は理解してもらいにくく、本人もなかなか援助してもらえないということになりやすいです。

では、なぜそういった子が家でだけ暴れるのか?

という問題には、その子の置かれた背景を見ていく必要があります。傾向として、外では不安や緊張が高く、人目をとても気にするところがあります。宿題はしていかなきゃいけないとはよく理解していますがゲームに没頭していたり、後回しにしていたりで気がつくと夜中近くになっていて、そこからパニックになって泣き喚きながら宿題をしだします。夜はもう寝て、朝早く起きてしようと説得しても、「宿題は夜する」と頑なに考えていて応じられません。なので、宿題は忘れませんが家庭では大変な親子の葛藤が起こっている、という、問題が見えにくいケースです。

このお子さんも、本来は生真面目で融通の利きにくい性格のようで、まさにこのタイプでした。所謂ASDADHDの混合タイプです。

ただ、背景にはそれだけでなく、子どもがゲーム依存となるケースの中には、家の引っ越しや転校、いじめという子どもにとっては大きな環境の変化や悩みがあることがあります。新しい学校に馴染めず、親しい友だちも出来ない。帰ると遊ぶ友だちもいない、学校でも1人(だと本人が思っている)、緊張や不安が続く。家で、ゲームをしている時だけがホッとする時間。その寂しさを紛らわすように段々ゲームにのめり込みます。ゲームだけが友だち、イヤなことを忘れられ、安心できる時間。だから、取られると激昂するわけです。

お母さんのお話の中から問題の背景を浮かび上がらせて、1つ1つ選り分けて対処していきました。まずはそのお子さんの気持ちに寄り添い、固い認知を解して適切な考え方や行動の仕方を伝えました。

宿題は朝しても良いこと。

夜は早く寝ること。

宿題はできる範囲で良いこと。

などです。

学校の先生にも連絡して共通理解を持ってもらい、共通の対応を取ってもらえるようにお願いしました。

 

友だち作りも大切です。認知に偏りのあるお子さんの中には皆からちゃんと「友だち」と認識されていても本人はそう感じていない場合があります。

転校したお子さんなら、前の学校の友だちだけが、友だちと思っていたり、「友だちって、親友だけが友だち」と考えていたり。わざわざ「クラスのみんなは友だちだよ」とか「みんなは友だちと思っているよ」と言ってあげないとわからない。ということがあります。「友だち」という概念形成がうまくいっていないとか他者の気持ちが分かりづらい、といった特性も要因の1つに入っていることがあります。こういった認知の穴を塞ぐ作業や、学校の先生からクラスのみんなとの関係の調整や本人への配慮をしてもらうといった対応をして、本人が実感できるように働きかけることが必要です。

宿題に関しても、先生からも「朝してもいいんだよ」「できなければ学校で一緒にしよう」と許可を出してもらいました(この家庭と学校、療育と家庭、のように関係する両方から許可が必要なことを、私は『二段階許可』と呼んでいます。)

こういった、ゲームに固執しなくても大丈夫な様な環境調整をすることで、背景の問題は一部取り除くことができます。ここまでくると、本人の気持ちはずいぶん楽になることでしょう。一人で抱えていたことを理解してくれる大人がいて、自分の為に立ち回ってくれるというのは心強いものです。

 

ただ、それだけでは1度ゲーム依存のサイクルに入ってしまったものは簡単には元に戻りません。次には、親子関係の見直しや関わり方に問題が移っていきます。遡れば、小さいときにどのような行動トレーニングをしてきたか、ということに焦点が当たります。例えば買い物中に子どもがおねだりをして、ごねだしたら?取り敢えず欲しいものを買い与えてその場をしのぎますか?それとも、泣きわめくかもしれませんが、1度買わないと伝えたらそれを通しますか? 行動トレーニングとは、そういった幼少期から始まっていると考えられています。

もし、その時代に上手くトレーニングが行われていなくて、現在の問題に繋がっているとしたら?もう一度、やり直すことになります。倍の時間がかかりますが、遅すぎるということはありません。

ただ、中には、この行動トレーニングを家の中でお母さん一人で行うことが困難な場合があります。お母さんの精神的な状況というのもあるでしょう。切羽詰まっているケースもあります。

 

私は、自分の子育ての経験から、そのお子さんはゲームから一度離れた方がいいと考えました。ゲームを家から無くすのです。

何日か荒れるかもしれませんが、それも数日だけのこと。お母さんが本気だと悟った子どもは、ゲームがしたいがゆえに、今度はルールを守ろうとし出します。トレーニングだけでは、改善に長期間かかり、その間このお母さんは、ゲームを持たせたままの状態での子どもの反発には耐えられないだろうと判断したのです。一旦子どもの理性を取り戻し、平常心に戻ってもらう必要がありました。

そしてお母さんには、この行動トレーニングの方法をお伝えしました。もしも子どもが荒れたら、どうしたらいいのか?とご不安のご様子でしたが、学校とも相談し、子どもさんが暴れた時には、一旦学校の管理職が家庭訪問をして、ゲームを預かる役をすると、申し出てくださいました。

家庭内にあれば、部屋中をめちゃくちゃにしてでも、親がお風呂や寝静まった後でも、必死にゲームを探してしまうので、完全に家からゲームを無くしてしまう方が諦めがついて良いからです。

 

ところが、公的機関の臨床心理士がこれをストップさせました。また別の公的機関の職員もそれに同じ意見のようでした。取り上げた時の子どもの反発にお母さんが耐えられないと考えたのです。

学校と私側の療育施設は、普段から子どもに直接関わる機関です。言ってみれば実戦部隊。子どもたちへの対応を考える時、しばしば心理職との見立ての違いが発生します。直接関わることのできにくい心理職は、どちらかというと緩やかな手立てに傾きがちだと感じることがあります。しかし、学校や私側は、直接子どもたちに関わることができるので、どれくらいまでの手立てなら有効かと、実際にその子を見ながら検討することができます。

 

学校と私との意見は一致していましたが、こういう場合は心理職の意見が通りやすいので、結局このお母さんは自宅でお一人で子どもにゲームを持たせたまま、行動トレーニングをすることになってしまいました。

その間は教育センターの心理士が主導となります。

 

それから数ヵ月後。私はその時の職場を事情により離れることになりました。お預りしていたお子さんのことは全員、気になっていましたが、とりわけそのお子さんのことが気にかかっていました。

なぜなら、そのお子さんにとって、私が重し役になっていたからでした。

 

さらに2ヶ月ほど経った頃、風の便りにそのお子さんが何ヶ月か親元を離れ過ごすことを余儀なくされたことを知りました。

お母さんが耐えきれなくなってしまったのです。このままでは、事件になりかねない、とSOSを出されました。

結局、しばらくしてから家に戻されたそのお子さん。それからは親戚のお家がゲームを預かることになりました。

「遊びに行った時だけすることができる」というルールに決まったそうです。

 

それからそのお子さんは、憑き物が落ちたように大人しく生活されるようになりました。

 

ただ、親元から離れてい過ごしていた期間、そのお子さんはどんなに心細い気持ちで過ごしていたでしょうか。

それを思うと胸が痛んで仕方ありませんでした。

例え、心理職や子家センの意向だったとしても、もっと、強固に見解を打ち出せば良かった。あの時、学校の管理職も同じ見解で、みすみす受け入れなければならなかった方針に苦渋の表情を浮かべていましたから、もっと協力して打ち出せば良かった、、、。

 

と、今でもあの時の苦虫を噛み潰したような気持ちは忘れることができません。

 

 

 

 

 

ゲーム問題は大人の問題。

ゲームにまつわるお悩みについて。

この問題。

お子様の問題のようでいて、実は大人の問題だと私は認識しています。

 

私は長年、「子どもたちとゲーム」について観察し、考察してきており、ゲームに依存する子どもたちやその親御さんたちにも深く支援を行ってきました。

そこからまとめた内容を過去に書いておりますので、再掲載させていただきます。

時期的にジャニーズ問題が世間を騒がせていたころでしたので、その問題に絡めて書いたものです。必要な部分だけお読みいただけたらと思います。

 

kiramekituzuri.hatenablog.jp

 

定型発達といわれる子どもたちと、発達障がいの子どもたちでは、明らかにゲームに対する耐性と執着度合いが違います。全く別だと考えてください。時々上手く折り合いをつけることに成功したように見えるケースもありますが、だからといってみんな同じようにはいかないことを知ってください。

 

私は我が子が発達障がいであるとご存じなのに、ゲームを買い与えようとされる親御さんには、本当にいいのですね?と念を押します。

 

アルコール依存症はアルコールを飲みながら治療することはできません。

薬物依存症も同じです。

なぜ、ゲームに関しては、すでに依存症の域にあるのに、それでも「ゲームとの付き合い方を学びましょう」となるのでしょうか。そうやって理性的に考えると気づかれますよね。

 

 

与えたら最後。その日からゲームをめぐる格闘の日々の始まりです。

 

本当に必要ですか?

そのゲーム。

 

ハイキングだってトレーニングになる。実践記録。

夏の終わり、ある団体さんが実施したハイキングに同行してきました。

片道3㌔弱、往復6㌔、出発点から到達点まで標高差が100メートルと、行きは緩やかながら適度に負荷がかかる登り坂です。

自然豊かで人気のコース。

この団体さんは障がいを持った子どもたちと、その保護者が主体となって運営し、月に何度か運動を行っています。

学校のOBの先生方(元校長先生方)も数名おられ、長年続く団体です。そろそろ先生方も高齢になられ、世代交代が迫り、白羽の矢が私の頭にも刺さっています。

 

ダウン症のお子さんもおられれば、半身に拘縮のあるお子さん、重度の自閉症自閉スペクトラム症ADHD、知的障がいなど、様々な障がいの子どもたちが利用しています。幼児〜小学生の部、中学生〜大人の部とあり、みんなすこぶる可愛い人たちです。

この日は10組ほどの親子が参加していました。

今年の夏も猛暑でしたが、幸いにこの日は良い感じの曇り。そしてコースは木陰も多く、汗かきの私もこれなら何とかなりそうだと安堵できました。

このコースは地域住民なら、学校の遠足や子ども会などで何度も来ていておかしくない場所です。

集合時間。

いつもと違う活動に、不穏になって、帰ると言い出さないかと懸念があったAさんは、あれこれと心積もりをする為の質問を私に投げかけてきます。

Aさんは、学校の体育には殆ど参加できていません。服を着替えることすら拒否するそうで、お母さんがいつも悩んでおられました。

しかし、この団体さんで運動をする時だけは、私と一緒に運動することができます。自閉スペクトラム症特有のコミュニケーションや認知の仕方、ADHDの集中持続の問題への介入方法、早送りで動く体の動きの制御方法などを熟知し適切な配慮を組み入れながら接しているからです。

普段の活動の中でも、前で説明する先生の方を、みんなと同じように注視して集中して聞くことができずに、話を聞く人たちの周りや間を駆け巡ってしまうAさんに、他の方が、ただ「先生を見るよ」とだけ言ってしまうと、先生の背中に乗ったり、ぶら下がったりとちょっかいをかけに行ってしまいます。シングルフォーカスのお子さんの目にはその先生しか見えなくなるからなのです。世界に「先生」と「自分」しかいなくなるからなのですが、

「先生は今、みんなに話をしているから、あなたはみんなと同じこっちへ来て、お話を聞くと先生も喜んでくれるよ」

と、そっとその子にだけ聞こえる声で話してどこで聞くといいのか、良い位置まで誘導して一緒に座ります。そして、そのAさんの質問に2、3、答えながら、次第に集中を前の先生へと向け、最後までしっかり周りと同じ正座で聞くことができるように肩や膝に軽く手を置き、気が付かない程度だけど安心して落ち着ける程度の重みをかけて、トレーニングしていきました。今では最初と最後のお話を聞く姿勢はバッチリになりました。

そんなAさん、今回は少し緊張しているからなのでしょうが、お母さんは周りに気を遣い、私と話そうとするAさんに、注意しようとやって来られましたが、私はそれをやんわり制止しました。

私は、Aさんの特徴を知っていたので、この質問攻めが、知らない未知のコースへ行く不安に打ち勝とうと葛藤している表れであることが分かっていたからです(全く違う話題だけれど)。単なる多弁ではないのです。

そこで、全体に迷惑がかからない程度のAさんにだけ聞こえる声で(聴覚過敏もある為)、そのお子さんの質問にほほ笑みかけて(安心感)、2、3、応えながら、さりげなく前の人の方を向けるように自然に誘導したところ、その誘導にのって次第に集中し、静かに口を閉じて前を向くことができました

なぜなぜ攻撃の質問攻めにしてくるお子さんには、笑顔で2つ3つ答えてあげながら、次第に口をつむんで、見る方向を「無言」で指を差し体の向きを変えてあげることで、怒らせたりパニックになることなく、前で話す人の話を聞くという適応行動へと導くことができます。そして必ずその後に「上手に話が聞けたね、これでいいんだよ」と認めることで本人に印象づけ次回へと繋げることが大切です。どう行動すれば良いのか。その行動を取ることで良いことが起こる。と知ることで行動を変えていくことを認知行動療法といいます。

 

ハイキングがスタートすると、中学生のBさんは、お母さんの腕に絡むように縋りつき、ぶら下がるように体重をかけてゆっくり歩いていました。

これではお母さんが最後までもたないな、と思い、Bさんを私が引き受けることにしました。

Bさんの兄弟のCさんには半身に拘縮がありました。拘縮で手足が伸びきれず、腱が硬くなり歩く時に踵が着地しにくい、また手を伸び伸びと振りにくい、というハンディがありました。でもそれも手術で改善し、あとは踵をつけて歩くトレーニングを重ねていくことが課題となっていました。長年の癖で、気がつけばつま先から着地させ踵を浮かして歩きがちになるからでした。これでは当然踵は上がり、アキレス腱が縮まった状態です。日頃から伸び縮みさせていないと、また固くなってしまうのが懸念でした。

 

Bさんは、走ると速く、運動神経は良い方で、できることも多いのに、Cさんのことを気にかけるあまり、ずっとCさんに寄り添って、Cさんのペースに合わせて活動して育ってきていました。それはまるで一心同体でした。

しかし、そろそろ兄弟といえども、各々の好みや能力を活かして自由に振る舞い、輝いたっていいのでは?とBさんを見るたびに考えており、そのきっかけになる機会を狙っていました。お母さんも同意でした。

 

Bさんの力では、この坂は、恐らく問題なく上り下りできるはずです。しかしその足取りは非常に重く、ずっと不満を口にしていました。

 

この団体の今年度の会長さんの計画によると、折り返し地点まで上り、そこからまた下って、元のスタート地点に戻るまで、約2時間の計画だそうですが、自分の施設の子どもたちを何度か連れて来たこともある私には、それは恐らく不可能だ、ということは分かっていました。

「きっと2時間は難しいと思うよ〜」と会長さんに進言していたところでした。

案の定、Bさんの様子を見ただけでも、このペースでは1日がかりになってしまうな、と感じ、スタートしてから10分で、頭の中で作戦を練りました。

 

まず、だいたい私は子どもさんがある程度の年齢になっていたら、そのコースには何回くらい来たことがあるか?と質問をすることが多いです。

それはそのお子さんが、これまでの経験からコースについて、どれくらいの距離で、どれくらいの時間がかかり、どれくらい疲れるか、といった見通しを持っているか、いないか、が分かるからです。

Bさんは案の定、「来たことない」と答えました。しかしこれは恐らく正しくないなと思いました。近辺の学校では必ず遠足で来るからです。ただ、記憶が定かでないのだろうと予想しました。来たことはあるけれど、覚えていない。だから、前回どれくらいの時間がかかり、どれくらいしんどいか、という見通しが立てられていないのです。

ここで、「◯時間かかるよ」とか「◯キロだよ」とか「何時に着くよ」と言っても、時間や距離の感覚を理解するのが難しい場合があり、逆に不安を増してしまうことになりやすいです。

そこで、私はまだ不安そうなその子と手を繋ぎ、初めは少しペースを上げて、楽しい話をしながら歩を進めていきました。それでもあれこれブツブツと言っていたので、

「きっと、自分の体力が持つかが心配なんでしょう?」と言葉にならない思いを代弁したところ、やはり図星だったようでした。Bさんは、バツが悪そうにはにかんでいます。

体力が保つか分からないという不安は、中学生としてストレートに言うに、気持ちの面で抵抗があるのと、上手く表現しにくいのと、両面があったのではないかと思います。

大丈夫なんだよ、〇〇さんの体力ならこれくらいは充分いけるからね」とだけ言い、また楽しく話しながら歩き続けました。

楽しそうなわけでもなく、取り留めのないことをずっとブツブツ言っている場合、言葉にして言っていることと全く違うところで、不安や心配をしていることがあることが多いです。

でも、直接それについてずっと掛け合っても、なかなか本人たちは安心することができないことが多いです。それは言葉で説明されても、実際には感覚的にそれらを捉えることができないからです。

そんな時は、不安や心配が自然と消えていくように、まずは「大丈夫」なんだと保証してあげ、あとは楽しく会話しながら先に進めるように誘導してあげるのが1番なのです。

気を逸らす作戦です。

あまり直接時間や距離など、本人が幾ら教えられても実感を掴めないことについて言葉で説明されても、余計に納得がいかず、歩き出せなくなって膠着状態になることがあります。

それよりも、気分を解し、気をそらした状態で少しずつでも動き出すことが大切です。

初めは手をひかれていたBさんですが、綺麗な景色と楽しい会話で段々足取りが軽くなってきました。

ここで3つ、私が打っている手立てがあります。

それは、「歩幅を合わすこと」と、繋いだ手を中心にして「子どもと反対の手足を動かして歩く(鏡写し)こと、そして「1!(2)、1!(2)」と「1」を強調して「一緒に手を振って歩くこと」です。

例えば私の右手とBさんの左手を繋ぐとします。「1!」では、私の左足と繋いだ右手、Bさんの繋いだ左手と右足が出ます。(2)ではその逆になります。

隣に並んで歩く時、多くの人は、横の子どもと同じ側の手足を振って歩きがちです。しかし、それでは体力の少ないお子さんや、手足に少し麻痺が有るような子ども、そして集中の持続が難しい子どもとは上手くリズムを合わせて歩くことができません。

繋いだ手を基軸として、鏡写しのように正反対に動くことで、連動してリズムを保つことができます。

Bさんは、上り坂にも関わらず、この3つの手立てでペースが軌道に乗ってきたところ、さりげなく手を離しながらも鏡写しの動きと、1!(2)の掛け声は続けました。さりげなく手を離すことで、手は離れているけど「意識は離れていない」という状態で、間の数センチのすき間は、言ってみれば磁力で浮いて走るリニアモーターカーの様に連動した状態を作ります。

この、あたかも磁力で繋がっているかのような状態をキープするには、手と手の距離が近くないといけません。なので自動的に鏡写しの動きになるのです。

 

ただ、これだけでは長い道のりで気力を保つことが難しくなります。そこで、もう一つ打った手立ては、、、

「先頭集団に組み込む」です。

長い列の最後尾を歩くと、先頭に追いつかなければならない、というプレッシャーをずっと感じ歩くことになります。でも先頭集団にいると、前は拓けた景色、そして何より先頭にいる!という爽快感と優越感が低迷しがちな気分を一掃してくれます。

更に良いのは先頭集団に、このブログでも何回か登場している、私がずっと見てきている「ぐら」くんと、Aくんがいた事でした。

ここに加わり、私とB さんと4人で楽しく会話しながら心新たに続きを歩いていきました。

この楽しく歩く時間と距離は、子ども同士のSST の時間にすることができます。

普段は親や私たち先生と話すことが多い子どもたちの間に入り、私たちに投げかけられた質問や会話を一旦受け止めリピートしたのち、他の子どもに「〇〇だって!先生はこうだけど、△△さんはどう?」「□□さんに答えてあげて」と回すのです。

これにより、みんなのベクトルが先生に集中しているものを、子どもから子どもへとベクトルの向きを変えることができていきます。

「先生に話したけど、友達に質問した形になり、答えも友達から返ってくる」という状況から、次第に先生に向ける質問の方向を、無言の指差しで友達に向けていくと、段々直接友達に質問を向けるようになっていきます。

質問を向けられた方も、答え方が分からない事が多いので、適切な返事の仕方やその時の気持ちを聞き取り答え方を教えてあげて子どもから直接友達に返してもらう、ということを繰り返します。

これは、日々の生活の中でも使える、非常に大切な介入の仕方、SSTの方法です。

こうすることで、冒頭の不安の強かったAさんも、自分に適したペースを掴めず不安だったBさんも、気がつけば気分が一掃され、楽しく伸び伸びと自分の力で歩いている状態になりました。

途中で体力の少ないBさんは、「疲れた」と口にします。実際疲れていると思います、適度に水分補給をし、集団に合わせて休憩を挟みながら、手は離れていますが、1!(2)の声かけは続けながら折り返し点を目指しました。

障がいを持つ子どもたちと長い距離を歩く時、気温と汗のかきかた、そして足の様子と「疲れた」という声の調子から、いつも適切に子どもの状態を把握しなければなりません。しかし、「疲れた」という言葉を重く受け取りすぎてもいけません。私たちが思う以上に本人は疲れ、しんどい状態であることを捉えながら、慎重に少し負荷を継続してかけ、力を伸ばすことを意識します。慎重に。

一緒に「疲れたなぁ!」と共感、共有しつつ、「さ!行こか♪」と、身体にスイッチが入るように声かけし、再スタートを切ることを繰り返し内に、このAさん、B さんは見事先頭集団のまま、折り返し地点に到達することができました。

その時のBさんの安堵と達成感のある表情!

 

ここでもう一人特筆すべきCさんがいました。

Cさんは、お母さんと歩いていました。Cさんにはあまり無理はさせられません。Bさんだけを連れて先に歩いていましたが、休憩の時にはC さんが集団に追いついてこられるのをBさんと共に待つことになります。

すると、やって来たCさんが、必ず毎回、お母さんの元から私の方へと、グン!と一歩大きく右足を踏み出してやってくる姿を捉えたのです。

いつもBさんと同じようにお母さんの腕に絡みつくようにしがみついているCさんが、グン!と踏み出してくる意味を考えながら歩いていました。

そこで、折り返し地点からの帰り道は、私とCさんが一緒に歩くことにしました。

緩やかながら下りなので、Cさんの足にかかる負担に配慮しながら歩いてあげる必要がありますが、歩き初めてからすぐにピン!と来たことがありました。

Cさんは、日頃からは想像もできないようなペースで歩きだしたのです。その表情には決意のようなものが見えました。

上り坂、私がBさんと先を歩く姿をずっと後ろから眺めている間に、どうやらCさんの中にメラメラと闘志が沸いていた様なのです。Bさんと歩く私に、私と歩くBさんに、先頭を歩く私たち2人に、Cさんはある種の嫉妬も感じていたかもしれません。私も行きたい!と、気持ちがはやっていたのでしょう。

やっぱりそうなんだな。と、大きく一歩を踏み出して来た時のCさんの気持ちを受け取り、Cさんの気持ちを尊重して、下りでは足元と着地の仕方に細心の注意を払いながらも速いペースをキープしました。

Cさんは左手にも拘縮があります。拘縮のある左足を踵から着地するためには、左足の膝を伸ばして歩幅を広げる必要があります。その為には、腕の振りが重要で、右手だけでなく、左手の振りも大きくする必要がありました。

1!(2)、1!(2)、の掛け声をずーっと続けながら、合間に「手を振って歩く♪手を振って歩く♪」というリズムの声かけもいれました。

するとCさんは、拘縮のある左手も、伸び伸びと大きく前後に振り出したのです。

これにより、Cさんの足取りは嘘の様に軽く力強い着地と踏み出しが可能になりました。

とはいえ、Bさんよりも体力の少ないCさんです。途中で余裕の無い素振りもありました。「もう手を振れない!踵から着けない!」とやや声が荒くなる場面もありました。

だけど、Cさんはペースを緩めませんでした。それがCさんの意志なのだな、と感じ、私はそのCさんと競り合うようにして掛け声をかけ続け、進みました。

手は繋いでいませんが.1、2 のリズムをかけ続け、私の手の磁力で、彼女の手と連動して動かすような感覚を意識して振ることで、私たちは一体となって歩き続けたのです。

正直なところでは、私もしんどいというのが本音でした。でも、このしんどさはCさんのしんどさでもあります。伴走者として、Cさんのしんどさと、頑張りたい!という気持ちにも同じように伴走することが役割として、先頭の待つゴール地点まで激走したのでした。

この時のCさんの頑張りと気持ちは、私の胸を打ちました。

まるでアスリート。

元々頑張り屋の気質は持っていましたが、ここまで頑張るとは思ってもいませんでした。

Bさんを遥かに越し、悠々とゴールしたCさんという人格に、私は感服を超え、敬服の気持ちでいっぱいでした。

 

Bさん、Cさんは、後で親御さんに確認したところ、このコースは以前にも1度来たことはあったようですが、本人たちの記憶には残っていませんでした。

具体的な距離や時間、そして耐えうる負荷が分からず見通しが立てられずにいたAさん、Bさん、Cさんでしたが、それぞれに合った方法で、歩を進め、身体的にも精神的にも上手く牽引してあげることで、本人たちも思わぬ力を発揮し、それにより、達成感と自分への自信、そして誇らしさを持ってもらうことが可能になります。

その誇らしさは、本人たちの心に勇気の火を灯します。

「達成できた!」「やり遂げた!」

という記憶は、今度、同じコースを上る時、または未知なる新しいコースを上る時の「見通し」となって、自分への信頼を育てることでしょう。

 

この後、Bさん、Cさんは無事にお母さんと帰宅されました。夜や次の日には、速いペースで足に影響が無かったどうかもご連絡して大丈夫だったと教えていただけました。

Aさんは、ゴール地点で合流し、一緒にお店でランチをいただきました。これまで誰かと一緒にお店に入っても、ごそごそ落ち着かず、大人同士の会話を待つなんてことも難しかったそうですが、この日は違いました。手遊びしながらもじっと話を聞いて待っているのが分かりました。自分の話がされていると分かりながらその行く末がどうなるか聞いていたのでしょう。Aさんは、注意を受けることが多い毎日ですが、本人はこの世界を何とか自分なりに知ろうと一生懸命なこと、ただ活動を拒否しているのではなくて、見通しが立たず極度の不安から自分を防衛していること、ちゃんと誘導してあげれば活動できること、最近できることも増え、頑張っていることなどを話していると、俯いてはいましたが、その表情の端に誇らしさが滲んでいました。

私と一緒だったからこんなに静かに待てたんだとお母さんは言って下さいましたが、しっかりと自分を認めてくれて、気持ちの不安定さを理解しコントロールしてくれる相手がいれば、それだけで安定した姿を見せることができるのです。 

Aさん親子も、BさんCさん親子も、喜んで帰られた表情が印象的でした。

かかった時間は予定を2時間オーバーしましたが、1日がかりにはならなくて幸いでした。

 

次の活動日。

遅れてやってきた私を見つけるや否や、あのお二(BさんCさん)がサッとやってきて、私の両隣を確保していました。

きっと、あのハイキングでの達成感をまだ持ってくれていたのでしょうね。それが何より嬉しいことでした。

たった1日のハイキングですが、ただ歩くだけでなく、楽しく歩きながらも様々な目的や目標を持ち、手立てを打って過ごすことで、子どもたちの発達は促され、大きく成長することができます。

 

子どもたちの発達には、脳と身体と心が深く連動し関与しています。

どれか一つの要素が欠けても上手くいきません。

そのことを深く理解し、バランスを省みながら進めることが大切です。

私たちは子どもたちの発達を支え、押し上げていく役割を担いながらも、日々を共にすることで、実は彼らから大切なことを教えられ、学んでいます。

この相互の関係性があれば、日々の生活や活動の中でも、充分に発達を促進させる為のトレーニングができるのです。

 

 

 

 

日々の中でも発達を促進させる為のトレーニングはできる。

私は現在、発達改善介入トレーナー&アドバイザーとして活動しています。

実際に活動の中でトレーナーとしても直接介入し、効果的な方法をご両親や学校の先生、児童発達支援•放デイなど関係者にお伝えアドバイスもする、といったものです。もちろんお悩みのご相談にもアドバイスをしています。

 

子どもたちは皆、もれなく発達過程にあります。

今では発達障がいも広く知られるところとなり、様々な療育(発達支援)方法が編み出され、実施されています。

ところが、理論はあっても、それを実践する為には、まずトレーナーが自分の行動を精査し、技能を身に着けなくては、せっかく効果があると謳われる方法であっても、子どもたちに施してあげることができず、何年経っても成果が出なかった、ということになりかねません。

療育者には、鋭い観察眼と、深い思考力、考察力が必要です。そして、同時に瞬時にその場で目の前の子どもたちの動向と心の動きを察知し、それに応じた手立てを繰り出せる瞬発力が必要にもなります。子どもの言動を変容させる前に、自分自身が様々なタイプの子どもたちの障がい特性に応じて変容できる、そして時には気配を消し黒子に徹することもできる。そんな風に自在に立ち回ることができるスキルが必要なのです。実はそれが一番難しく困難なことかもしれません。

広く認知されだした発達障がいではありますが、実際の療育(発達支援)現場では、この高いスキルを持ち合わせた人材はそう多くはありません。

ですので、児童発達支援事業所及び、放課後等デイサービスの運動療育などにお子様を通わせておられたとしても、なかなか目を見張るような変化を得ることができない、というお悩みも多いのが現状です。

基本的に私は子どもたちの教育や療育(発達支援)は涵養に考えることが良いと思っていますが、この涵養を取り違えてもいけないとも思っています。

適切な手立てを打てていなくて、ただ何となく運動をさせているだけ、でも自然と子どもが成長しているからそれが結果だ、という状態は少し違うかなと思うのです。

 

1日1時間から2時間。その間に学習やおやつ時間が入り、実際に運動できるのは精々20分。これを週に1回〜2回受けたところで、大きく成果に現すことができるかといえば、難しいところです。なぜなら、1週間経つ間に、また感覚が元に戻ってしまいがちだからです。せめて週に2〜3回、コンスタントに出来れば、体が上手くいった時の感覚をある程度覚えていて、次回は少し勘が戻るまで時間がかかるかもしれませんが、続きから取り組むことができます。週に2〜3回でもそういった状態ですから、週に1度で改善に繋げようと思うと、それこそ、かなり実力のある療育者でなければできないことでしょう。かなり実力がある療育者なら、例え週に1度でも、毎回ステップアップに導き、それを積み重ねることで短期間で劇的に改善することは可能です。

本来、療育といえば、それくらいの成果をあげてこそ、と思いますが、見渡してもなかなかそこまでできているところは少ないです。

適切に、介入すれば劇的に改善できるはずなのに、むやみに時間だけが過ぎてしまっているのを見ると非常に残念に思います。

思うように動かすことのできない体の中で、子どもたちはもがき苦しんでいます

みんなと同じようにしたいのに、何故かできない。どうしてだろう。とジレンマに陥ります。それを上手く表現することも難しく、胸にどうしようもない虚しさが積もります。

その虚しさ、悲しさ、憤り、が他害や自傷の形で噴出し、それにより更に理解されないという悪循環のスパイラルに入るのです。

思うように動かすことのできない体は、体の中で全体に張り巡らされた神経の連携がまだ上手くいっていない状態です。

脳の機能が上手く働いていない為に指令が出にくい場合もあります。

体全体の連携を進め、脳の機能が向上するのを助ける為に、運動はとても大切です。

思うように動かない体ではありながら、切磋琢磨して動いていく内に、神経が徐々に伸びていき、連携しはじめます。手や足などの末端に体重をかけ、体を支えるなどの粗大運動を重ねる内に脳の発達が促進されます。 

この時に、思うように動かない身体に刺激が入るように介入し、牽引する役目を担うのが療育者(トレーナー)です。

この療育者の息(声、目線、心)が子どもたちの息と、ぴったり合った時、子どもたちはふっと動きやすくなり、それまで絶対にできなかったことができる瞬間が訪れるのです。

そうやって、指導者(療育者)の指示に沿って動き、行動することができるようになることが、その後の学習の態勢を作る基礎となります。

なぜ、運動が学習の態勢を作ることができるかというと、運動の刺激を通して、自分自身の体を統合しコントロールする力が養われ、この自分自身をコントロールしようと意識を集中させていくことが理性を作っていくからです。

例え重度の知的障がいと自閉症を併せ持つお子さんであっても、この理性を保つ力が育まれることで、他者と共同注視し、指示者の指示を聞き、その指示に沿って動く為に自分をコントロールし、指示の通りに動いたり、模倣したりして行動することを繰り返す内に、論理的なことは分からなくても、その行動から法則性を見つけだし、それを学ぶことができます。それを体得するといいます。

その力を身につけることが「学ぶ」、ということになります。

この「学ぶ」力を身につけることができれば、勉強だけでなく、生活の中の基本的動作の獲得や、集団、社会のルールなど幅広く身につけていくことができます。

また、作業などもできるようになります。

将来自立•自律する時期が来た時に、「できること」が圧倒的に変わってきます。

 

そのお子さん一人一人が持つ力には個人差がありますから、限りなく切磋琢磨をしたとして、みんながみんな同じように成長できるかというと必ずしもそうではありませんが、そのお子さんの中で精一杯の力を発揮することができるレベルになり、それに応じた仕事などが得られれば、選択肢をぐっと広げることが出来るようになります。

 

その、自立•自律の時期までの貴重な年月をうっかり何気なく過ごしてしまっては勿体ないと思うのです。ましてや、大切な料金をいただき、療育を行うべき職にある側が、何気なく日々を送り、子どもたちをただお預かりした、というような状態で過ごしてしまうのは勿体ないことなのです。

 

それでも子どもたちをお預けできる場所があるというのはご両親にとってのレスパイトケアにもなりますから、良いことだと思いますが、放デイなどの療育に通わせているから大丈夫とは思わずに、日々の生活の中で、ちょっとした時間を使って、子どもたちの動きに合わせながら上手に補助をしてあげたり、誘導してあげることで発達を促進させてあげることができれば、こんなに有効なことはありませんよね。

放デイは週に何回かでも、生活は毎日のことです。

その毎日の中で少しずつ取り組むことができれば、1年経った時にはかなりの時間数になります。

塵も積もれば山となるで、1年後はきっとお子さんの動きや様子には違いが出ているはずです。

放デイからの帰り道、お買い物の行き帰り、ただ手を繋いで引っ張るだけでなく、

🟠子どもの足の動きに合わせて手を大きく振れるように繋いだ手を振ってあげる。

🟠テンポよく歩くことができるように「はい、はい、はい♪」と歩調に合わせて声かけをする。

🟠1本線の上を歩くとき、手を横に広げてバランスが取れるようにジェスチャーで教えてあげる。

🟠ふらつかないように目は前を見て、と声をかけ、子どもの目の横の位置で見る方向を指さす。

🟠10分でもいいから公園に寄って、1つでもいいから、遊具にチャレンジ。

🟠昨日は1段目だったから、今日は2段目行ってみようか、とジャングルジムを登る。次は手はそっち、足はこっちだよとどこに手足を置けばいいか伝える。子どもの視界に入る少し斜め上を、目に見えない磁力で牽引するようにリードする。

🟠ママとあの木まで、よ〜いドン! 木にタッチ!ってするんだよ、と目標物を指し示す。

🟠よ〜いドン!といって一緒に走りながら「ストップ」と言ったら一瞬で止まるゲームをする。

🟠空き時間にまねっこゲーム(片足で立つ、丸まってしゃがむ、手をついて片足を上げる、といったバランスを取るポーズ等)をする 

🟠その場で両足でぴょんぴょん跳ねる。

🟠抱っこして、お子さんにしがみつかせ、大人は手を離す(落とさないように)。

🟠おんぶや抱っこしたままグルグル回る。

🟠子どもにジャンプさせる時には、1、2の3!で、「2」の時に膝が曲がるのを確認して、「3」で胴体を持ったり、手を繋いで持ち上げたりしてジャンプさせる。

🟠一本のロープ(縄跳びなどでも良い)を置いて、ぴょんと飛び越す。

 

というように、簡単な動きでも良いので、手本を見せながら、お子さんの何気ない動きに着目し、少し噛み砕いて声をかけたり、補助してあげたりして一緒に遊んであげるだけでもぐん!と違ってきます。

発達障がいを持つ子どもたちは、模倣をするときに必要なミラーニューロンという神経細胞が活発に働いていない場合があります。その為、ただ見守るだけではなかなか発展できないことも多いので、子どもが聞きやすい声かけ、手本、磁石の様な牽引力で、教えてあげていってあげることが必須なのです。この時、いやだ!と思えば反発しますが、好き♪やりたい♪楽しそう♪と思えば取り組んでくれます。何を伝えているかをはっきり表してあげることで不安を軽減させてあげることができます。

発語の無いお子さんには、見える場所で指さししたり、ジェスチャーをして教えてあげることも大切です。

 

そんな余裕無いわ、という声も聞こえてきそうですね。

発達障がいを持つ子どもたちと一緒に遊びや運動をするというのは、容易いことではありません。熱心にしようとすればするほど上手くいかずに、疲弊するかもしれません。

でも、その、大人が感じるしんどさは、そのまま子どもたちのしんどさです。

毎日の家庭や学校での生活の中で、上手く動くことができない体を使い、私たちにとっては容易くできる何でもない動作をすることすら、子どもたちにとっては至難の技で、重労働です。

でも、そんな大変さを共に体験し、自分事として頑張ってくれる人に、子どもたちは心開き指示に沿って動こうとモチベーションを上げてくれるのです。

上手くいかずに汗をかいたり、大声で笑い合ったり。そういった時間が親子の愛着形成も促進させてくれます。

お忙しい毎日だとは思いますが、お子さんの成長を一緒に楽しむ♪というような遊び心で、いつもの日常を有効に使って、是非未来に繋げていってあげて欲しいと願っています。

 

なんという幸運。レインボーブリッジ。カナダとアメリカの国境で。スペシャルオリンピックの希望の炎と出逢う。

 

カナダ•アメリカの旅の3日目の朝。

私たちはゆっくり朝ごはんを食べ、ゆっくり身支度をしてから出かけた。

すでに他の宿泊客はみんな先に外出してしまい、時刻は10時半になっていた。

前回の記事にも書いたが、カナダとアメリカ間の国境ゲートは、早朝深夜は空いているが、10時頃になると混み合ってくるようだ。

そんなこととは露知らず、呑気にマスタングで出発しカジノを前方に眺めながらレインボーブリッジへと進む。

このレインボーブリッジを渡った先にアメリカへの入国検閲所がある。

ここで、すでに10時50分。

そうだ!この時刻はすでに検閲で渋滞になっているんだった!と気づいた。

案の定車は停滞し、橋の中ごろで完全に止まってしまった。

前日、運が悪ければ通過に1時間半かかることもある、と書かれた記事を目にしていた為、青ざめる。

もしそうなっても、ここを通るしか道がないのだから仕方がないと、早々に気持ちを切り替えた。右をみればナイアガラの滝の水しぶきが上がっているのが見える。頭上には白い気球。カナダだからなのか、秋だからなのか、高く澄み渡った青空。

渋滞だって全然へっちゃらなほど気持ちがいい。これを楽しむ時間だと思えばいいのだ。

時々のろりのろりと車の列が進む。

 

そうこうするうち、どこからともなく、楽器の演奏が聞こえてきた。この音色、聞き覚えがある。

段々後ろから近づいてくる。

うん、そうだ。これはバグパイプだ。どうもこの橋を渡ってくるみたい。徒歩でも渡れる国境とはいえ、なんだかおかしい。

その内に、私たちの乗るマスタングのすぐ右後ろから、音の主が現れ出した。

 

なんと行進が行われている!

音はやはりバグパイプ。初めて生で聴いた。子どもの頃から大好きなバグパイプの音が聴けて興奮する。

生で聴いたこともなかったのに、なぜ好きだったかというと、子どもの頃に大好きだったアニメ キャンディキャンディで、アンソニースコットランドの正装をして、このバグパイプを吹きながら現れるというシーンがあり、それがとても印象的だったから。

この行列の中でバグパイプを吹く人も正装をしている。カナダなのに、なぜスコットランドの正装なのか。北米にはスコットランド系の移民も多いからなのかもしれない。

 

行進の先頭が過ぎると、次の集団の先頭に聖火のトーチを持つ人が現れた。

夫が、先導する車に「TORCH RUN」「SPECIAL OLYMPIC ONTARIO」と書かれていることに気づく。

SPECIAL OLYMPIC

それって何だろう?パラリンピックなら知っているが、スペシャルオリンピックは知らない。

だけど、この聖火のトーチを持っているのがやけに気にかかった。絶対、何か意味がある気がすると。

 

そして、何やら反対側のグレーのTシャツの集団と、橋の中央で集まり盛り上がっている。

残念なことに、カメラマンの男性の向こうで何が行われているのかはっきり見えないまま、この場を後にすることになったが、その後もこの光景が私の頭の中から離れない。

何か特別なものに出逢ったことだけが確かだった。

 

空には気球。

道路には警察のバイクが綺麗に並べられている。

 

このイベントが、なんだったのかが分かったのは、実は帰国して6日が経った昨日のことだった。

突き止めるのになかなか苦戦したのだが、まず、このイベントは、

「The Lt. Zell Badges on the Border International Memorial Torch Run(ゼル中尉のバッジ・オン・ザ・ボーダー国際メモリアルトーチラン)」といわれる

「International Law Enforcement Torch Run (国際法執行機関トーチラン)」

というものだったことが分かった(日本語訳なので、これで正解かは分からないけど)

アメリカとカナダの法執行機関(いわゆる警察)と、それぞれのスペシャルオリンピックの選手たちが、国境を越え、レインボーブリッジの真ん中で、カナダ側から来た団体と合流して聖火台に共に火を灯すという合同イベントらしい。

この、2つの国が国境を越え、希望の炎を虹の橋の真ん中で、共に力を合わせて聖火台に灯すということが「団結」「強さ」そして「インクルージョン革命」の力の象徴となっているそうだ。

 

ゼル中尉というのは、このスペシャルオリンピックの活動を精力的に支援していた人の名前だとか、

アメリカとカナダでは、この法執行機関がスペシャルオリンピックを支援しているようだ。

AI を使ってアメリカ側とカナダ側の情報を色々調べてみたけれど、毎年行われているイベントかどうかは、ハッキリとした情報が少ないので分からない。

その毎年行われているかどうかわからない、もし行われていたとしても、年に1度、9時すぎにアメリカはナイアガラ水族館前から出発し、各地点を廻り、11時すぎに国境を越えたレインボーブリッジの真ん中で、聖火台に着火する、ほんの10分ほどのタイミングに、遭遇するなんて、あまりにも奇跡的ではないか。

先程載せたこの写真。

カメラマンが被っていてどんなシーンなのか分からなかったが、調べていて、正にそれがアメリカとカナダのトーチから聖火台に炎が移される瞬間を撮っていたと分かった。

(中央で赤い梯子に上って着火しているようだ)

 

そして、私はこちらも知らなかったのだが、「スペシャルオリンピック」というのは、ジョン・F・ケネディの妹、ユニス•ケネディ•シュライバーが1962年に立ち上げた「知的障がいを待つ人々のオリンピック」のことだと分かった。

 

私は知的障がいや自閉症ADHDの子どもたちに運動療育を行うのが仕事だ。

発語も無く、床に置かれた1本の縄すら飛び越えることができない、思うように動かない体に入っていた子どもたちが、自由に動く体を手に入れ、私たちを遥かに超えた能力を発揮する。

その過程で考察していることが、パラリンピック研究会が出されている次の内容と非常に共感できる部分が多く、興味深い。

関心のある方はどうぞお目を通してみてください。

https://share.google/6mGp1jOASoc2yeUDe

 

何気なくこのナイアガラを訪れ、何も知らずに国境を越える渋滞にハマり、僅か10分ほどの間に、こんな貴重なイベントに遭遇するとは。

 

これもまた、何かのご褒美なのだろうか。

こんな瞬間に立ち会えたことが僥倖だ。

 

youtu.be

 

 

 

 

 

3年ぶりの夏祭り会。

この夏、皆さんは様々なお過ごし方をされたようですね。

 

私は久しぶりにフル勤務で選挙のお仕事に埋もれていましたが、8月には辛うじて自分の持つ会の子どもたちに、プチ夏祭りを催すことができました。

 

いつもその会は、月に1度、2、3時間を使って開催します。

少人数なので他に職員は雇わず私個人で対応しており、可能な時だけ夫が手伝いに来てくれます。

保護者がついておられますし、ペアレントレーニングも兼ねていますから、その面では子どもたちにも目が行き届き、充分手厚いのですが、課外活動となると、今後のこともありますし様々なリスクが伴うので、基本は室内での活動です。

他には漢字や計算、そして概念学習、SST、ビジョン、ルールのある遊び、運動を通した体の使い方、発表、などなど、他に通っている放課後等デイサービスで取り組んでいることの経過を見たり、その一歩先に取り組むことで成長を引き上げ、それをまた放デイで活かしてもらったり。それぞれのその時の課題を捉えながら療育しています。

ですが、4月には気候もよく、近くの山にある広場へと遠足にいくこともありました。

支援の必要な子どもたちは、友達の家へ行き来して遊ぶ機会を得るのがなかなか難しい為、私のところで、学校でもない、放デイでもない、半分プライベートのような感覚で、個別に仲間に会うことは、特別感があるようで、まして、一緒に出かける、となると格別の嬉しさのようです。

なので年に2回くらいは課外活動も取り入れるかもしれません。

そんなことを相談していた矢先、新しい親子さんが入会されました。

新しいお子さんが入られたら、私はまず愛着形成から取り掛かります。といっても、このお子さんは中学生になられているので、その年齢にあった愛着形成です。

まず、初めは、私が何者であるか知ってもらうことから始めます。

何者であるか、とは、経歴などではありません。

この人は安全かどうか。仲良くなれそうかどうか。どれくらいの無理が通るかどうか。怖いか優しいか。指示の出し方はどんなか。声のトーンはどうか。存在を受け入れられるかどうか。

などなど。

お互いの間合いや距離感も含め、たくさんの情報のやり取りを関わりを持ちながら測るのです。

秋にはハイキングに行く予定にしていましたが、それまでに、この新しいお子さんと私の間に愛着形成がなされ、指示が通るようになっていなければハイキングに行くことはできません。 

お母さんがついていると言っても、咄嗟の行動に出た時には私が対処しなければならないからです。

最後の砦の私の指示が通らなければ、万が一のことだって起こり得ますから、それまでに関係性の構築を急ぐ必要がありました。

私に与えられた機会は8月と9月のあと2回、というところだったので、仲間(友達)とも楽しめ、自立に向けての練習もでき、私との関係も更に強めるための、「夏祭り会」にする必要がありました。

 

といってもプチ夏祭り会です。

プログラムは、

①ビー玉コロコロ。

②ピンポン玉ストラックアウト。

③魚釣り。

④垂直跳び大会。

⑤先生と腕相撲大会。

の5つです。

 

①と③はこれまで施設にいた頃は毎年行っていたものです。新しいお子さんにも参加してもらいたいなと思いました。

毎回手作りです。退職して3年ぶりですが当然今回も手作りです。でも、施設にいた頃ほど、大掛かりなものは作れません。なぜなら持ち運びしないといけないからです。

それに前の晩に作った即席ですし。

でも、それぞれにはしっかり目的がありました。

 

一番のメインは、夏祭りをするにあたって、「お店の人役」「お客さん役」のどちらも体験してもらうことです。

 

お店の人は

•「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」などの挨拶を言う。

•決められたゲームの金額を「〇〇円です」と伝える。

•おつりを渡す。

といったお仕事体験をしてもらいます。

 

お客さんには

•どのゲームをしたいかお店の人に伝える。

•お金を払う。

•ゲームを楽しむ。

•おつりをもらう。

•「ありがとうございました」とお礼を言う。

など、主体的にお店の人とやり取りする経験や、おつりを忘れずにもらうという練習をしてもらいます。

それらの流れを紙に書いて、それを見ながら取り組んでもらうことにしました。

(みんな文字は読めるようになっています)

 

お金については、紙で作成し、夏祭りを始める前に、学習の時間を使って、説明し、繰り返し予習してもらいました。

途中で交代しながら、どちらの役も体験し、同時に、仲間とのやり取りする楽しさも感じてもらう算段です。

お母さんたちは、あくまでも補助です。

でもついつい先走り主導しがちです。だから、お母さん達も回を重ねる毎に練習です。

 

そしてゲームの1つ1つは簡単なものですが、それぞれに目的を持たせてあります。

①のビー玉コロコロは箱の中にペットボトルのキャップでパチンコ台のようなものを作り、両手で箱を傾けて好きな点数をめがけて入れるものです。

狙いは

眼球運動と手先の微細運動の向上です。

 

②ピンポン玉ストラックアウトは紙コップを並べ、少し離れたところから投げて入った所の点数を加算します。

これは、力加減、微細運動、目と手の協応、距離を測る空間認知力を養います。

 

③魚つりは紙に書いた魚を磁石をつけた割りばしの竿で釣り上げます。

これは指先のコントロール力(微細運動)、目と手の協応、集中力、根気です。

 

④垂直ジャンプは壁に記した高さ何センチまで跳べるか?です。

瞬発力、集中力、全身の力の連携、バランス力を養います。

 

と、各種、違った力を発揮、または養うことを目的に選びました。

 

因みに、腕ずもう、は、他者と直接手を握ったり目を合わしたりと、その相手の身体から伝わる情報を元に、刺激され自分の力をより発揮する、ということと、相手と体を使った遊びから、より良い関係性をつくる、遊ぶ喜びを得る、勝負事を楽しむ、というような総合的な目的を持って取り入れています。

相手の体を通して感じる筋肉の動きが、自分の脳と体を伝って、同じように必要な場所の筋肉が刺激をうけ、力を発揮します。固有受容覚を利用して、力の入れ方を学んでもらうわけです。

 

実は陰の目玉はこの腕相撲でした。

新しいお子さんと会うのは、この日が2回目。

初回は、きっと恐る恐るだったでしょうね。でもちょっと刺激的で楽しいかもって感じでした。学習はちょっとやだけどねって。

そして2回目のこの日。

他のお子さんたちは私とどっぷり仲良しですから、それを見ている新しいお子さんは、すでに私への警戒心はありません。

学習の時間に少し私の手をペロッとしようとしたくらいです。それは嫌な時に「やめろ」の意思表示でするペロっとはまた違いました。

それは私にとって、しめしめです。自己開示の兆しだからです。

そういうタイミングだからこそ、腕相撲をするのです。

知的障害を伴う自閉症の子どもたちの多くは、握力や腕力が弱く、ひっぱるとか、押すといった力の入れ方が掴みにくいことが多いですが、このお子さんは見込みがありました。

やったこともありそうです。

まずは右手同士がっつり組みます。

ここで私はわざと目を見開いてニヤリと笑います。挑発です。今からやるぞ!というスイッチを入れるためです。

新しいお子さんの目もパッと開きました。

「Lady〜GO!」

説明された方向へと私の腕を押します。力も入っています。

少し押されてあげました。

でも、次の瞬間、私は挽回しその子の手の甲をテーブルにつけました。

「はい!先生の勝ち〜♪」

はい、私は大人気がありません(笑)

その子は怒りはしませんでしたが、やや浮かない表情。

そこですかさず、

「はい!もう1回する人〜!」と呼びかけます。

「はい!」とその子が答えました。

第2回戦です。

本当なら、私はここでも負けないのですがね。そのお子さんとはまだ会って2回目なので、ここは譲ってあげることにしました。少し攻防をしながら、「あぁ、負けた〜!」と。

嬉しそうな笑みがこぼれました。

「はい!もう1回する人〜!」

間髪入れず、この後2回対戦しました。

この時すでに、このお子さんのスイッチは完全に入っています。

2回目の対戦で、攻防をわざとしたのは、それにより盛り上げる意味もありますが、押したり押されたりすることにより、私が握る手や腕からその子の手や腕に、力の感覚が伝わり、どこの筋肉に力が入っているか感じさせることで、固有受容覚が働き、臨場感までもが伝わっているからです。

闘争本能にスイッチが入ったこのお子さんは、私に負けまいと必死になりました。必死のあまり肘がテーブルから離れます。それでも良いのです。そこまで必死になるのが大切だからです。片手では負けると悟ったそのお子さんは、反則技の両手使いになりました。

そうそう、それも想定内!それくらいヒートアップするのが狙い。

しかし、私はそれくらいでは負けないよ!というように、う〜ん、と唸りながら、その子の両手をもろともテーブルにつけました。

「はい、もう1回!」

さっきと同じように、途中から両手だし肘は上がってるし。

興奮したそのお子さんが、咄嗟に、、、

私の手をペロリ!

 

両手でも負けると思ったお子さんは、ついに奥の手、秘技、ペロリ作戦に出たのでした!

でも実際は舐められていません。何度ペロリ作戦に出られても、私は巧みに手をつないだままでも避けられるからです。

秘技を使ってでも勝てず、結局3対1で負けたそのお子さん。

怒ることなく、燃えきった良い表情で満足げでした。

楽しかった人〜!

「はぁい!」

お互いハイタッチです。

 

はい、一丁上がり♪私との関係は作られました(笑)

 

これで、秋のハイキングは大丈夫。

 

こうして、みんな私と対戦し、こてんぱんに負けて帰ってゆきました。

 

だって、

「私、最強なので😉」

 

これまで小学生から高校生まで、躍起になって挑んできましたが、負けたことありませんから。

男の子には、お山の大将が1人必要なんですよ。

 

こうして、3年ぶりのプチ夏祭り会ではありましたが、盛り上がって終わったのでした。

 

やれやれ、、、。

 

 

(前夜に徹夜で作った即席ゲーム)

 

(これはいつぞやの作品。腕相撲マシーン)

 

 

 

 

振り返る、息子との攻防期。

私にとって、息子はこれまで療育で関わってきたどんなお子さんたちよりも一番手強く、難解だ。

 

それは本人の持つものと、親子だという関係性の、両方が絡んでいるからなのだろう。

だからこそ、長らく「第三者の介入」を望んできた。

私自身は、悩み困っている親御さんや子ども本人、そして学校の先生方にとっての第三者として介入を続けている。

「第三者の介入」は、とても難しいことだ。

私は私がするように、息子にとっても上手く介入し導く第三者が現れるのを待っているが、なかなかそんな人は現れない。

 

 

さて、そんな息子とは昨年末から年明けにかけ、大きな局面を迎えていた。その事は、以前記事にも書いた通り。

恐らくこの大きな局面は、傍から見れば深刻に映ることだろう。確かに深刻な場面であり、絶望すら感じさせるものであったことは否めない。

自我バウンダリーの問題を持ち、モラトリアムで、引きこもり状態にある者を精神面でも身体面でも支え介入し成長を促して外界に繋ぎ押し出していくというのは、それほど大変だということだ。

ただ、私は、大きなハレーションによって、事態も大きく動いたことには違いがなく、これ自体、何か大きなもの(他力)の力が働いたなと、感じざるをえなかった。

 

大きなものの力によって、それまで強硬に惰性で走っていたレールが、ガッチャンと違うレールに切り替わる感覚。

これによって、息子の抵抗により長く親子間でしか行き来できなかったものが、病院や行政などの外部と繋がり、息子自身が、自らコンタクトを取ることの必要性を再認識し、動きだすきっかけとなっていった。

それは、ある意味親子の断絶をイメージさせるものでもあった。

モラトリアムの息子が、親の力を借りず、1人の大人として、今後の人生を進む為の覚悟を促す役割であるから、ライオンが子供を崖から突き落とすような、そんな荒療治のようなものかもしれない。

荒療治は、自閉スペクトラム症を持つ子どもには、随所で必要となる場面がある。

それは、「絡み行動」と呼ばれる、対象への執着や依存を断ち切り、自分の足で立ち、歩くことを後押しすることが必要な場面だ。

小さい時には小さい時なりの、大きくなってからは大きくなってからの、後押しすることが必要な場面が随所であるのが自閉スペクトラム症の一つの特徴でもある。

年末年始の大きな局面も、その一つだったと私は捉えている。

この出来事により、何とか親にしがみつくことでこれからも生きていこうとする強固な想いをバリバリと私から剥がし、彼は何歩も外の世界へ足を向けることになった。

それは私への想いを諦める工程でもある。

しかし、当然ながら、大人と大人としての心理的距離は取るが、赤の他人になるわけではない。

当たり前だが、一般的な親子の距離感になるだけのことである。

 

暫く息子との間には大きな隔たりが存在していた。

言葉という言葉を交わさない日々が続いた。

時折話しかけてくるが、精神的な状態も悪く、記憶も怪しく、その瞬間、瞬間で、ガラリとパーソナリティが変わる。

ストレスに弱いところも特徴的である。

一旦、バン!と依存心を打ち切ったように見えても、どこかで火種は残っていて、ブスブスと燃えだしそうな片鱗が見え隠れしていた。

そんな時、私の意向を確かめるように、色んな形で絡み行動をしかけてくるのだ。

その度に、投げられた球の打ち返し方を吟味する。

絡み行動が行われる時には、対象者が投げられた球を打ち返さなければ、打ち返すまで更に執拗に迫るというのも明らかで、そんな時にはガンとして打ち返さないことで、諦めてもらい、諦め落ち着いた後に「さっきのことだけど」と答えるということも応用行動分析学としてはよくいわれているところであるが、大きな局面後の息子からの色んな形での絡み行動とも言える執拗な私への働きかけは、それ自体に何重もの意味が持たされているように思えた。

揺れ動く自分の気持ちとの向き合い方。

湧き上がる感情のコントロールの仕方。

他者とのコミュニケーションのより良い方法。

これからの、自分の居場所の確認。

家族の在り方、、、。

 

自閉スペクトラム症の息子は、自分では掴みにくいことだけに、何とか糸口を掴みたくて、自分なりに思案し、アウトプットをしているのだろうが、その一つ一つが攻撃的な為、即座にはその奥に隠れている本意に気づくことが難しくタイムラグができる。

その場でよい返球ができれば良いのだが、長年のパターンを変えるには、こちらにもかなりの負荷がかかる。頭の中を総入れ替えするくらいに、フル回転しなければ、変化していくことはできない。

 

普通なら、とっくに嫌気が差して投げ出してしまうようなことだろう。実際に夫からもそう言われている。だけれど、それは出来ない。

何故なら、我が子だから。

 

彼の苦しい境地を母として嫌と言うほど分かるからこそ、どんなに腹が立っても、また次の朝には、モードが変わった息子の別人のように打って変わった話しかけに、また応じることができるのだろう。

しかし、それが当たり前ではないことも知ってもらわなくてはならない。

人には気持ちというものがあり、その気持ちが尽きてしまえば終わる関係性の方が多いということを。

 

この頃になると、子どもの頃は内省が難しかった息子にも、その片鱗が見られるようになった。

次の日に別人の様にモードが変わると表現したが、少し前の低迷していた時のそれは、明らかに記憶の怪しさと気分の変化からくる様子だと感じた。少し前の自分が、どんな悪態をついたか、すでに忘れていて、しかも相手がどんな気持ちになっているかを想像する力の欠如のなせる技だった。

だが、息子と「対話」を続ける内に、徐々に内省へと移行していったのだ。

どこでそれが分かるかというと、私に吹っかけた話が煮詰まると、自分から部屋に退散するようになり、次に出てきた時には、明らかに反省したかのようなモードから始める様子が見られだしたからだった。

記憶の怪しさと他人の気持ちを想像する力の欠如からくるモードの変換の様子と、反省からくる様子と、どこに違いがあるのかというと、謝ってくるといったわかりやすい態度は無いが、話の流れに若干連続性が見られるのと、こちらの様子を伺う表情が感じられる点があり、改善したところから始まるからだ。

部屋に一旦帰り、また出直してくることで、クールダウンし、行動のやり直しといえるものを自分で行っている感がある。

これは今までには無かったことで、大きな変化だった。

 

彼と、光の見えない「対話」を繰り返す中、この変化が出てきたたことで、私も新たに掴んだことがあった。

 

それは、彼がコミュニケーションを取ろうと努力しだしているということ。

それが今はまだ、家族の至らないところの指摘であったり、苦情であったり、それについての指図といった形ではあるものの、その奥では、「自分の意向」や「提案」を伝え、「理解されたい」という気持ちから来ていることを。

 

だとすれば、表し方が良くない為に、理解されず意向も提案も通らないのでは、本人とすれば「なんで?」という憤りでしかないことになり、それが息子自身にとって最大の困難なんだと知ってもらわなくてはならない。

だからこそ、理解されたい時には理解されやすいように働きかける工夫をしなければならないことや、その方法を練習して身につけることができれば、自分も相手も楽になるのだ。

長年、それをあの手この手で伝え続けてきたが、今やっと、ストンと腹に落ち始めている。

それはやはり、私と息子を取り巻く環境に少しずつ第三者が関わりだしたからに他ならない。

そして息子も、やはり成長していて、長いトンネルの中を歩き続けながら、理性や知性、そして心が育っているのだろう。

この、他者から見れば難解な攻防でしかないような会話は、実のところ心の肥料にもなっている。というか、肥料になることを想定し根気強く続けている。

ただの悪いスパイラルに落ちていくのではなく、衝突もそのあとの説明も和解も、全てが理性、知性、心を揺り動かす刺激であり、その刺激があるからこそ思考が進み、次のステップへと移行する。その繰り返しが心を育てる。

移行しながら良いスパイラルに入り、知らず知らずの内に上昇していくように促している。

が、息子が聞いたら、俺は自分で成長している、ということだろう(笑)

 

自分の意向が理解され、通る為には、相手の気持ちを考えることと、段階を踏んだ話しかけのスキルが必要だ。ということに、気づき始めていて、引き続き私を使って、もっか練習中である。

 

がんばれ、息子。

 

ラピュタみたいな雲)