夏の終わり、ある団体さんが実施したハイキングに同行してきました。
片道3㌔弱、往復6㌔、出発点から到達点まで標高差が100メートルと、行きは緩やかながら適度に負荷がかかる登り坂です。
自然豊かで人気のコース。
この団体さんは障がいを持った子どもたちと、その保護者が主体となって運営し、月に何度か運動を行っています。
学校のOBの先生方(元校長先生方)も数名おられ、長年続く団体です。そろそろ先生方も高齢になられ、世代交代が迫り、白羽の矢が私の頭にも刺さっています。
ダウン症のお子さんもおられれば、半身に拘縮のあるお子さん、重度の自閉症、自閉スペクトラム症、ADHD、知的障がいなど、様々な障がいの子どもたちが利用しています。幼児〜小学生の部、中学生〜大人の部とあり、みんなすこぶる可愛い人たちです。
この日は10組ほどの親子が参加していました。
今年の夏も猛暑でしたが、幸いにこの日は良い感じの曇り。そしてコースは木陰も多く、汗かきの私もこれなら何とかなりそうだと安堵できました。
このコースは地域住民なら、学校の遠足や子ども会などで何度も来ていておかしくない場所です。
集合時間。
いつもと違う活動に、不穏になって、帰ると言い出さないかと懸念があったAさんは、あれこれと心積もりをする為の質問を私に投げかけてきます。
Aさんは、学校の体育には殆ど参加できていません。服を着替えることすら拒否するそうで、お母さんがいつも悩んでおられました。
しかし、この団体さんで運動をする時だけは、私と一緒に運動することができます。自閉スペクトラム症特有のコミュニケーションや認知の仕方、ADHDの集中持続の問題への介入方法、早送りで動く体の動きの制御方法などを熟知し適切な配慮を組み入れながら接しているからです。
普段の活動の中でも、前で説明する先生の方を、みんなと同じように注視して集中して聞くことができずに、話を聞く人たちの周りや間を駆け巡ってしまうAさんに、他の方が、ただ「先生を見るよ」とだけ言ってしまうと、先生の背中に乗ったり、ぶら下がったりとちょっかいをかけに行ってしまいます。シングルフォーカスのお子さんの目にはその先生しか見えなくなるからなのです。世界に「先生」と「自分」しかいなくなるからなのですが、
「先生は今、みんなに話をしているから、あなたはみんなと同じこっちへ来て、お話を聞くと先生も喜んでくれるよ」
と、そっとその子にだけ聞こえる声で話してどこで聞くといいのか、良い位置まで誘導して一緒に座ります。そして、そのAさんの質問に2、3、答えながら、次第に集中を前の先生へと向け、最後までしっかり周りと同じ正座で聞くことができるように肩や膝に軽く手を置き、気が付かない程度だけど安心して落ち着ける程度の重みをかけて、トレーニングしていきました。今では最初と最後のお話を聞く姿勢はバッチリになりました。
そんなAさん、今回は少し緊張しているからなのでしょうが、お母さんは周りに気を遣い、私と話そうとするAさんに、注意しようとやって来られましたが、私はそれをやんわり制止しました。
私は、Aさんの特徴を知っていたので、この質問攻めが、知らない未知のコースへ行く不安に打ち勝とうと葛藤している表れであることが分かっていたからです(全く違う話題だけれど)。単なる多弁ではないのです。
そこで、全体に迷惑がかからない程度のAさんにだけ聞こえる声で(聴覚過敏もある為)、そのお子さんの質問にほほ笑みかけて(安心感)、2、3、応えながら、さりげなく前の人の方を向けるように自然に誘導したところ、その誘導にのって次第に集中し、静かに口を閉じて前を向くことができました。
なぜなぜ攻撃の質問攻めにしてくるお子さんには、笑顔で2つ3つ答えてあげながら、次第に口をつむんで、見る方向を「無言」で指を差し、体の向きを変えてあげることで、怒らせたりパニックになることなく、前で話す人の話を聞くという適応行動へと導くことができます。そして必ずその後に「上手に話が聞けたね、これでいいんだよ」と認めることで本人に印象づけ、次回へと繋げることが大切です。どう行動すれば良いのか。その行動を取ることで良いことが起こる。と知ることで行動を変えていくことを認知行動療法といいます。
ハイキングがスタートすると、中学生のBさんは、お母さんの腕に絡むように縋りつき、ぶら下がるように体重をかけてゆっくり歩いていました。
これではお母さんが最後までもたないな、と思い、Bさんを私が引き受けることにしました。
Bさんの兄弟のCさんには半身に拘縮がありました。拘縮で手足が伸びきれず、腱が硬くなり歩く時に踵が着地しにくい、また手を伸び伸びと振りにくい、というハンディがありました。でもそれも手術で改善し、あとは踵をつけて歩くトレーニングを重ねていくことが課題となっていました。長年の癖で、気がつけばつま先から着地させ踵を浮かして歩きがちになるからでした。これでは当然踵は上がり、アキレス腱が縮まった状態です。日頃から伸び縮みさせていないと、また固くなってしまうのが懸念でした。
Bさんは、走ると速く、運動神経は良い方で、できることも多いのに、Cさんのことを気にかけるあまり、ずっとCさんに寄り添って、Cさんのペースに合わせて活動して育ってきていました。それはまるで一心同体でした。
しかし、そろそろ兄弟といえども、各々の好みや能力を活かして自由に振る舞い、輝いたっていいのでは?とBさんを見るたびに考えており、そのきっかけになる機会を狙っていました。お母さんも同意でした。
Bさんの力では、この坂は、恐らく問題なく上り下りできるはずです。しかしその足取りは非常に重く、ずっと不満を口にしていました。
この団体の今年度の会長さんの計画によると、折り返し地点まで上り、そこからまた下って、元のスタート地点に戻るまで、約2時間の計画だそうですが、自分の施設の子どもたちを何度か連れて来たこともある私には、それは恐らく不可能だ、ということは分かっていました。
「きっと2時間は難しいと思うよ〜」と会長さんに進言していたところでした。
案の定、Bさんの様子を見ただけでも、このペースでは1日がかりになってしまうな、と感じ、スタートしてから10分で、頭の中で作戦を練りました。
まず、だいたい私は子どもさんがある程度の年齢になっていたら、そのコースには何回くらい来たことがあるか?と質問をすることが多いです。
それはそのお子さんが、これまでの経験からコースについて、どれくらいの距離で、どれくらいの時間がかかり、どれくらい疲れるか、といった見通しを持っているか、いないか、が分かるからです。
Bさんは案の定、「来たことない」と答えました。しかしこれは恐らく正しくないなと思いました。近辺の学校では必ず遠足で来るからです。ただ、記憶が定かでないのだろうと予想しました。来たことはあるけれど、覚えていない。だから、前回どれくらいの時間がかかり、どれくらいしんどいか、という見通しが立てられていないのです。
ここで、「◯時間かかるよ」とか「◯キロだよ」とか「何時に着くよ」と言っても、時間や距離の感覚を理解するのが難しい場合があり、逆に不安を増してしまうことになりやすいです。
そこで、私はまだ不安そうなその子と手を繋ぎ、初めは少しペースを上げて、楽しい話をしながら歩を進めていきました。それでもあれこれブツブツと言っていたので、
「きっと、自分の体力が持つかが心配なんでしょう?」と言葉にならない思いを代弁したところ、やはり図星だったようでした。Bさんは、バツが悪そうにはにかんでいます。
体力が保つか分からないという不安は、中学生としてストレートに言うに、気持ちの面で抵抗があるのと、上手く表現しにくいのと、両面があったのではないかと思います。
「大丈夫なんだよ、〇〇さんの体力ならこれくらいは充分いけるからね」とだけ言い、また楽しく話しながら歩き続けました。
楽しそうなわけでもなく、取り留めのないことをずっとブツブツ言っている場合、言葉にして言っていることと全く違うところで、不安や心配をしていることがあることが多いです。
でも、直接それについてずっと掛け合っても、なかなか本人たちは安心することができないことが多いです。それは言葉で説明されても、実際には感覚的にそれらを捉えることができないからです。
そんな時は、不安や心配が自然と消えていくように、まずは「大丈夫」なんだと保証してあげ、あとは楽しく会話しながら先に進めるように誘導してあげるのが1番なのです。
気を逸らす作戦です。
あまり直接時間や距離など、本人が幾ら教えられても実感を掴めないことについて言葉で説明されても、余計に納得がいかず、歩き出せなくなって膠着状態になることがあります。
それよりも、気分を解し、気をそらした状態で少しずつでも動き出すことが大切です。
初めは手をひかれていたBさんですが、綺麗な景色と楽しい会話で段々足取りが軽くなってきました。
ここで3つ、私が打っている手立てがあります。
それは、「歩幅を合わすこと」と、繋いだ手を中心にして「子どもと反対の手足を動かして歩く(鏡写し)こと」、そして「1!(2)、1!(2)」と「1」を強調して「一緒に手を振って歩くこと」です。
例えば私の右手とBさんの左手を繋ぐとします。「1!」では、私の左足と繋いだ右手、Bさんの繋いだ左手と右足が出ます。(2)ではその逆になります。
隣に並んで歩く時、多くの人は、横の子どもと同じ側の手足を振って歩きがちです。しかし、それでは体力の少ないお子さんや、手足に少し麻痺が有るような子ども、そして集中の持続が難しい子どもとは上手くリズムを合わせて歩くことができません。
繋いだ手を基軸として、鏡写しのように正反対に動くことで、連動してリズムを保つことができます。
Bさんは、上り坂にも関わらず、この3つの手立てでペースが軌道に乗ってきたところ、さりげなく手を離しながらも鏡写しの動きと、1!(2)の掛け声は続けました。さりげなく手を離すことで、手は離れているけど「意識は離れていない」という状態で、間の数センチのすき間は、言ってみれば磁力で浮いて走るリニアモーターカーの様に連動した状態を作ります。
この、あたかも磁力で繋がっているかのような状態をキープするには、手と手の距離が近くないといけません。なので自動的に鏡写しの動きになるのです。
ただ、これだけでは長い道のりで気力を保つことが難しくなります。そこで、もう一つ打った手立ては、、、
「先頭集団に組み込む」です。
長い列の最後尾を歩くと、先頭に追いつかなければならない、というプレッシャーをずっと感じ歩くことになります。でも先頭集団にいると、前は拓けた景色、そして何より先頭にいる!という爽快感と優越感が低迷しがちな気分を一掃してくれます。
更に良いのは先頭集団に、このブログでも何回か登場している、私がずっと見てきている「ぐら」くんと、Aくんがいた事でした。
ここに加わり、私とB さんと4人で楽しく会話しながら心新たに続きを歩いていきました。
この楽しく歩く時間と距離は、子ども同士のSST の時間にすることができます。
普段は親や私たち先生と話すことが多い子どもたちの間に入り、私たちに投げかけられた質問や会話を一旦受け止めリピートしたのち、他の子どもに「〇〇だって!先生はこうだけど、△△さんはどう?」「□□さんに答えてあげて」と回すのです。
これにより、みんなのベクトルが先生に集中しているものを、子どもから子どもへとベクトルの向きを変えることができていきます。
「先生に話したけど、友達に質問した形になり、答えも友達から返ってくる」という状況から、次第に先生に向ける質問の方向を、無言の指差しで友達に向けていくと、段々直接友達に質問を向けるようになっていきます。
質問を向けられた方も、答え方が分からない事が多いので、適切な返事の仕方やその時の気持ちを聞き取り、答え方を教えてあげて、子どもから直接友達に返してもらう、ということを繰り返します。
これは、日々の生活の中でも使える、非常に大切な介入の仕方、SSTの方法です。
こうすることで、冒頭の不安の強かったAさんも、自分に適したペースを掴めず不安だったBさんも、気がつけば気分が一掃され、楽しく伸び伸びと自分の力で歩いている状態になりました。
途中で体力の少ないBさんは、「疲れた」と口にします。実際疲れていると思います、適度に水分補給をし、集団に合わせて休憩を挟みながら、手は離れていますが、1!(2)の声かけは続けながら折り返し点を目指しました。
障がいを持つ子どもたちと長い距離を歩く時、気温と汗のかきかた、そして足の様子と「疲れた」という声の調子から、いつも適切に子どもの状態を把握しなければなりません。しかし、「疲れた」という言葉を重く受け取りすぎてもいけません。私たちが思う以上に本人は疲れ、しんどい状態であることを捉えながら、慎重に少し負荷を継続してかけ、力を伸ばすことを意識します。慎重に。
一緒に「疲れたなぁ!」と共感、共有しつつ、「さ!行こか♪」と、身体にスイッチが入るように声かけし、再スタートを切ることを繰り返し内に、このAさん、B さんは見事先頭集団のまま、折り返し地点に到達することができました。
その時のBさんの安堵と達成感のある表情!
ここでもう一人特筆すべきCさんがいました。
Cさんは、お母さんと歩いていました。Cさんにはあまり無理はさせられません。Bさんだけを連れて先に歩いていましたが、休憩の時にはC さんが集団に追いついてこられるのをBさんと共に待つことになります。
すると、やって来たCさんが、必ず毎回、お母さんの元から私の方へと、グン!と一歩大きく右足を踏み出してやってくる姿を捉えたのです。
いつもBさんと同じようにお母さんの腕に絡みつくようにしがみついているCさんが、グン!と踏み出してくる意味を考えながら歩いていました。
そこで、折り返し地点からの帰り道は、私とCさんが一緒に歩くことにしました。
緩やかながら下りなので、Cさんの足にかかる負担に配慮しながら歩いてあげる必要がありますが、歩き初めてからすぐにピン!と来たことがありました。
Cさんは、日頃からは想像もできないようなペースで歩きだしたのです。その表情には決意のようなものが見えました。
上り坂、私がBさんと先を歩く姿をずっと後ろから眺めている間に、どうやらCさんの中にメラメラと闘志が沸いていた様なのです。Bさんと歩く私に、私と歩くBさんに、先頭を歩く私たち2人に、Cさんはある種の嫉妬も感じていたかもしれません。私も行きたい!と、気持ちがはやっていたのでしょう。
やっぱりそうなんだな。と、大きく一歩を踏み出して来た時のCさんの気持ちを受け取り、Cさんの気持ちを尊重して、下りでは足元と着地の仕方に細心の注意を払いながらも速いペースをキープしました。
Cさんは左手にも拘縮があります。拘縮のある左足を踵から着地するためには、左足の膝を伸ばして歩幅を広げる必要があります。その為には、腕の振りが重要で、右手だけでなく、左手の振りも大きくする必要がありました。
1!(2)、1!(2)、の掛け声をずーっと続けながら、合間に「手を振って歩く♪手を振って歩く♪」というリズムの声かけもいれました。
するとCさんは、拘縮のある左手も、伸び伸びと大きく前後に振り出したのです。
これにより、Cさんの足取りは嘘の様に軽く力強い着地と踏み出しが可能になりました。
とはいえ、Bさんよりも体力の少ないCさんです。途中で余裕の無い素振りもありました。「もう手を振れない!踵から着けない!」とやや声が荒くなる場面もありました。
だけど、Cさんはペースを緩めませんでした。それがCさんの意志なのだな、と感じ、私はそのCさんと競り合うようにして掛け声をかけ続け、進みました。
手は繋いでいませんが.1、2 のリズムをかけ続け、私の手の磁力で、彼女の手と連動して動かすような感覚を意識して振ることで、私たちは一体となって歩き続けたのです。
正直なところでは、私もしんどいというのが本音でした。でも、このしんどさはCさんのしんどさでもあります。伴走者として、Cさんのしんどさと、頑張りたい!という気持ちにも同じように伴走することが役割として、先頭の待つゴール地点まで激走したのでした。
この時のCさんの頑張りと気持ちは、私の胸を打ちました。
まるでアスリート。
元々頑張り屋の気質は持っていましたが、ここまで頑張るとは思ってもいませんでした。
Bさんを遥かに越し、悠々とゴールしたCさんという人格に、私は感服を超え、敬服の気持ちでいっぱいでした。
Bさん、Cさんは、後で親御さんに確認したところ、このコースは以前にも1度来たことはあったようですが、本人たちの記憶には残っていませんでした。
具体的な距離や時間、そして耐えうる負荷が分からず見通しが立てられずにいたAさん、Bさん、Cさんでしたが、それぞれに合った方法で、歩を進め、身体的にも精神的にも上手く牽引してあげることで、本人たちも思わぬ力を発揮し、それにより、達成感と自分への自信、そして誇らしさを持ってもらうことが可能になります。
その誇らしさは、本人たちの心に勇気の火を灯します。
「達成できた!」「やり遂げた!」
という記憶は、今度、同じコースを上る時、または未知なる新しいコースを上る時の「見通し」となって、自分への信頼を育てることでしょう。
この後、Bさん、Cさんは無事にお母さんと帰宅されました。夜や次の日には、速いペースで足に影響が無かったどうかもご連絡して大丈夫だったと教えていただけました。
Aさんは、ゴール地点で合流し、一緒にお店でランチをいただきました。これまで誰かと一緒にお店に入っても、ごそごそ落ち着かず、大人同士の会話を待つなんてことも難しかったそうですが、この日は違いました。手遊びしながらもじっと話を聞いて待っているのが分かりました。自分の話がされていると分かりながらその行く末がどうなるか聞いていたのでしょう。Aさんは、注意を受けることが多い毎日ですが、本人はこの世界を何とか自分なりに知ろうと一生懸命なこと、ただ活動を拒否しているのではなくて、見通しが立たず極度の不安から自分を防衛していること、ちゃんと誘導してあげれば活動できること、最近できることも増え、頑張っていることなどを話していると、俯いてはいましたが、その表情の端に誇らしさが滲んでいました。
私と一緒だったからこんなに静かに待てたんだとお母さんは言って下さいましたが、しっかりと自分を認めてくれて、気持ちの不安定さを理解しコントロールしてくれる相手がいれば、それだけで安定した姿を見せることができるのです。
Aさん親子も、BさんCさん親子も、喜んで帰られた表情が印象的でした。
かかった時間は予定を2時間オーバーしましたが、1日がかりにはならなくて幸いでした。
次の活動日。
遅れてやってきた私を見つけるや否や、あのお二(BさんCさん)がサッとやってきて、私の両隣を確保していました。
きっと、あのハイキングでの達成感をまだ持ってくれていたのでしょうね。それが何より嬉しいことでした。
たった1日のハイキングですが、ただ歩くだけでなく、楽しく歩きながらも様々な目的や目標を持ち、手立てを打って過ごすことで、子どもたちの発達は促され、大きく成長することができます。
子どもたちの発達には、脳と身体と心が深く連動し関与しています。
どれか一つの要素が欠けても上手くいきません。
そのことを深く理解し、バランスを省みながら進めることが大切です。
私たちは子どもたちの発達を支え、押し上げていく役割を担いながらも、日々を共にすることで、実は彼らから大切なことを教えられ、学んでいます。
この相互の関係性があれば、日々の生活や活動の中でも、充分に発達を促進させる為のトレーニングができるのです。
